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大晦日に神戸から東京へ送った宅配便が元日の夕方に届いた。便利な世の中である。宅配便の配達日や配達時刻を細かく指定できるのはもはや常識かもしれないが、元日にもきちんと配達が行われているのを知って僕はあらためて感心してしまった。すごい。ドイツでは考えられない。質の高いサービス、きめ細かい心配り、さすが日本だ。

ドイツには閉店法という法律があって、レストランなどの飲食店を除いてすべての商店は平日20時まで、土曜日16時までしか営業できない。日曜日は休みである。コンビニもない。週末や祝日に宅配便の荷物を配達してもらえるなんてことはもちろんあり得ない。すごく不便である。店員の接客態度だって日本に比べれば雲泥の差だ。買い物をしたら「ありがとう」と言うのは客の方、店員は「どういたしまして」と応えるのが普通である。「サービス砂漠」と呼ぶ人もいる。

それに比べれば日本の接客やサービスは実に進んでいる。特に、顧客満足度なんてことをだれかが言い出した頃から、サービスはますます細部にわたって洗練され、接客手法はマニュアル化されて標準化された。独特の「接客敬語」みたいなものまで生まれた。宅配便の夜間配達や配達時間の指定なんかもその頃から加速度的に発達し、顧客の希望に細かく応えてくれるようになったんじゃなかったかと思う。

だが、よく考えてみて欲しい。夜、会社から帰った後に宅配便を受け取ろうと思えば、だれかがその時間に荷物を持ってこなければならない。正月に配達してもらおうと思えばだれかが元日も休まず働いていなければならない。だれかを安い給料で深夜や正月に働かせなければならないほど、僕たちの「満足」とか「便利」というのは大切で価値のあるものなのだろうか。

デフレが進むのと平行して、サービスも値崩れしている。より質の高いサービスをより安い価格で提供しなければ消費者は見向きもしなくなってくる。平日の昼間に印鑑を持って荷物を取りに行かなければならないのと、電話一本で夜中に再配達してくれるのとではだれだって後者を選ぶだろう。そんなエスカレーションが繰り返される結果、末端の労働者の職場環境は厳しく、労働条件は悪くなり、サービスはどんどん過剰になって行く。

結局僕たちは自分の便利さのために自分の首を絞めているようなものなのだ。宅配便だけではない。速さや便利さや満足を安い値段で買おうとすれば、だれかがどこかでそれだけ身を削ることになる、それはどんな仕事でも同じことだ。仕事がどんどんしんどくなるのに給料がちっとも上がらないのは、いくらサービスされても満足することを知らない貪欲な消費者、つまりは他ならぬ自分のせいだったのだ。

考えてみればドイツにいた頃、日曜日に商店が開いていなくても、実際に困ることはそれほどなかった。もちろん最初は不便だと思うこともあったが、それはそういうものなのだと思えば週日や土曜日のうちに買い物をすませておくようになるし、日曜日は休息の日だという気持ちになってくる。「ありがとう」「どういたしまして」だって当たり前のコミュニケーションのように感じられてくる。初めからそういう社会で生まれ育てばそれが不便だとすら彼らは思っていないに違いない。

人間の満足なんて実にいい加減なものだ。いや、そこには満足なんてものは存在しないとすら言っていい。欲望は常に膨らみ続ける。なぜなら資本主義というのはそうやって欲望を刺激し膨らませることで欠乏感を作り出し、それを満たすためにものを売り続ける仕組みだからである。初めからマッチポンプなのだ。膨らみ続ける欲望を満足させることはだれにもできない。

もちろん僕たちが今からドイツのような素朴な「サービス砂漠」に戻ることはできないだろう。当のドイツでだって閉店法は時代遅れだ、サービスというものをもっと真剣に考えるべきだという議論は常にあるのだ。川の流れを逆転させることはできない。だが、ファミレスの恐ろしいまでのマニュアル接客や、晩メシ食ってシャワーも浴びた頃に荷物を持ってきてくれる宅配便のおじさんを見るにつけ、ここまでやらんといかんのかなあとなんとなく背筋が寒くなってしまうのもまた事実なのである。



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