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みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。という訳で、今年の正月は2000年問題とともに明けた訳だが、幸いなことに停電とか断水とか、電車が止まるとかATMでカネが出てこなくなるとか、会社のコンピューターが一切動かなくなるとか、原発が制御できなくなるとかミサイルが飛んでくるとか、そういうとんでもない大惨事は今のところ起こっていないし、各国政府も安全宣言とか勝利宣言を出しているようだ。まずは胸をなで下ろしたって感じ。

で、出始めているのは、あの騒ぎは過剰反応ではなかったか、あるいは特需を狙うコンピューター業界の謀略ではなかったかという議論である。確かに直前になればなるほど盛り上がったあのヒステリックな騒ぎには首をかしげざるを得ないものがあった。対策とされたものの中にも意味があるのかどうか疑わしいものもあった。

だが、現実に原発の監視系や何かで細かい問題は発生したし、生まれたばかりの子供の年齢が正しく計算されないとか、年越えで延滞したビデオの料金を100年分チャージされたとか、囚人の刑期が100年上積みされたとか、そんな話は世界中から聞こえてくる。僕の表計算ソフトだって、「31/12/99」はきちんと1999年12月31日と認識するのに、「01/01/00」は2000年1月1日と認識してくれない。そのせいで僕はアクセス・ログを表計算ソフトに取り込むマクロを修正しなければならなかった。これも2000年問題でしょう。

これらはつまり、僕たちが何も手を打たなければ問題は確実に発生したことを示している。大惨事が起こらなかったのは、大惨事の起こりそうな部門では一応まともな対応がなされていたということと、あとはたまたま致命的な見逃しや思いこみやミスや予想外のファクターがなかったという幸運な偶然の結果である。2000年問題が発生してもどっちみち大したことにはなりようのない分野では、対応の優先順位が繰り下げられたり真剣に対応がなされなかったりして、その結果問題が発生したが、まあ笑い話程度ですんだということだろう。

そうしたことを考え合わせれば、西暦2000年の正月にはこんなことが起こり得るという問題提起は実に正しかったし、それに対応して世界中の国がそれなりの投資をして対応を進めたのも正しかった。そのおかげでともかく大惨事は起こらなかったんだし、ま、その過程で少しくらい意味のない空騒ぎがあったからといって、問題の本質そのものを矮小化してしまうような結果論を強調することは極めて愚かなことである。いや、もしかしたら僕たちの平穏な生活は本当に危機一髪のところで何とか守られたに過ぎなかったという可能性すらあるのだ。

健康と同じで、順調に稼働しているシステムのありがたみは実感しにくい。うまくいって当たり前のシステムを維持するために、僕たちは膨大なコストを支払っているのだが、それはなかなか目に見えない。だから想像力のない人はそういうことに気づかず、それらはそこにあって当たり前だと思っているのだろう。今年の初嗤いは、浅薄な結果論で2000年問題への対応を嗤う人に捧げたい。さ、買い置きのポテトチップスでも食べるか。何? もう紅白見ながら食べちゃったって?



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