logo 人質にはなりたくない


これは1997年1月にアップした文章である。当時ペルーの日本大使館では多数の人質をとったテロリストが長期にわたって立てこもっていた。この事件は結局その年の5月にペルーの特殊部隊が大使館に突入することで解決した訳だが、この文章を書いたときにはもちろんそんなことは分かっていない。(2001.6.10)


ゲリラによるペルーの日本大使官邸占拠事件発生から1カ月がたったらしい。これまでも我が国がかかわりあった立てこもり事件はいろいろあったが、占拠されている邸内に堂々と取材が入ったり、占拠しているゲリラや人質と電話や無線で連絡が取れたり、食料や医療品が補給されたり、交渉役の赤十字の役員が出たり入ったり、南米的というか何というか、僕の立てこもり概念を揺るがす「開放的な」立てこもりではある。

もちろん肝心の部分が暴力を背景にブロックされているからこそそういう「開放的な」こともできる訳で、本質では従来の立てこもりと変わらない。本質が従来の立てこもりと変わらない以上対応も従来のテロに対する対応と変わらない。テロリストの要求には屈しない。それだけである。

しかしそう簡単に運べば1カ月もかかったりはしない。当たり前だ。テロリストの要求に屈しないということは、法外な身代金の支払いや、合法的に収監されている他のテロリストの釈放には応じないということである。しかしながら例えばテロリストの国外への亡命の保証、収監中のテロリストの待遇改善など、法治国家としてのメンツを失わない範囲で人質の救出のために譲歩する余地はあり得る。双方のメンツを立てながらぎりぎりの落としどころを探るから時間がかかるのである。

愚かなのはこうしたぎりぎりの落としどころを探る努力を十分しないままに性急な手段を取ることであり、その中でも最も愚かなのはテロリストの要求に安直に屈することである。かつて我が国はダッカでの日航機ハイジャックでこの最も愚かな手段を取ってしまった。当時の関係者にはもちろんそれなりの反論があろうが、結果としてテロリストを「野に放つ」ことになったのは否定できないし、国際的にも非難を浴びた。それ以前に「よど号」事件で見事な落としどころを見つけた経験があったにもかかわらずだ。

人命は重い。そんなことは当たり前だ。だれだって死にたくないし、自分の決断でだれかが死んだりして欲しくない。目前で危険にさらされている命を救えるものなら救いたい、それは人間として当然の情でありだれもが抱く自然な考えであるはずだ。しかし世の中には人命をも比較衡量の対象にして冷徹な判断を下さねばならない局面があり得るし、そういう決断を迫られる職業が存在する。

テロから身を、企業を、国家を守る手だては各々の責任で尽くすべきだが、どんなに注意を尽くしても防ぎきれない危険はある。テロを、被害を受ける側において完全に根絶することは困難だ。だからテロが起こったときどう対応するかということは、テロのないときに考えておかなければならない。テロリストの要求に屈しないというのはその最も重要な原則の一つである。

同種のテロが再発することを防止するためには、そのテロが無意味であるか、少なくとも割に合わないことを明白に示さなければならない。そのためにはテロリストの要求にそのまま屈することだけは絶対にできないのである。たとえ人質の命が危険にさらされたとしてもだ。そのような姿勢を示すことでのみ、僕たちはともかくもテロの現実的な危険に怯えることなく眠りにつくことができる。そして、僕たちがそのような少数の人質の危険に依拠して日々の平穏を保持している以上、自分自身がまかり間違って人質になったときにはそのような社会の安定の犠牲になることももしかしたら覚悟しなければならないのではないだろうか。

今人質になっている人の家族には無神経な議論だと思われるだろうが、彼らに、我々の社会の盾になってあえて死ねと言っている訳で決してないことは理解してもらえるだろうか。繰り返すが僕だってだれだって死にたくはないし、だれかに死んで欲しくもない。人質を無傷で救出する方法がぎりぎりまで模索されるべきなのは当然だ。しかし最終的に手詰まりになったときやゲリラが人質に手をかけたとき、だれもがしたくない決断をだれかがしなければならなくなることは認めなければならないし、そのときに、決断した人間を単に情緒的で無責任な人命尊重主義だけから非難することは慎まなければならない。そして僕たちのうちのだれかが明日、いや今夜にもそのようなテロの犠牲者になる可能性が決してゼロでないとすれば、そうなったときのことを自身の問題として少しは考えておいてもよいのではないかということなのだ。

それにしても人質にはなりたくない。



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