logo Deng Xiaoping, who?


かつて僕は為替ディーラーをやっていた。目の前のモニターは刻々と流されるニュースを休みなく映し出している。「ルービン財務長官辞任」、「日本国債格下げ」、「独連銀利上げ決定」。そんなニュースに混じってあるときこんな見出しが飛び込んできた。「Deng Xiaoping死去」。

???

「デン・シャオピンてだれや?」。だが、もちろんそんなことを考えているヒマはない。Deng Xiaopingがだれでもいい。本当に死んだのかどうかということも後回しだ。問題は、このニュースを見た市場参加者が売るか、買うか、それだけだ。

その時僕が売ったのか、買ったのか、その結果もうかったのか損したのか、今となってはもう覚えていない。記憶に残っているのは、「Deng Xiaoping」という名前に振り回されたことだけだ。それがだれかは程なく分かった。ドイツ人に「Deng Xiaopingてだれやねん」と訊いたら、「Deng XiaopingはDeng Xiaopingじゃないの。ほら、中国でいちばんエラい、結構高齢で…、ええと、あの、川で泳いじゃったりする人、いるでしょ?」。そう、それはケ小平のことだったのだ。

ケ小平はそのとき死んではいなかった。市場にはよくあるただの噂だ。市場では小さな冗談に尾ひれがついたり、あるいはだれかが意図的にデマを流したりしてこの種の噂が頻繁に世界を駆けめぐる。ルービンだって何度となく辞任したことにされた(実際に辞任したのは一度だけ)。エリツィンなんか何度辞任して何度死去したことか(実際には1回辞任したけどまだ死去してない)。ま、その点、日本の当局者はあんまりこういう噂のネタにはならないんだよね、だって影響力ないから。

や、話がちょっとそれたけど、ここで僕が言いたいのは中国人の名前の話だ。中国人は当然画面に流れた「Deng Xiaoping死去」の英字ニュースを見てだれが死んだのか理解できるだろう(もちろん英語が理解できるという前提です)。それ以外の国の人だってふだんからあのオヤジはDeng Xiaopingという名前だと認識しているだろうから問題ないはずだ。だとすれば、世界中で「Deng Xiaoping」と聞いてだれのことだかピンとこないのは日本人だけなんじゃないか。やれやれ、これは結構困ったことだ。

なぜなら日本人はケ小平のことを「ケ小平」という漢字で認識しているし、その読み方は当然「トウ・ショウヘイ」であると思っているからだ。NHKのニュースだって「トウ・ショウヘイ」と発音しているはずだ。もちろん日本の中だけで生きて行くならそれでもいいかもしれない。だが、ひとたび海外に出て、だれかと中国人の話をしようとすると事態はにわかに複雑になる。僕たちだけが中国人の名前の世界に通用する読み方を知らないのだ。

もちろん「Deng Xiaoping」だって中国語の音を英字に置き換えた近似的な便法に過ぎないだろう。しかし、それは少なくとも国際的に通用するし、当の中国人だって分かるに違いない。それに対して「トウ・ショウヘイ」では中国人にもそれ以外の外国人にも分からない、完全に日本ドメスティックな符丁だ。今、海外でだれか外国人と話をしていて江沢民の話になったとしよう。あなたはその人名を英語で伝えられますか。「コウ・タクミン」のどこをどんなに伸ばしても、どんなに強めても、どんなに英語風に言ってみてもまず伝わりっこない。江沢民は国際的には「Jiang Zeming」で通っているということを知らなければ会話は成立しないのだ。

これは結局日本と中国が漢字という文化をたまたま共有していることに乗っかって、それを日本ふうに読み下すことに何の疑問も感じてこなかった我々の怠慢だというしかない。何でも話によれば日本と中国の間には、人名は互いに自国の読み方を基準とするという取り決めがあるそうだが(だから森喜朗は中国では「セン・シーロン」と呼ばれるらしい)、それは便利なようでいて結局相互理解を阻害する効果しか生んでいないのではないだろうか。

この際、中国人や韓国人の人名は、現地語の読みに準じたカタカナ表記にしませんか。あるいは、仮に漢字表記は変えられないにしても、中国人の人名の読みは韓国人のように現地読みに準じた発音で統一してはどうだろうか(日本と韓国との間には現地読みを基準とするという取り決めがあるらしい)。江沢民を「コウ・タクミン」だと思っているのは世界中で日本人だけなのだ。



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