logo 課長失格


荒井注が死んだ。でもあの「This is a pen.」というギャグを覚えている人ももう少ないかもしれない。わけの分からない人は30歳以上の人に訊いてくれ。

日本IBMがこれから課長相当職にはTOEICで600点、次長相当職には730点を取らないと昇進させないことにしたらしい。でも今既にこうした役職についてる人がその点に達してないからといって降格はしないんだって。な〜んだ…。

英語を日本の第二公用語にするという議論が進んでいるらしい。井上ひさしが口から泡を飛ばして、日本語教育が先決、英語は必要な人がそれぞれ勉強すればよい、とまともなことを言っている。

英語。昔、辞書の表紙裏か何かについてた世界地図を見て笑ったことがある。その地図は世界中の国が「英語を母国語(公用語)とする国」、「公用語ではないが通じる国」、「通じない国」に色分けされてたんだが、日本は「通じる国」だったんだよな、これが。でも、日本では果たして英語は通じるのか。英語で道を訊かれて的確に教えられる人はいったいどれくらいいるというんだ。「通じる」っていうのはちょっと過大評価だよね。せいぜい「何とかなる」程度だろう。

僕はすべての日本人がFMのDJみたいな英語をしゃべれるようになるべきだとはちっとも思わない。それよりもっとみんな日本語をきちんと勉強した方がいい。敬語をきちんと話せるようにしておいた方がいい。英語なんて必要な人がそれぞれ勉強すればいい。ただ、問題は「英語が必要な人」というのはいまやほとんど「すべての日本人」と同義だということなのだ。

日本は戦後「奇跡」といわれる高度成長をとげ、世界にも例がないくらい徹底した民主主義や平等社会を建設し、愚直なまでに平和主義を貫いてきた。だがそれにも関わらず、日本という国は不思議なほど正当に評価されていない。それは日本が自らの国のシステムをオープンにし、その成り立ちを外に向かって説明する努力を怠ってきたからだ。そしてそれは、外国語を身につけて海外に飛び出し、他流試合を挑む人材の絶対的な不足に由来している。

別に外人に日本のよさを分かってもらおうとは思わない、日本に来る外人の方が日本語を勉強するべきだ、日本で日本人として生きるのに英語なんて必要ない。そういう言い方はもちろん可能だ。可能だが無効だ。なぜなら日本は資源を持たない世界の「商人国家」であり、世界との直接なつながりや相互依存なしには生き延びることのできない国だからだ。

そこにおいて我々は、「世界」の中に身を置き、他の国々との絶え間ない「関わり」を通じてしか生きることができない。それは「国際理解」といった傲慢なものではなく、「国際交流」といった押しつけがましいものでもなく、ただ人やモノ、情報が自由に行き来する中で互いの存在を常に認識し意識するという「国際往来」でなければならない。輸送機関の発達によって主要な国どうしは1日以内の時間で結ばれ、情報は瞬時に世界中へと伝わって行く。そのような時代にあって、住む場所に関わらず「ドメスティックに生きる」ということ自体が不可能になりつつあるのだ。

そのような時代に、日本という国で生きる我々には、必要ならいつでも外国人とコミュニケーションができるという「覚悟」が必要だ。「必要な人だけが」という物言い自体が既にこうした時代性に対する自覚を決定的に欠いている。公用語かどうかはどうでもいいが、「外」に向かってプレゼンテーションのできない人たちが「内」でだけ何かをなしとげられるほど、「外」と「内」の境目はもはやはっきりしてはいないと僕は思う。

で、オマエはTOEIC何点かって? いや、それは、ちょっと、えへへ…。



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