No.1にならなくてもいい 何だかんだと言いながら結局毎年紅白を最後まで見てしまうことになるのだが、今年は、いや、去年の紅白は白組の圧勝だった。真面目に見ていた訳ではないのでどこがどうだったかと言われてもよく分からないが、どうもSMAPの「世界に一つだけの花」をトリに持ってきたことの影響が大きいのではないかと僕なんかは思ってしまう。僕らはみんな世界に一つだけの花なんだ、No.1なんかにならなくてももともとかけがえのないオンリーワンなんだと歌うこの曲はいかにも感動的に響くし、あのSMAPが番組の最後に大真面目な顔でこの曲を歌えば確かにある種の説得力はある。 もちろん僕も一般論として僕たちがみんなそれぞれかけがえのない個別性を持っているということには異論がない。人と人をその本質的な価値において比べたり優劣をつけたりすることなどできないというのは自明のことだ。その限りにおいてこの曲の言っていることはまったく正しいと思う。だから僕はこの曲にケチをつけているのではない。そのことは最初にはっきりさせておこう。僕だって日本中のSMAPのファンに嫌われたり恨まれたりしたくない。どちらかといえば好かれたい。 だけどどうも僕には引っかかるのだ、「No.1にならなくてもいい」というくだりが。 僕たちは本当にナンバーワンにならなくていいのか。もちろん人間としてのナンバーワンというものはあり得ない。ここに生きる者としての人間の価値に優劣はないからだ。しかしもっと限定された分野で個別のテーマごとに見ればそこには常に競争が存在し、優劣が生じるのが当たり前である。そうした競争自体を否定する考えに立てば話は別だが、僕たちがその中で暮らしている高度情報化社会、大衆消費資本主義といった世の中の仕組みはそうした競争を前提として成り立っている訳だし、そこで勝ちたい、より上に行きたいという欲求が社会の動因になっているのは紛れもない事実である。 完膚なきまでにたたきのめされた日本経済が戦後、奇跡のような復興を遂げたのも、僕たちの父親の世代が互いに競い合い、少しでも上を目指してがむしゃらに働き続けたからである。だがそのおかげで生活が楽になり、円が高くなって、ようやく日本経済が曲がりなりにもナンバーワンに近いところまできた途端、僕たちは競い合い、トップを目指して向上することの尊さを忘れてしまったように見える。「No.1にならなくてもいい」。本当にそうだろうか。 どんな分野でもナンバーワンになることはもちろん簡単なことではない。努力を重ね持てる才覚を動員してもナンバーワンになんてなれないことの方が多いのは当たり前のことだ。そうしてギリギリまでナンバーワンに挑み、結果的に惜しいところでそれが果たせなかった人を、「いや、何もナンバーワンになることだけが尊いんじゃない、君はもともとかけがえのないオンリーワンなんだから」と力づけるのは構わない。この歌だって本来はそう聴くべきものなんじゃないかと僕は思う。 だが実際にこの歌の聴かれ方はどうだろうか。僕にはどうもこの曲、この歌詞が、初めから競争なんかしないで楽に生きることや、ろくに努力もせずに競争に負けたことの言い訳にされているように思えてならないのだ。ナンバーワンになろうという活力のなくなった国の末路は哀れなものである。ある特定の目的のために何らかの尺度を選び、それに従って評価をすれば一番からビリまで順位がつくのは当たり前のことなのだ。大事なのは順位がつくこと自体ではなく、その尺度、基準がある特別な問題を処理するための便宜的なものに過ぎないということの認識ではないのか。 僕たちは勝ったり負けたり、喜んだり悲しんだり腹を立てたりしながら毎日を生きている。大げさにいえばそれこそが生きるということの意味だ。何の勝負もしなければだれも負けない代わりにだれも勝たない。だれも悲しまない代わりにだれも喜ばない。そんな凍りついたような平穏を僕たちは求めているのか。そんな半分死んだような世界でみんなが和気あいあいともたれ合っているのが平和とか幸せということの意味なのか。この歌は勝負をする前ではなく、すべての勝負が終わった後でこそ歌われるべき歌だと僕は思った。だって、この歌はナンバーワンであるSMAPが歌ったからこそ説得力がある訳だしチャートでもナンバーワンを獲得した訳だし、この歌で白組は勝った訳なんだから。 2004 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |