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僕が「真夜中の閃光」を書いてから、さまざまな感想が寄せられました。ここでは掲示板に寄せられた感想・意見を、僕からのレスも含めて一挙掲載します。もちろんいろいろな意見がありますが、大切なことはだれもが真面目にこの問題を考えているということであり、意見が対立する問題であるにも関わらず感情的な論争にならず参加者が節度を持って意見を表明し議論を行おうとしていることだと思います。
この場を借りて掲示板に書き込んで下さった皆さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。尚、書き込みの中でも一部本件テーマとは関係のない部分を省略しています。(2001.10.14)


Date : 2001.10.8 18:49:12
Subject : 対話
From : Sophie

「とうとう」というべきか、「いよいよ」というべきか、アメリカとイギリスによる「対テロ攻撃」が始まってしまいました。

Silverboyさんの断固とした意見には、いつもながら感服させられました。ただ、私の個人的意見としては、できることなら武力行使はして欲しくないし、これ以上何の罪もない人が死ぬような事はして欲しくない・・・、でもだからと言ってあのWTCが炎をあげてる映像を思い出すと、このまま何もしないのはどうか・・・、という実に優柔不断な意見なのです。そしてこの優柔不断な意見というものが、国際社会にあっていいものなんじゃないかな?って思うんです。というのも、一般のイスラム教徒の人たちこそ、もしかしたら一番戸惑っていて、中にはとても心を痛めてる人も大勢いるかも知れないと思うからです。

日本人の私たちにとってイスラム教徒と言うのは、なんだかとても遠くにいるような気がしてる人が多いと思うし、今回の件に関しても「イスラム教徒」をひとくくりに見てしまってる日本人は、正直言って少なくないと思います。幸い私は過去に色々なタイプのイスラム教徒に出会い、「イスラム教徒でも色々な人がいて、色々な意見がある」ということを知っています。また、たまたま西洋史が好きなので、過去のキリスト教徒対イスラム教徒という図式の対立も多少は理解してます。

でもこれだけ「世界」が小さくなり、兵器がハイテク化してしまった今、十何世紀に起こったような限定された対立や紛争では収まらなくっているのが事実です。

私は今回のことで改めて、21世紀はイスラム教徒と「西側先進国」といわれる国との対話こそが最重要課題だと思いました。せめて、このHPを見てる皆さんは「イスラム」を誤解することなく、可能の限り彼らと対話する道を、それぞれの人が自分なりに見つけていただければと思います。


Date : 2001.10.9 12:34:57
Subject : 反論
From : mine-D

手短に行きます。

まず、「テロは割に合わない」事を思い知らせるための武力攻撃、というのは外れてると思う。もともと「割に合う、合わない」といった損得勘定で行動している人達を相手にしているのではない以上、いくら攻撃を仕掛けた所で「ああ、俺達は間違っていた。もうアメリカに逆らうなんて考えは捨てよう」などと改心したりすることは絶対にないだろう、という事。

さらに、この攻撃によってアメリカをはじめとした自由主義国家へのさらなる報復テロを喚起してしまう恐れもあるワケで、そうなると、この武力攻撃こそが「割に合わない」。

次に攻撃目標は軍事施設、テロ施設のみに限定されているという話だが、それをそのまま鵜呑みにできるほどアメリカという国が信用が置けるか、というとそうでもない。それは湾岸戦争の結果を見ても明らかだ。すでにシヴィリアンに被害者が出ているという発表もあるし(まあタリバンによる情報操作の匂いが強いけど)、一般市民に被害者が出ないという保証など、どこにもない。そして、実際に被害者が出ても「こっち側」にはあまり報道されない。

軍人にせよ、シヴィリアンにせよ、人殺しは人殺しだし、そもそも戦争行為で人が殺されること自体反対です。「武力攻撃を支持する」という事は、「人が死んでもいい」と言う事であって、その意味はあまりにも重い。そうそう簡単に口にはできない。

あと、「アメリカ=正義」「タリバン=悪」という単純な構図を簡単に信じ切ってしまうのはどうかと思う。もちろん、それぞれをどう判断するかは各人の自由だが、今のように偏った情報のみを元に判断するのは間違っている。今回の攻撃は、前提として「勧善懲悪」という大義名分は立っていないと思う。そういう根本的な事から疑ってみなければいけない。

いずれにせよ、mine-Dは今回の攻撃に限らず、すべての戦争行為に反対します。

…こんなところでしょうかね。続きはメールでやりますか…?


