logo 渦巻きシール


ええ、奇しくも5月3日は憲法記念日だった訳だが、例によって全国各地で護憲派、改憲派の双方が集会を開いたそうだ。そんなものに参加したという人は僕の周囲にはだれもいなかったけど、まあ、どこかでだれかが憲法のことを考えてくれているのだろう。

ところで、今年の憲法記念日には、憲法、とりわけ人権というものを考えるのにうってつけのニュースがあった。もちろんあのパナ研である。僕は別に今の憲法を何が何でも「護る」べきだとは思わないし、人権なんてものが我々にオートマチックに与えられた自明のものだとも思わないので、警察が取るに足りない微罪でパナ研に嫌がらせをしたり、沿道の住民が天下の公道を封鎖してパナ研のクルマが立ち入れないようにしたり、プレスの皆様がパナ研の数倍の台数のクルマで彼らを追いかけ回しても、日本というのはその程度の国なんだなあと思うだけだが。

それにしても、それにしてもだ。この状況に対して、それはマズいんじゃないのかと声を挙げる人が現れないのはどういうことなんだろう。

確かにパナ研の奴らの挙動はおかしい。おかしすぎる。白ずくめと渦巻きシール。大天使長に電磁波に世界の終わりにタマちゃん。こんな人が近所で野営していたら僕だって出て行って欲しい。別に危害を加えられる訳ではないにしても、こんなキチガイみたいな奴らがウロウロしているだけで不気味だし、いつ何をしでかすか分からない。何かが起こってからでは遅いのだ。僕たちにはオウムという苦い経験もある。この人たちはどこかおかしいし不気味だ。

だが、不幸なことに我が国は民主国家であり、憲法には思想・信条の自由、集会・結社の自由、居住・移転の自由が明快に定められている。「おかしい」とか「不気味だ」ということを取り締まる法律はどこにもないし、そういう異端審問や魔女裁判のようなことが行われないように近代人権思想は発展してきたはずだ。極端な言い方をすれば、我が国では、人に危害を加えない限り「おかしい」人である自由が保障されているのではなかったのか。

自社の支局に散弾が撃ち込まれれば憲法記念日の巡ってくるたびに報道の自由の危機を云々する大新聞だって、今回の「騒動」は憲法的自由の危機だと思っていないらしい。だが、ある特定の世界観を信仰しているがために、どこに行っても追い立てられ、移動すればつけ回され、止まれば警察から怒鳴られるという状況は、どう考えても異様ではないか。たとえそれが我々から見て「何じゃそりゃ」と思うような無茶苦茶な世界観であったとしても、あるいはこの白装束キャラバン自体がある種の売名だったとしても、自分たちに理解のできない異様な集団だという理由でだれかの市民的自由を侵害することは本来許されないことのはずじゃないのか。

繰り返す。僕自身は、パナ研が迫害されても弾圧されても痛くもかゆくもない。「人権派」でもないのにこんなことは本当は別に言いたくもない。だけど、こんな「騒動」がのんきにテレビ放映されている国の「人権意識」はいったいどうなってるんだと思う。そういう鈍感さが、結局は自分自身の「人権」の土台のようなものを少しずつ蝕んでいることに、本当にだれも気がついていないのかな。こんなもの、カルト規制と人権保障のギリギリの関係を論じる以前の問題じゃないか。



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