logo THE SONGWRITERS 2nd Vol.9 / Vol.10 RHYMESTER


ラップにほぼ興味も知識もないため、この番組を見るまでは正直名前も知らなかったヒップホップ・グループ、RHYMESTERがゲスト。MCの宇多丸とMummy-Dが佐野とトーク・セッションを行い、DJ JINは後半のワークショップに参加してターンテーブルを回した。

ラップ、ヒップホップという表現形式は僕の中ではあまりリアリティのないものだ。なぜだか分からない。好みの問題だと言う外ない。しかし、それだけに今回の放送は興味深く見ることができた。

まず印象的だったのは、ゲストの2人が知的で明晰な人物であり、ラップという音楽の特質についても、具体的なライミングの方法論についても、非常に自覚的に考えていることだ。ヒップホップといえば僕にはギャングスター・ラップや「親を大事に」的な説教ラップのイメージが強かったが、影響を受けたラッパーとして近田春夫やいとうせいこうの名前を挙げた時点でちょっと真面目に話を聞こうかという気になった。

ラップにとってライム(押韻)がどれだけ重視されているかということが分かったのも興味深かった。また、英語と日本語の押韻の手法の違いについて論じた部分は、はっぴいえんどから佐野元春、桑田佳祐らに関してかつて何度も繰り広げられた日本語のロックという議論をそのまま平行移動して聞いているようで面白かった。

そして、最後の質疑応答で、Mummy-Dが「韻を踏むことで不本意になるときには韻を踏まないようになった」と明快に話していたのは、ラップ方面の問題意識としては重い認識なのではないか。ラップにおいて押韻が重要なものであればあるだけ、そのスタイルと本質的な表現衝動とがぶつかり合う局面は不可避だろう。それを指摘し質問した学生の問題意識は素晴らしいと思ったし、それに対して敢えて「破調」の可能性を正面から明言したMummy-Dの表現者としての真摯さも評価に値するものだったと思う。

だが、この日の番組で最もインパクトの大きかったのはワークショップだろう。彼らの曲から最初の1行を借り、そこから会場の学生に1行ずつ連詞をさせるやり方自体は前回の岸田繁のものと同じだが、ここではDJ JINによるバックトラックにその場でライミングを乗せるというより即興性の強い試みがなされていた。

このワークショップはラップという表現の特徴を実感できる試みだったと思う。押韻を意識して慎重に言葉を選びながらも、その連想の広がりはロックのフォーマットよりも自由度が高いように感じた。「ラップだと普通はテーマにならないようなこともテーマにできてしまう」と宇多丸が説明していたのも印象的だった。

そしてシンプルなバックトラックにライムを乗せるだけで取り敢えず成立してしまうラップという表現の直接性、訴求力には正直想像以上のものがあった。学生たちの持ち寄るラインがハプニング的に展開し、歌ではないがただの話し言葉でもない、独特のリズム感を持ったラップに仕上がって行くさまは、端的に言ってカッコよかった。何でもないような歌詞がその何でもなさ故にカッコいいということ、そしてカッコいいということがユース・カルチャーにおいては最も重要な価値であるということが実感できた。

ラップにおいてはメロディという仕掛けを経由しない分、その表現はよりオープンでより強いアタックを持っている。恐ろしい勢いで情報が回転し消費される世界で、ラップという表現がコンテンポラリーなものとして受け入れられる理由の一端が分かるような気がした。

それはセッションの中で彼らが言及していたとおり、単位あたりに詰めこめる情報量の問題でもあるだろう。コンピュータの記憶容量が飛躍的に大きくなり、今や小さなUSBメモリにかつてのフロッピーディスクの何万枚分もの情報が簡単に収まってしまうように、情報量を圧縮したラップという表現が時代の要請に即したフォーマットであるということを示唆しているようにも思える。

もちろんそれは、ラップ、ヒップホップの側のテーマであると同時に、ロックの側の問題でもある。ラップの情報量の多さが逆に行間を埋めてしまい想像力の入り込む余地を塗りつぶしているのではないかというラップの側からの懸念と表裏をなすように、ロックがこの時代において世界と渡り合うために何を武器にして行くのか、それを考える上でも非常に得るところの多い番組だったと思う。



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