Date : 2001.10.10 05:20:46
Subject : 長文注意
From : Silverboy

まずはっきりさせておきたいことが2つあります。僕は別にアメリカが「正しい」とは書いていません。アメリカが「正しい」かどうかは僕には率直に言って分かりません。それからもう一つ、これはmine-Dが言っていることではないけど、僕は日本も軍事行動に参加するべきだとも書いていません。日本が自衛隊を海外に派遣して軍事行動に直接参加するべきかどうかは別の問題として保留したいと思います。

その上で僕の考えを再度述べておくと、僕が最も言いたいのは僕たちは中立ではあり得ないということです。我々は世界でも最もアメリカに近い国の一つとして、アメリカ的なるもののかなり中心に近いところで毎日生活しています。コンビニも、マクドも、DVDも、ネットも、ロックも、すべてはアメリカそのものであり僕たちは毎日アメリカを呼吸して生きています。そんな場所で生きている僕たちが、アメリカの便利さやアメリカの気持ちよさだけを享受しながらアメリカの汚さをあげつらうことができるでしょうか。父親がヤクザだからといってその稼ぎで出された晩ごはんを食べたくないなら、僕たちは家を出るしかないでしょう。

僕たちは好むと好まざるとに関わらずアメリカというヤクザの稼ぎでメシを食っている家族なのです。メシだけを食いながら父ちゃんの仕事は汚いからイヤだというのはただのわがままです。それは日本だけではなく、ドイツもイギリスもフランスも同じことです。ただ養ってもらっているだけではなく、僕たちも知らず知らずのうちにヤクザ稼業に加担しているのです。僕はそのことを最も言いたかった。父ちゃんが一家の命運を賭けて隣のヤクザとケンカを始めちゃったときに、そのケンカで隣の子供がケガするかもしれないからケンカはダメだなんてことを言ってる余裕はないんじゃないかと思います。父ちゃんがやられたら困るのは僕たちなんです。

もちろん戦争では人が死にます。それは気持ちのいいことではありません。そしてそれはmine-Dの言う通り重いことです。しかし、テロでも人は死にます。我々は今、国ごと人質に取られたような状態にあるのです。だれかに死んで欲しいとは思わないけど、犠牲者が出てもやむを得ない、それを口にするのははばかられることだけど、だれかがそれを口にしなければならない時というのは存在します。空爆でアフガンの民間人に被害が及ぶのを容認するか、テロで先進国の子供が傷つくのを受忍するか、これは究極の選択です。カレー味のカレーはもうどこにも残っていないのです。我々はそういう世界に一歩を踏み出してしまったのだし、その直接の引き金を引いてしまったのはテロリストの方なのです。

軍事施設だけを狙っても民間人に一人の被害も出さないことは不可能です。僕は民間人に被害が出ないと信じている訳ではもちろんありません。無差別爆撃でなく軍事施設を標的にした意図の明確な攻撃はその限りにおいて評価できると言っているだけです。

だれも死んで欲しくない、僕もそう思います。この紛争を、テロもよくないけどヤツらの言うことにも一理あるよな、なんて冷静に安全地帯から眺めることができたらどんなによかったかと思います。しかし、彼らのテロの矛先が我々の生活そのものに向けられていることを知った以上、僕はもはや局外者ではいられないと思いました。仮に客観的に見てタリバンが正しくても、僕の生活を脅かすものは僕の敵です。そのことは疑う余地がないと僕は考えます。、「アメリカ=正義」「タリバン=悪」なのか、その逆なのか、僕にはあまり興味がありませんしそのことを公正に考えてみる気もしません。なぜなら、僕は自分が正しいと思うから生きているのではなく、僕が僕であることそれ故のみで生きているからです。

こんなもんかね。長くなったね。


Date : 2001.10.10 12:52:11
Subject : もう1回だけ
From : mine-D

確かに安全保障条約を結んでいる限り、国としてアメリカの姿勢を支持するのは当然かもしれないし、そうした国家としての立場を考えずに戦争反対を唱える事は無責任なのかもしれない。ただ、やはりぼく個人としては戦争行為に何の意味もメリットも見いだせないし、その行為に対して反対だ、という立場は固持したい。そのラインは譲れない、と。

あと、「直接の引き金」を引いたのはあっちだけど、そこへ至るまでの道筋があったはずだ、ということ。今回のテロ事件では「why」という部分がゴソッと抜け落ちてる気がする。なぜ彼らは引き金を「引かなければならなかった」のか。そこが知りたい。

確かにぼくらはアメリカの資本主義を受け入れ、経済的な豊かさや文化を享受している。それは間違いない。けれど、別にアメリカに「食わせてもらっている」ワケではないので、ヤクザの親分を父親に持ったというより、どちらかと言うと「盃を受けて子分にしてもらった」という方が近いだろう。

昔は日本も大親分アメリカに盾突いていた。でも、派手な抗争の果てに、ボロ負けした。コテンパンにやられた。そこで大親分は日本を丸裸にした後、「もう二度とケンカはしない」という誓いを立てさせた。証文も取られた。日本はすっかり堅気に戻った。商売に精を出し、そこそこ立派な生活を送れるようになった。でも、ある時大親分は「盃を分けてやる」と言い出した。明らかに利用されているのは分かっていたし、葛藤もあったが、結局その盃を受ける事にした。なにより、大親分に憧れていたし、はっきり言ってその事で受けるメリットも大きかった。かつては「二度とケンカしない」と誓ったけど、やはり怖いのでドスやハジキを身につけるようになった。誓いに矛盾しているようだけど、現実を見るとそうも言ってられない。その代わり、「相手が手を出さない限り応戦しない」という誓いを立てた。その後、大親分は盃を分けた事を理由に、出入りの時には手を貸せと言ってきた。かつて立てさせられた誓いとは矛盾しているように思ったけど、迷いながらも「それじゃ…」という事で色々できることを考えている。

確かに日本は大親分一家の一員だ。でも、他の組員とは明らかに違う一面がある。あの時大親分に立てさせられた誓いだ。そして、それは単なる約束ではなく、ある意味思想として日本というチンピラの心に染みついてしまっている。昔ほどの勢いはなくなったとは言え、ずっと第一線でバリバリやってるイギリス兄貴なんかとは、まったく事情が違うのだ。ヤクザとしては実に奇妙なパーソナリティだけど、そういう変わったヤクザだからこそ言える事もあると思うのだ。「親分、いい加減こんな稼業からは足を洗いましょう」までは言えないとしても、「今度の出入りは割に合わないんじゃ…」くらいは言ってもいいんじゃないか。とにかく、大親分に世話になってるとはいえ、自分をイギリス兄貴やフランス兄貴と同じだと考えるのはそもそも根本的に違ってるような気がする。


Date : 2001.10.11 17:50:47
Subject : いつもたのしく読ませていただいてます
From : Rin

私の家族親戚にはいろんな外国人がいるんで、今回の事件はたいへんみ近な問題としてとらえています。

いとこのの夫ムハンマドは爆撃を怒っています。彼はアフガンの市民を心配しております。
しかし、「何がどうその根っ子にあろうとテロはテロ、犯罪は犯罪。犯罪にはパニッシュメント。それは「迅速に(重要!)」行われなければならない。」と申しておりました。そしてテロリストはムスリムではない事をもっとまわりのムスリムの国が声を大にして言うべきだとも。彼は爆撃には胸を傷めています。でも話を聞かない相手にそれ以外のいい方法がない事もわかっているそうです。アメリカは努力している事も。そして報復してもしなくてもテロは続くって事も言ってました。だから、基本的には戦うという姿勢、選択が正しいという考えだそうです。

兄の奥さんサマンサは報復を唱え星条旗を購入しました。彼女は聖書の中に救いを求め、ひっしにこの戦いの正当性をさがしていました。でも実際一匹の羊を助けるためにその他全部の羊を捧げるわけにはいきません。その理論からいくと、まよえるハイジャック犯と共に、みんなでビルにつっこんであげましょうって事になります。それでは社会は混乱します。聖職者が政治家になれない、なっちゃいけないのはそのへんに理由があります。

私は報復を支持します。世界の秩序のためには戦争という外交も必要です。


Date : 2001.10.11 22:17:14
Subject : 「テロは終わらない」
From : らいと!

北アイルランドといい、バスクといい、他あっちやこっちといい、全く終わらないようだけど…

終わりませんよね、互いに「目には目を」をやっている限りは。

ところで「アメリカ的なもの」とは。
そりゃ別に、政府だけが支えてきたわけじゃないと思いますが。
今回の措置は「政府レベル」の話だし、(当然ながら)反戦主張だって、少数とはいえ、あるわけだ。そこまであって、初めて(別の意味での)「アメリカ的」と言えるはずなのでは。

つまり片方の「当事者意識」を痛感するのはいいけれど、では、もう片方の当事者との「和解の道」は、どうするんですか? 過激に戦闘的な姿勢が、何も2001年9月11日のある時点で、しかも片方だけに突発したわけじゃないんだし、「解決」のためには、と考えない限り、常に「そこにある危機に対してどうするよ」という話になるだけで、全く建設的じゃないですよね。

Silverboyさんによる「『平和ボケ』の皆さん、当事者意識を持ってくださいね」「文明どうしの衝突なんですよ」「その場合、我々はどちらの文明に属しているんでしょうね?」という主張と問題提起の論理は、とりあえず分かるけど、その「当事者」を、ある一定の一方向(=「平和ボケ」)に決め込み過ぎているような気がしたので、乱暴かもしれないけど、ちょっと書いてみました。

そういえば。
つまり「奴ら」の言うことにも、やっぱり一理あるんじゃないすか?

US、一時はソ連との対抗上で、既存「共産」政府と対立しているタリバンさん達に、肩入れしてませんでしたっけ。そんな辿り方をしていけば、やはり中東をめちゃめちゃにしたのは誰よ、って話に、やっぱり、なりますよねえ。こういう機会にこそ、むしろ、あの地域をあのように追い込んだヨーロッパ、という形で、きちんと振り返るべきなのでは。英国の肩入れの仕方が笑えるけど、独りの罪って訳でもないし。…しまった。へらへら笑ってると、Silverboyさんに、叱られる。

にしても、ここの上空まで、朝から昼から夜まで、飛行機とヘリコプターの爆音、ばりばりで。
いや、こんなことで「当事者」だなんて、威張るつもりは、ぜーんぜんないんですよ。ただなあ。すごい爆音の連続で、電話の声といいTVの音といい、聞こえなくなっちゃうんだよね、という愚痴でした。この辺、60年代初期から小中学校が鉄筋で二重窓だったからなあ…(騒音防止のために「地方予算が落ちた」から)。

永井荷風さんみたく、粋に行きたいところですが。
とんでもなかったですね。
では、残念ながら、このへんで。


Date : 2001.10.11 23:17:38
Subject : テロ
From : たくりん

たとえどんな言い分があろうと、テロはテロ。
テロを起こした時点で、言い分を聞いてもらう権利を自ら放棄したとみなされるのです。
とゆーか、言い分を聞いて欲しいなら、テロなんか起こしちゃいかんのです。


Date : 2001.10.12 02:46:05
Subject : 恐らく支離滅裂になります(笑)
From : kayo

単純な疑問なんですけど、例えば一般的な犯罪で自分の大切な人が殺人事件の被害者となったとして、その犯人に復讐する行為というのは認められていないし、情状酌量はあるにしても罪として罰せられるわけですよね。
でも、どうしてテロリズムに対しては、その復讐が正当なもの(どころか正義の行為)となるんでしょうか?

もちろん、私にはテロリズムは理解できません。罰せられるべきだと思います。
もちろんテロには絶対に屈しない態度を明白に示さなければいけない。
だったら、軍事的報復の前に、国連機関で国際刑事法を適用して、きちんと”しょっぴいて”国際法に基づいて”裁く”というのが、正当のような気がします。
今までも、アメリカは必死に行方を追っていたみたいですけど、それをきちんと国際舞台でやればいいと思う。
そんな正攻法では通用しないというのは、なんだかおかしい。
「目には目を」って、それこそが相手に合わせた行為のような気がしてなりません。
相手の思うツボ、、とでもいうか。。。

ただ、これを言ったら身も蓋もないんですけど、世界は絶望的だと思うんですよ(笑、いや、笑うところじゃないですね)。
たとえ、今回の報復でタリバン政権を崩壊させたとしても、テロすべてを「根絶」なんてできるわけがないわけで・・・。
だいいち、どこまでやったら「根絶」なのか?
子供のころから、反欧米ばかりを叩き込まれたタリバン兵士になることを夢みてる子供たちまで、ぶっ殺すとでもいうのでしょうか?
そう考えはじめると、「やっぱり、未来はないよな。ダメだよなぁ。」とか思ってしまうわけです。

でも、そんなことも思いつつも、私は100年後も200年後もこの地球が存在してできれば、そこに「人」も存在してほしいと願っています。
結局、「平和」というものを手に入れるために、どれだけの長い期間耐えられるかということなのかな。10年、20年耐えて、のちの50年、100年の平和を期待するのか、1年、1年耐えて、のちの10年くらいはそこそこに平和でまた10年後に戦争するか、っていう。少し話が大きくんってしまうかもしれませんが、どれだけ自分が死んだあとのことまで考えられるか、もっと言えば、地球に長生きしてほしいか、そうじゃないのか、そこまでが視野に考えられる、またその境地に達せられるかどうかという問題なのではないのかなと思っています。

私達が先進国の一員として中東やアフリカへの加害者であることも、私達の親父がアメリカだってことも理解できる。
それでも、やっぱり私は軍事攻撃には反対です。
ニューヨークで行われた反戦デモには、テロの被害に遭われた遺族の方も多く参加していたそうです。そうやって、悲しみや怒りをこらえながら未来への希望を捨てない人達がいます。
私はそういう方々の気持ちを学びたい。

だいたいっ、軍事産業なんてもんがあること自体がいけない。
日本は確かにアメリカの言いなりだけど、戦後からはとりあえず好戦的な国ではないのは確か。それは、とてもじゃないけど太刀打ちできるような武器なんて持ってなかったからという言い方もできるわけで。。
ぶっつぶせる兵器があるから使っちゃうんだから、そんなもん作るなよっ。
なんて、最後はものすごーく乱暴&非現実的なことを言ってしまいました。
(でも、これが理想なんですけどねぇ)

やっぱり支離滅裂でしたね(^^;。


Date : 2001.10.12 06:36:02
Subject : みなさん、ありがとうございます。
From : Silverboy

会社から帰ってきたら書き込みがこんなに…。みなさんありがとうございます。管理人冥利につきますね。厳しい話題なのに感情的にならずに節度を保って下さっているところが嬉しいです。

さて、皆さんの論点の一つ一つにレスをする余力もないし、またその必要もないかと思います。まとめレスになりますが、僕の考えのアップデートを。

まず国際法廷でテロリストを裁くことについてですが、およそどのような司法制度も強制力の裏付けなしには機能しません。日本の裁判制度も警察力や強制執行という強制力の裏付けがあってこそワークしている訳です。テロリストはもともと国際法秩序に背を向けたアウトローの集団ですし、今、アメリカはまさに彼らを「しょっぴく」ために実力を行使しているのだと理解しています。

それから、テロリストの言い分にも一理あるという考え方。彼らがテロリストでなければ僕もそう思います。アンチ・グローバリズムの問題とも通底すると思うのですが、ソ連が崩壊し、冷戦が終わって、対抗価値のよりどころがなくなった今、世界はアメリカを象徴とする市場経済万能主義の一人勝ちに見えます。そうした世界で疎外されている者がいかにその存在を主張できるか、というのは、大変重要な課題であり、論じられなければならない問題「でした」。

しかし、テロリストがその問題の解決を一足飛びに暴力に求めた今、本来アメリカに突きつけるべきだったこの鋭い問題が台無しになり、無効になってしまったのではないかと思います。彼らは自ら「そんなことは考えてくれなくて構わない、なぜならオレたちはお前たちを皆殺しにするからだ」と言い放ったのです。いくら「一理」あっても、彼らのために何かを考えることはもはやできないというのが筋論ではないかと思います。そういう重要な問題をぶち壊してしまったテロリストに僕は強い憤りを感じます。

もちろんテロを撲滅することは現実には大変困難な課題です。拠点をつぶしてもテロリズムはなくならない、なぜならテロリズムの最後の拠点はテロリストの心に中にあるし、それは空爆でもつぶせないから。しかし、だからといって我々は手をこまねいて自分の生命がテロの危険にさらされるのを我慢しなければならない訳ではもちろんありません。彼らの軍事拠点を攻撃し、資金源を断ち、周囲の穏健なイスラム社会からも孤立させることで彼らの活動力を殺ぐことはできるし、それによってテロの脅威を大きく減らすことはできるはずです。

その一方でテロを生まない社会の建設に邁進するのが正しいあり方だとは思いますが、僕はそんな社会がいつか実現するとは思いません。なぜなら人間は果てしない欲望とエゴによって生きているものであり、どんなつまらないものを巡ってでも争いは起こり得るからです。どんなに理想的な社会を作っても、人間はそこに些細な差異を見つけては争おうとします。もちろん人間の本質はそれだけではなく、同時に多くの美点もあるのですが。そしてそのような多面性を持っているからこそ人間は人間なのだと思います。

じゃ、今日はこんなところで。


Date : 2001.10.12 16:56:05
Subject : 今思えば
From : らいと!

インティファーダの頃は、まだまだずっと牧歌的(という言葉が適切かどうかはともかく)でしたよね。

ただ、石を投げたお返しに、いちいち「政府」「国際社会」の名を借りて、圧倒的な(追いつきようがない)経済力を背景に空爆を筆頭に軍事攻撃を繰り返されるようでは、爆撃される側が、どんどん煮詰まるのも避けようがない、という点で、私は「一理」と申し上げたわけです(それ以上、時間を溯っても話が長くなるだけなので、とりあえずインティファーダ以降で切ります)(相変わらず乱暴だけど)(ついでながら、「経済力」というのは、国際社会では即「軍事力」ですよね)。

つまりそこに、あまりにも長年にわたってきた因果応報関係が否応なしに存在する以上、今回の措置(開戦)もまた、ここまで事態を悪化させた「目には目を。歯には歯を」構造の域を全く脱していないばかりか、その構造そのもの。より強化しただけに過ぎず、恐怖の螺旋階段を、どんどん上り詰めているだけ、としか思いません。

ところで、どこからがテロで、どこからが「国際法上の(合法的な)(?)戦争」なんでしょうね。それを定義しているのは、いったい誰なんだろう。たとえば、あのテロの方々は、そもそもイスラエル軍による軍事行為を「違法=テロ」と思っているわけですが、たしかに、検証のしようによっては、実に「違法」である可能性が大。だから彼らにとっては、皆さんがおっしゃる「テロ」そのものが、「相手のテロに対する報復」。「一般市民が予告なしに多数巻込まれ」と言うなら、もう、そんなことの繰り返しばかりでしたよね(あっちもこっちもそっちも)。突き詰めれば、同じ論理の反復運動でしかないと思うわけです。

「西側(冷戦定義の「西」ではなく英語的 Western world のことですが)の論理の中で主張しろ」「それでなんぼだろ」というご意見もあるかと思いますが、その論理の枠組みが、かなりに一方的に出来上がっているのも事実ですよね。となれば、繰り返しになりますが、イスラエル軍による軍事行為の合法/違法性を問おうとしたら、おそらく片方が自ら墓穴を掘ることになるのでは。

しかもそこで「心の中」とまでなると、テロリストと「報復爆撃」と発想する人達の間に、実際にどういう差があるのか、私には判りかねてしまいます。

最後は前回と同じ結論になりますが、所詮「懲罰」に及んだところで、(いわゆる「テロリズム」を)絶滅も撲滅もできない以上、やはり、強者の側からこそ、別の道を探るべき「だった」と考えます。撲滅はできないにしろ、我々ガ「あっちもこっちも」という恐怖に苛まれる以前に、「増やさない」ぐらいの方向は、あるはずなのにね。「増やす」方向にしか向かっていないところが、非常に痛いわけですよ。「これじゃ、懲らしめて減らすどころか、増やすだけじゃん」。なにも「邁進」まではしていただかなくて結構ですが、「助長」する必要もないはずなのにね(今までさんざん「助長」し続けてきたんだから、今さら遅いけど)。

もっとも、(いわゆる)弱腰で行ったら、薮さんも、別の意味で(国内的に)大変なことになっただろうし、今さら、他に対処のしようがな「かった」、というのもまた理解の範疇なんですが。

さらに。以上以下すべて、今回のテロ集団に同情しろという文意ではありません。経緯の中で、大多数に対する、あるべき説得力を台無しにしたという意味では、Silverboyさんと、全く同意見です。

ただ、この機会に、「当事者意識」で鎧を固める…のもありかもしれませんが、せっかくだから、一方で、なぜこうなっているのかを考えるのも、有益なのではないかと思っているから、書いています。

ところが、おかげで、これまでの行きがかりをかなぐり捨ててでも、一瞬の局面しか見ていない圧倒多数(というより「発言力がある多数」というべきか)を巻込んで、片方にばかり「説得力」が一極集中している状態というのは、一体どんなもんなんだろうね、正直言って嫌だな、気分悪いな、…ということでした。

それに「(定義曖昧な)『テロ』は悪」「罰するべし」の斉唱になるのは、むしろ恐ろしいし。それこそ「アメリカ的」にも。


Date : 2001.10.13 00:47:09
Subject : 報復もテロも一緒と言えば一緒だけど
From : たくりん

自分にとって守るべき価値観を壊された時、人は、テロに遭ったと思うのでしょう。
だから逆に、自分にとって気に入らない価値観を暴力によって壊す、これがテロだと言えます。
こういった自己中心的な考え方は、人間誰にでも(少なくとも僕自身には)あるものです。
だからこそ、テロは許さない・許されない、というコンセンサスが必要なはずだと思うし、
その考え方が浸透することによって、人々の中にモラルが育つのではないかとも思うのです。


Date : 2001.10.13 16:32:09
Subject : テロと戦争
From : Silverboy

テロと戦争に非対称性が存在するとすれば、それは国際社会に認知された国家が行うか、それとも国家外の勢力が国家に対抗して行うかの違いだと思います。

もちろん現在の国際社会、つまり世界中の地面をほぼ余すところなく分け合った主権国家・国民国家の集合体とその互助組織・意思結集機関である国連を中心とする秩序が、らいと!さんのいう「西側」的な原理に支配されたものであることは疑いを入れません。したがってその正当性がある意味で「一方的」なものだということは否定できない事実です。

しかし、現在、世界中で異なる制度や考え方を持つ多くの人々が対話できる世界規模のプラットフォームはこの国家を単位とする国際社会しかあり得ません。このプラットフォームはかけがえのない人類の財産であり、その成り立ちに「一方的」なものがあるにせよ、これ以外には今のところ代えのきかない貴重な、唯一の対話のチャンネルなのです。

だからこそ共産主義諸国も、イスラム諸国も、国連を脱退するということはしませんでしたし、「国家として承認される」ことが国際社会における正統性の源泉になり得る訳で。国内でテロを行う勢力も、最終目的はたいてい自らが政権を握って国際社会に承認され、国連に加盟するということだと思います。

しかし、今回のテロはそうした国連を中心とする世界秩序そのものを敵とみなしているのではないかという気がします。それは一種の「国際無政府主義」であり、これまで主張の違うものどうしが何とか共通のプラットフォームを通じて破滅的な危機だけは回避してきたという知恵への挑戦です。それゆえに今回のテロにはとりわけ国際社会が敏感に反応し、アメリカの外交的呼びかけに対してロシアや中国、イランまでが少なくとも「テロ許すまじ」という点では一致することができたのだと思います。

したがって、「西側の論理の中で主張しろ」というよりは、実態は同じだとしても「唯一の共通プラットフォームである国家的枠組みの中で主張しろ」ということなのではないかと思います。


Date : 2001.10.14 00:42:21
Subject : 本気でテロをやろうと思ったら
From : 青空百景

いくら対抗して「軍事報復」をやったって、まるで無力ですね。と炭そ菌騒動の報道を読みつつ思いました。
てなわけで私は、「対費用効果」という点からみても今回の「報復攻撃」には首を傾げます。いたずらにアフガニスタンの土地を破壊し、「アメリカ人は仇だ!」という人を増やして、でもってテロは全然おさまらない、どころか、よけい危険になってるんだよなー。
それにしても我らが純ちゃん総理の恥ずかしいこと。何でこの人未だにこんなに支持率高いのか、さっぱり判らんぞ。



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