logo THE SONGWRITERS 2nd Season Vol.3 / Vol.4 後藤正文


セカンド・シーズン2人目のゲストはアジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文。アジカンの音楽は聴いたことがないし、どのような音楽をやりどのような位置づけにあるバンドなのかも知らない中で番組を見た。

そのような目で無責任に見て思うことは、後藤正文という人が大変インテリジェントな人であるということだ。話す内容は非常によく整理されており、語り口も理路整然としている。自分の中の思考を的確な言葉で表現できる明晰な頭脳を持った人であると思う。

しかし、興味深いのは、それと同時にこの人が音楽においては内発性、自発性を重視していることだ。それは詩に即興で曲をつけるワークショップでの試みでも明らかだし、「自分はミュージシャンだと思っている」「音楽に詩が追いつかない」といった発言からも、初めから理詰めで音楽を構築している訳ではないことが分かる気がする。

そうしたインテリジェンスと内発性、衝動性との二面性がおそらくこの人たちの表現のベースになっているのではないかと思う。そのことはインプロビゼーション的に作曲して見せたワークショップのスリリングさによく表れていた。「人格が変わったようで目が離せなかった」という学生の感想は非常に正直なものだろう。

この人においてその二面性をつなぐキーワードが速度、スピードであるというのも面白い。音楽の方がスピードが速く言葉がそれを追いかけるという認識はこの関係を的確に言い表している。曲と一緒に出てくる言葉はスピードが速いという発言も示唆に富むものであったと思う。

もちろん、だからといって後藤の書く詩がまったく作為的、技術的なものであるかといえばそういう訳ではない。示されたいくつかの例からだけでも、そこにこの人の世代観や世界観といったものが非常にストレートに表現されていることが分かる。それは、物心ついたときには既にすべてがあり、逆にだからこそ何もないという困難な環境の中で、自分の属する世代というものの居場所を探す試みだ。

その意味においては詩作もまたこの人の中では内発的な営みであるのだが、ただ、そのスピードが音楽とは異なるということであり、また、その過程で(佐野の言葉を借りれば)「ロック・ポエトリー」として韻律的に整理されるために、そこに自覚的でインテリジェントなモメントが忍びこむということなのではないかと思う。

そうした音楽と詩のせめぎ合いという点では、バンドに演奏を詩に寄せるなと指示しているという発言も興味深かった。言いたいことなど何もないから英語で歌っていたという初期のあり方から、日本語での詩作に転じながらも歌詞よりは音楽を聴いてくれと思っていたという時期を経て、今は音楽も歌詞も聴いて欲しいという後藤の考え方の変化は、後藤がロックにおける歌詞というテーマに自覚的に取り組んできた軌跡のはずだ。その辺りの話はもう少し突っ込んで聞きたかったと思う。

また、カタカナとして通用しない英語は使いたくないというのは、彼が歌詞を縦書きしていることとも相まって面白かった。僕たちが佐野の歌詞を考えるときにも参考になる視座だろう。

今回の番組で佐野は、後藤正文というクリエイターの中で、インテリジェンスと内発性の反発と融和のプロセスがロックとして結実して行く原理のようなものを明らかにした。それは佐野自身の音楽とも通じるところがあるのではないかと僕は思う。



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