logo 礼儀知らず


国旗・国歌はその国を象徴し代表するものとして扱われる。他国の国旗・国歌を尊敬し尊重すべきことは国際社会のルールである。それは世界が現実に国民国家を単位として成立しており、すべて国民がそれぞれの国家の庇護の下でその構成員としてしか存在し得ないことから帰結されるひとつの国際的な常識である。

だから他国の国旗を侮辱することはその国にケンカを売ることに等しい。他国の国歌が斉唱されるときに起立・脱帽しないのも同じことだ。国という形のないものを国旗・国歌という実体に仮託し、それを侮辱することによって国そのものに対する抗議の意思を表明するという考えがそこにある。そこでは国旗・国歌はまさに国そのものに代わるものとして考えられている。

このように考えるとき、多様な国々の存在を認め、それらと仲良くすることを国是とする我が国にあって、国旗・国歌の重要性とそれに対する敬意の表し方がきちんと教育されていないことはまったく異常である。不用意に他国の国旗や国歌を侮辱することはときとして取り返しのつかない問題を引き起こす。世が世なら戦争だ。例えば先日トルコでイギリスのサッカー・ファンが刺し殺された事件も、イギリス人のグループがトルコ国旗を侮辱したからだと言われている。日本が真に国際国家であろうとするなら、国旗・国歌の意義をきちんと教育するべきだ。それはごく基本的な国際社会の常識であり儀礼なのだ。

ところが日本ではそうしたことの前提となる、自国の国旗・国歌に対する教育がまともに行われていない。もちろんそこに「日の丸」・「君が代」を国旗・国歌とすることに対する異論が介在しているのは承知している。しかしながら、仮にこの際法制化の事実は措くとしても、国内でも海外でも「日の丸」・「君が代」が日本の国旗・国歌であることは広く一般に承認された事実である。そうであれば現に通用している自国の国旗・国歌に正当な敬意を表しないで、どうして他国の国旗・国歌に対する尊敬・尊重を教育することができるだろうか。「日の丸」・「君が代」が日本の国旗・国歌に相応しいかどうかは個人的な信条の問題として別途自由に論ずればよかろうが、教育者としては国旗・国歌に対する敬意のあり方を国際人教育のひとつとしてきちんと指導すべきである。これは「日の丸」・「君が代」が日本の国旗・国歌として相応しいかどうかとは別の問題である。

「日の丸」・「君が代」が日本の国旗・国歌として相応しいかどうかということについては、もちろん僕には僕の考えがある。でも、それをここで論じることはテーマを拡散させることになるのでしない。いずれ稿を改めて書く機会があればと思う。

繰り返しになるが、「日の丸」・「君が代」が日本の国旗・国歌として相応しいかどうかという問題はオープンに議論されていい。もし国民的な合意が形成できるなら国旗・国歌とて変更してはいけないという法はない。だが、そのことと、現に国旗・国歌として通用しているものに対して敬意を払うということは別の問題である。いったい、どんな決まりでも気に入らなければそれに従わなくてよいということはない。それは法治国家の教育ではない。議論がいつまでたっても堂々巡りをするのはその峻別ができていないからではないか。



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