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ミイラ事件。こうやって文字にしてみるとホントにバカバカしい、何と言うか。「この人は死んでません、まだ生きてます、治療中なんです、解剖なんかしたら本当に死んじゃうからヤメて下さい」って、どう見ても(見てないけど)死んでんじゃん。久しぶりにおいしいネタでワイドショーの人たちも喜んでいることだろう。別にヤツらが積極的に殺した訳ではなさそうだというところにつつきやすい部分もあるのかもしれないね(でも保護責任者遺棄致死は免れないんじゃないか?)。

で、多くの人はこう思っただろう、こいつら、全然話が通じねえや、ってね。同じ日本語を話してるのに、別に文法的に破綻してる訳でもないのに、全然話が通じない訳よ。ミイラ化した死体が紅茶を飲めるまでに回復しましたぁ? そこには同じことについて話していても共通する認識の基盤がまったく欠けている。いやあ、これはもう完全にイっちゃってるわ、カルトは怖いわ、と思うのが健全な感じ方だろう。

でも、ちょっと待って。じゃあ、僕たちの日常のコミュニケーションってそんなに確かなんだろうか。こんな程度のカルトなんて世の中にはいくらもある。もうちょっと穏当だけどその代わりもっと広く深く社会に根を張っているカルトだってある(あれですよ、あれ)。そんな中でこいつらとは話にならねえ、と感じた経験のある人は少なくないはずだ。

それだけじゃない、特別にカルトにハマってる訳でもない「普通の」人どうしの会話ですら、ひとつひとつの言葉は分かるけど、言ってることの全体の意味がさっぱり分かんない、ってことはある。そう、みんなが分かり合うための共通の認識の基盤のようなものが、今、音をたてて崩れ始めてるんじゃないの? 「普通の」人だって、みんな自分だけの個人的な新興宗教みたいなものに多かれ少なかれハマっていて、その原理だけに従ってしゃべり始めてるから、お互い言葉は分かっても意味が分からないんじゃないの?

そう考えれば、このライフ何とかはそういう共通の認識の基盤の喪失という現象がたまたま(「まだ死んでません」的な)極端な形で表出しただけで、何も特殊な例じゃなく、むしろ僕たちの抱える問題とグラデーション的につながってるんじゃないだろうか。だから僕はこいつらを無邪気には笑えないな。いや、それどころか、すごくイヤなものを感じる。見たくないものをすごく醜くデフォルメして見せられたような、イヤ〜な感じ。

ふだん僕たちは、一応相手を見ながら言葉を選んで話している。この人との共通の話題は何かなと考えながら、レベルを上げたり下げたりトーンを変えたりして調節している。でも、そんなことに興味のない人がきっと増えてるんだ。それの行き着く先が「治療中なんです」なんだろう。なんかホントにイヤな感じ。どう思う?



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