なぜ人を殺してはいけないか え? どうして人を殺しちゃいけないかって? ……。正月早々難しいことを訊くね。う〜ん…。そうだな、ちょっとこみ入った話になるし、使う言葉も難しくなるかもしれないけど、我慢して最後まで聞けるか? や、もちろんできるだけ分かりやすく説明するからさ。ん? よし。じゃ、ちょっと一緒に考えてみるか。 人を殺しちゃいけない、というのにもふた通りの意味があるのは分かるかな。ひとつはおよそ人間として、他の人間を殺すのは「悪いこと」だからやっちゃいけませんっていう道徳とか倫理の面での意味合い、もうひとつは法律で人殺しは禁止されているからやっちゃいけませんっていう制度的な意味合い。分かる? よし。 ただ、いずれにしても人殺しが社会から禁止されていることは間違いがない。社会というのは曖昧な言い方だけど、要は日本なら日本に暮らしている人みんなで構成されているひとつの共同体だね、それを国と言ってもいいんだけど、国というと自分がその構成員だということを実感しにくくなるから社会ということにしとく。それが倫理を通じたものであるにせよ、制度を通じたものであるにせよ、ともかく人殺しは社会から禁止されている、だから人を殺しちゃいけない、そう考えれば、ポイントはなぜ人殺しは社会から禁止されなければならないかということになるよね。 それはそんなに難しいことじゃない。だって、人殺しを自由に認めてごらんよ、どんなことになると思う? いつどこでだれに殺されるか分からないという「万人の万人に対する闘争」みたいな状態になるよね。簡単に言えば安心して暮らせなくなってしまう。それは社会が本質的に秩序とか安定、安全を求める存在だということと相容れない。だから社会はそれを禁止するんだ。人殺しを自由に認めることが社会全体の利益を損なう、だから禁止する。それだけのことだ。 え? 人殺しは悪いことじゃないのかって? そうだな、でも「良い」、「悪い」っていうのは相対的なもんだろ。人殺しは社会として禁止しなければならない、だから「悪い」ということにしよう、それを道徳だということにしようってことだよね。宗教家は、そうじゃない、世の中には絶対的で最低限の規範というものがあるはずだ、まず道徳ありきだというかもしれないけど僕はそうは考えない。ある行為が社会的に禁止されるか容認されるか奨励されるかは、その行為が社会にもたらす利益と不利益のバランスによって決まる。倫理とか道徳というのは、そうした行為の社会的な禁止・容認・奨励という命題の中から、まあだれが見ても意見がほぼ一致するだろう、異論がないだろう、あるいは重要だろうと思われるもの(例えば「人を殺してはいけない」という命題)に価値的な優先順位を与えたカタログに過ぎないし、それ自体流動的、相対的なものなんだ。 つまり順番としてはまず社会として人殺しを容認するべきか禁止するべきかという利益衡量上の判断があって、次にそれが重要なことなら倫理とか道徳のレベルに上げましょうということ。倫理的な禁止は制度的な禁止と位相的にパラレルで、その背後にはともに社会的な利益衡量がある、というのが僕の考えだ。だから「人殺しは悪いことだ」というのはそれほど自明のことじゃない。え? 何? 難しい? まあいいよ、これはどっちかというと傍論だし。 いずれにしても「人を殺してはいけない」というのはそういうリアルな利益衡量の上に立った、ある意味で技術的、相対的な禁止に過ぎないんだ。だから人殺しがある状況の下で社会に利益をもたらすとその構成員が判断すれば、それが許されることも当然あり得る訳だよね。「死刑」や「戦争」のことを考えてみればいい。あるいは江戸時代の「仇討ち」や「切り捨て御免」をね。儒教道徳や身分制度というものの価値が社会にとって相対的に高かったから、それを守るための人殺しは許された訳だよ。 ただ、人殺しの禁止は善悪の問題じゃない、社会にもたらす利益と不利益のバランスの問題だということになると、じゃ、その判断はだれがするんだということになる。「こいつは死んだ方が社会のためだから殺した」なんていう言い方が通るんなら、人殺しを禁止した意味がないもんね。 それを判断するのはひとりひとりの個人じゃない。ここが大事なとこなんだけど、それを判断するのは社会の構成員全体の集合意識なんだ。制度的な面ではそれがよく分かる。国民の代表が集まって話し合って法律を作る訳だから。でも倫理的な面でもその構造は一緒。もちろん集合意識なんてものはある意味でのフィクションに過ぎない訳だけど、要は大多数の構成員が深層意識としてそれに同意するかってこと。「仕方ない」とか「関係ない」っていうのも含めてね。あ、また難しくなっちゃったかな。 だから、その大多数の構成員の深層意識に従えない者は社会的な制裁を受ける。それが社会的な禁止ということの意味だからね。それがイヤなら荒野か無人島で一人で生きる他ない。我々の社会の内側に生きて、その便利さに乗っかってる以上、ある問題に関してだけその集合意識に従わないということは許されない。これが人を殺しちゃいけないということの理由なんだ。 どう? だいたい分かったかな。やっぱりちょっと難しかったか…。まあいい、こうやってここに書いとくからさ、ゆっくり読んで、また分かんなくなったら訊いてみてよ。でもなあ、僕が君くらいの時にはそんなこと考えもしなかったけどね。変な時代だよね。奇妙な日々っていうかさ…。 2001-2003 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |