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キリンジとして活動する堀込高樹、堀込泰行の兄弟がゲスト。

キリンジといえばクセのあるメロディと「文学的で難解な」歌詞で凝った曲を作るが、それが結果としてポップ・ソングとして成立するという、英国でいえばXTCやスクイーズみたいな位置づけのバンドだと思っていて、その曲作りのプロセスについて語られるセッションは非常に興味深かった。

高樹が「文学的」と「文学であること」は違うと説明し、文学的と評されることに違和感を示したのは共感できた。何だか小難しい言葉を使って分かったような分からないような歌詞を書くことが「文学的」だというなら、それは「文学」とは何の関係もない単なる思考停止の別名に過ぎない。表現者がそれを拒絶するのは当然だろう。

キリンジの曲の世界観が他にあまり例のないユニークなものであるのはおそらく間違いがないが、その本質が何であるかは難しい。音楽自体はポップ・ソングとしてスムーズなものだが、そこで描かれるシーンはポップ・ソングのテーマとしてオーソドックスな恋愛などであるよりは、象徴的で抽象的な、現代詩のようなイメージであったりする。現代詩からの影響は高樹自身が番組でも述べていたが、そこには既存の共同体の物語に安易に依拠したくない、そこにある調和を異化したいという強い意志が見えるようだ。

「詞だけが独立して先にあるということはない」という発言通り、彼らの曲作りは所謂「曲先」であると説明されていたが、それは単に音符に言葉を乗せるというよりも、曲自体が要求するシーンの焦点を徐々に絞りこんで行く中で言葉が立ち現れてくるという営為であると泰行が説明しており、ここにもまた、彼らの曲がお仕着せのイメージではなく、個々の中の固有の物語を喚起する強いシーンをこそ要求することが示唆されている。

彼らの音楽がこうしたソリッドなコミュニケーションを志向し、因襲的な共同性からの逸脱に向かうのは、番組で語られた通り、彼らが埼玉県の出身であることとも大きく関わっていると思う。埼玉県は知られる通り東京のベッドタウンである。都内の先進的な文化環境でもないが、地方都市や田舎の地縁社会でもない、ニュータウンや団地の生活環境や人間関係が、彼らの音楽の成り立ちに大きな影響を与えたことは想像に難くない。

「ぼんやりした街だなと思っていた」と泰行が語った通り、彼らの音楽の本質の一端は「郊外」のアンチ・クライマックス、アンチ・ロマンチシズムとしての終わらない日常の物語と、それを支える団地の核家族的な希薄な人間関係によって確実に規定されている。彼らが、当たり前の恋愛などの感情の動きよりは、一枚の写真のようなシーンをモチーフにイメージを展開することを得意としたこともそれによって説明できるのではないか。

彼らが用意したメロディに学生が歌詞をつけるワークショップは、シンプルではあるが、単に音符の数に合う言葉を探すだけではなく、曲自体があらかじめ内包している言葉を見つけ出し、曲の中から取り出して空気中に解放するプロセスとして見た時に非常にスリリングであり、佐野とキリンジの二人が選んだ学生の作品は、そうした歌の言葉の内発性を意識したものであったと思う。

最後にキリンジ自身が課題曲に歌詞をつけていわば「お手本」を示した際、その1行目が「目をそらさないで」といういささかステロタイプに流れたものであることを看破しそれを指摘した質問者の学生の着眼は素晴らしかった。それに対して高樹が「そこは迷ったところで最後にできた部分」と率直に明かしたのもよかった。表現というのはこうして高められて行くのだと思った。

佐野と彼らの会話が非常にロジカルに噛み合い、両者のインテリジェンスが印象に残ってソングライティングということについて考えの深まるセッションだったと思う。



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