THE SONGWRITERS なかにし 礼
■ NHK総合「THE SONGWRITERS」 4シーズンに亘った番組の最後は、「佐野元春が語るソングライティング」と題し、これまでのゲストの発言シーンのダイジェストを交えながら佐野が自らのソングライティング論を語る構成となった。ゲストはなかった。 このセッションで佐野が繰り返し強調していたのが、「共感」というキーワードだ。ソングライティングとは何かという問いに対して、それは「共感を求めるための作業」だと答え、良い歌詞とは何かというテーマにも「共感を集めることに自覚的か」を基準として示している。また番組の終わりに再びソングライティングとは何かと自ら問い、「共感伝達としての『音楽』『言葉』」について論じている。 佐野にとってソングライティング、曲を書くということは、決して自らの表現衝動の単純で一方的な表出ではなく、それを通じてだれか(自分に似ただれか)と共振することがその本質的なモメントとして意識されている。それは常に「聴き手」の存在が前提されているということであり、佐野の曲には「名宛人」が存在するということである。このことは我々がまさに「聴き手」として佐野の音楽を聴くときにはっきり意識されなければならないと思う。それはただ単に風に乗せて歌われたものではなく、あなた自身に宛てられたものに他ならないのだから。 良い歌詞とは何かというテーマに対しては「自己憐憫ではない詩」ともコメントしていてとても印象深かった。恋を失ったり逆境に打ちのめされたりするとき、「可哀そうな自分」をモチーフにし、その「泣き」を共有することで情緒的に慰撫されようとする精神性を佐野は拒絶する。なぜならそれは自らの生を、そこにおける世界との対立を、主体的に引き受けることを忌避し、もたれあいのような共同性の中に解消しようとする態度だからだ。ソングライティングとは何より自分自身の想像力との格闘であり、そこにおいて自己と対峙することは避けて通れないプロセスなのだ。 だが、それではソングライティングは世界と対立するための営為なのだろうか。それに対しても佐野は明確にノーと言っている。ソングライティングとは「世界を友とするための作業」。そこに立ち現れた世界との絶望的な対立に、しかし何とかして折りあいをつけ、世界と再び和解するために曲は書かれるのだと佐野は言う。このことは佐野の音楽を聴く上で重要なステートメントだ。音楽は何より、世界を友とし、世界と折りあいをつけるための武器である。それはこの世界のどこかに居場所を確保して生き延びようとする意志の表明に他ならないのである。 そこにおいて必要なものは「良いユーモアの感覚」である。そしてそれは絶望の裏返しでもあると佐野は言うのである。ここに至って、ソングライティングは世界を友とするための作業でありながら、それは決して達成されることはなく、ただその絶望を前提としながらもそこに向かって試行を繰り返し続けることこそが表現の本質であるという佐野の基本的な考え方が明らかにされるのだ。 それは佐野がこれまで40年以上かけて歌い続けてきたことを、論理的に述べたものである。こうした認識が佐野自身の口から説明されたことの意味は極めて大きいと思う。それはリスナーが佐野の音楽に向き合う時の重要なガイドになるはずの声明である。この言葉が語られてから9年後に、僕はそれを再発見することになった。この番組自体が日本のポピュラー音楽の歴史に残る重要な試みであったことは論を待たないが、その最後に語られた佐野自身のソングライティング論はそれを締めくくるにふさわしい大きな示唆を含んだものであったと言っていい。アーカイブとしてアクセスが随時可能となることを望む。 (2021.12.15) 2021 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |