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成人式? もうよく覚えてないけど、確か市長が挨拶して来賓が祝辞を述べて祝電が披露されて…。要するにそういう類のごくくだらないセレモニーだった訳だ。まあ、役所の主催する行事なんて所詮そういうもんでしょ。妙に若者にすり寄ってコンサートだの立食パーティだのにしたってどうせピントはずすのは目に見えてるんだから、「成人式」はそういうもんだと割り切ってさっさとこなしてしまい、あとはクラス毎の同窓会でも勝手にやればいいんじゃないの。

もちろん、そんなくだらない成人式ならやめてしまえという考え方もある。でも、考えてみて欲しい、およそセレモニーと名の付くもので「くだらなくない」ものなんてあるのだろうか。大人になるということ、社会に出るということは、そのようなくだらないセレモニーとも適当につきあって行くということであり、そう考えれば成人式はまさにその入口というか手始めというか、そういうクソったれな大人社会の洗礼として重要な通過儀礼ではないだろうか。

だとすれば成人式はむしろ、因襲的な大人社会の象徴として、何の足しにもならないセレモニーであるところにこそ意味がある。それは小生意気なガキどもに対する大人社会からの先制パンチであり、それに対する受容と忍従を強いるものでなければならない。ガキに媚びてすり寄る必要なんてどこにもない。廃止する必要もない。成人式は、オマエたちはこれからこういう因襲的で役立たずのオヤジ文化と渡り合って行かねばならないのだという宣戦布告であってしかるべきだ。

もちろんガキどもにはそれに対抗する権利がある。くだらないセレモニーがイヤなら出なければいい。当たり前の話だ。まあ、欠席することによって懐かしい同級生に会えないとかそういうデメリットはあるが、大人社会のイヤな部分から逃げよう、忌避しようというのであればそれくらいのコストは払ってもらわねばならない。

あるいはそんなくだらないセレモニーはぶっつぶしてやる、という考え方もあり得る。だが、それは権力に楯つくということに他ならないから、本来それなりのリスクを負う覚悟がなければできないことのはずだ。権力が反対分子に本気で牙をむくとどういうことになるか、むき出しの権力というものがどれだけ恐ろしいものなのか、それを受け止める覚悟がなければ権力に楯つくのはやめた方がいい。誤解がないように言っておくが、僕は決して権力に楯つくなと言っているのではない。むしろ若者はガンガン権力に楯つけばいい。だが、それには自分の一生を棒に振るくらいの覚悟が必要だということなのだ。逮捕されたくらいで「軽い気持ちでやったら大騒ぎになって驚いた」なんて「反省」しちゃうくらいなら初めっからやるんじゃないということ。

大人になるというのは頑迷で物分かりの悪いオヤジどもの中に混じって自分の存在を認めさせることに他ならない。そのためにはまずヤツらの流儀を知らねばならないし、それにはまずそこに身を投じてみる他ない。それが気に入らなければそれを忌避するのもつぶそうとするのも自由だが、それには相応のリスクやコストを覚悟しなければならないはず。大人になってからの悪ふざけは高くつくということをガキに教えるのは大人の仕事だ。



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