logo THE SONGWRITERS VOL.11 / VOL.12 Kj (Dragon Ash)


Kjことドラゴン・アッシュのフロントマン降谷建志をゲストに迎えた最終回。降谷は佐野が主宰するショーケース・ライブ「THIS」に出演したり、アルバム「Stone and Eggs」で『GO4』をリミックスするなどこれまでも佐野と関わりのあったアーティスト。僕としては『GO4』のおかげでアルバム「Viva La Revolution」を買ったがほとんど聴いていないといった程度の認識。

腕に派手な刺青をし、足を組んだ降谷は一見ノーティなバッド・ボーイに見えるし、言葉遣いもいかにも現代っ子であるが、よく聴いていれば彼が極めて生真面目なアーティストで、この番組の収録にも誠実に向き合っていたことが分かるだろう。若干の「カッコつけ」はあったかもしれないが、その率直で真摯な態度は好感の持てるものであった。

僕は先に述べた通り彼らの音楽をきちんと聴いたこともないのであまりエラそうなことも言えないのだが、彼らに限らず日本のバッド・ボーイ・ミュージックには、見かけや態度こそ偽悪的だが、そのメッセージの内容が驚くほど道徳的で、親や友達を大事にしろとか前向きにしっかり生きろとか、まるでオヤジの説教のようなことを得々と歌うひとつの流れがあるのではないかと思う。そして、ドラゴン・アッシュもまた、そうした一派に連なるアーティストとしての一面を持っているのではないだろうか。

それは何も目新しいことではない。若いときに手のつけられない不良だった友達が、中年になって親の商売を継いで社長か何かになり、地元のライオンズ・クラブ辺りで「オレも若い頃はいろいろ無茶したよ」などと得意げに語ったり「お前もそろそろワルは卒業しろよ」などど後輩にエラそうに説教したりするのは以前からよくある光景だ。僕はそうしたメンタリティが(反吐が出るほど)嫌いだし、それは本来的にはロックから最も遠いところにあるものだと思っているが、逆にそうしたものがロックと極めて混同されやすいのもまた事実である。

この点について、降谷が「インスタント・ソング的に『感謝』とか『尊敬』というだけで曲ができちゃうような風潮を作り出した責任の一端はある」とコメントしていたのは興味深かった。しかし同時に、佐野から「ポジティブな詞を書くのは意図的なものか」と問われた降谷は「自分の作品が仮に何らかの影響力を持ち得るのであればリスナーを力づけるようなものを書きたいと思っている」とも答えており、降谷がそうした問題に自覚的であること、そこには降谷のある種の覚悟があることもよく分かった。

バッド・ボーイ・カルチャーがなぜ最終的に極めて因襲的な道徳観に回収されがちなのかは別の機会に論じることにしたいが、この番組がこうした問題に対する降谷のスタンス、距離感を明確にしたことには価値があった。

学生からの質疑を長めに取り、おそらくはドラゴン・アッシュの熱心なファンである彼らの容赦ない質問に、一所懸命答えを出そうとする降谷の姿勢をくっきりと映し出したのはよかったが、番組全体のメリハリとしては、降谷の自筆原稿を「拝見」した程度で、降谷の中から詞が立ち上がってくる瞬間に今ひとつ迫りきれなかった感は残る。

繰り返しになるが、降谷の表現に対する意外なまでに真摯な態度には胸を打たれるものがあった。しかし、降谷の表現の拠って立つ場所が僕にとってはいささか違和感のあるものであることは置くとしても、今回の番組はその源泉を明らかにするには至らなかった。それはホストとしての佐野の問題であるよりは、それが降谷自身にとっても対象化されていないからではないかと僕は思った。



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