logo THE SONGWRITERS VOL.9 / VOL.10 矢野 顕子


僕にとって矢野顕子はあくまでピアノ奏者であり作曲家でありアーティストであって、詞を書く人ではない。その意味で、「音楽における言葉」を追求するというこの番組に矢野が出演するのは意外であった。

その点を別にしても、矢野はアーティストであり、それゆえ彼女の方法はおそらく彼女に固有なワン・アンド・オンリーなもの、ユニークなものであって、だれかと共有できるものではないと僕は思っている。真にアーティストであるということ、――言葉が適当か分からないが――天才であるということはそういうことだ。だから、彼女の方法を知ることはもちろん興味深いことだしスリリングだが、それを知ってもそれを真似することのできる者はいない。彼女に並ぶ天才がなければ彼女の方法は無意味であり、彼女に並ぶ天才なら彼女の方法を参考にするまでもない。

この番組を見て思ったのは、矢野は非常に強い自己を持ち、自分のうちにある創造的な欲求と日常的に孤独な取っ組み合いを演じているのだろうということだ。番組中で紹介されたいくつかの曲を聴くまでもなく、矢野の作品が詞にしても音楽にしても非常にスポンテイニアスに立ち上がっているもののように見えるし、ある意味では実際にもそうなのだろうが、それは決して矢野が自らの内側からあふれるように湧き出る言葉や音楽を垂れ流しているということを意味しない。

むしろ、矢野は、自らの内からあふれ出るものなどおよそ何もないようなアーティストからは想像もつかないくらい、自分の中にある創造的な泉のような場所と真剣に対峙し、そこからわき上がってくる言葉や音楽と厳しく対話しているはずだ。彼女はそれらを問い詰め、それらがそこになければならない確かな理由を探しているはずだ。さもなければそれらは勝手にあふれ出してそこらじゅうを埋め尽くしてしまうからだ。彼女にとって創造とは、何もないところから何かをひねり出すことではなく、そこにあるものをどのようにして最も相応しい姿で世界に迎え入れるかということなのではないだろうか。

それを考えれば、今回の矢野のトークが、結局のところ彼女自身のアティチュードとかあり方に関するものに終始し、実際の作詞、作曲のスキルに関する具体的な話がほとんどなされなかったのも当然であろう。おそらく、彼女にはそのようなクリエイションの過程を僕たちに分かるように説明することはできないのではないかと思うし、仮にできたとしても僕たちにはその真に意味するところは分からないだろう。矢野顕子は表現において特権的なアーティストであり、僕はこの番組でそれを確認できたような気がした。

学生たちの書いた「5W1H」やそこから佐野が書き起こした詞に矢野が曲をつけるワークショップもその意味で大変興味深かった。さだまさしも似たようなワークショップを行ったが、この日の矢野のそれは、さだとは異なり、その詞にその曲がついて歌われることについての説明は一切なされなかった。母親から子供が産まれるのに理由はないように、その曲もまたごく自然に矢野から生まれ落ちたように見えた。そしてそれにはどんな論理的な説明よりも圧倒的な説得力があった。矢野が思いをめぐらしながら鍵盤に手を置き、最初の一音を弾き始める瞬間の尋常ならざる緊張感は、それがまさに表現の「誕生」に他ならないことをどんな説明よりも雄弁に物語っていた。

そこにあったのは純粋な才能であった。僕たちは矢野顕子から音楽が生まれる瞬間を目の当たりにしたが、それは僕が思っていたとおりあくまで内発的なものであり、その時点で完成しているものであった。それは矢野がジャズという即興性の高い音楽から表現に入ったこととも無縁ではないだろう。それが僕たちの愛するポップ・ミュージックやロックとどう響き合うか、彼女にとってポップやロックとはどういう意味を持つのかというのはまたひとつの重要なテーマであろうが、とにかく今回は矢野の天才の巨大さにひたすら圧倒された1時間であった。



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