logo THE SONGWRITERS VOL.5 / VOL.6 松本 隆


今回のゲストは作詞家の松本隆である。番組のラインアップを最後まで眺めても、曲を書かずに詞だけを書く、職業作詞家はこの松本だけであり、非常に興味深く見ることができた。

僕にとって松本隆は作品の出来不出来の波が大変激しい作詞家である。番組の中でも紹介された大滝詠一の二枚のアルバムを比べてみればそのことははっきりと分かる。1981年に発表された「A LONG VACATION」では、松本ははっぴいえんどの解散以降初めて大滝とタッグを組んだ。ここで松本の詞は徹底してシーンを描いている。どの歌詞も現実にはありそうもない、バタ臭いシーンを切り取っては、前後の脈絡のないまま、ポンとそこに提示してくる。

「渚を滑るディンギー」を見たことのあるリスナーはほぼいなかっただろうし、カナリア諸島がどこにあるかを知っていたリスナーも少なかっただろう(この曲のために僕は大人になってカナリア諸島を訪れたのだ)。だが、そうやって情緒を一切排除し、日常から切断された言葉でシーンを紡ぐことで、松本はまるで映画のような鮮やかな光景をリスナーの中に喚起した。松本は感情を一切排除した言葉だけで、「憧れ」や「哀しみ」といった感情を歌詞にすることに成功したのだ。

ところが、それだけの冴えを見せていた松本の詞は、84年の「EACH TIME」において見る影もなく物語を語り始める。このアルバムは大滝にして自作の焼き直し、自家中毒に陥っている困難な作品だと思うが、松本の詞も「木の葉のスケッチ」、「ガラス壜の中の船」、「レイクサイド・ストーリー」のように、シーンの背後に横たわる「いきさつ」を説明してしまっている。「古い歌の低いハミングに口笛でハーモニー 重なる音が溶けて消える」と書ききった「ペパーミント・ブルー」がなければこのアルバムは救われなかった。

今回の番組を見て感じたのは、しかし松本自身にはそうした自覚はないのだろうなということだった。松本はおそらく自分の感受性にしたがって他の人には真似のできない詞を書いたと思っているだろう。もちろん作品に出来不出来があることくらいは承知しているだろうが、本当に不出来だと思えば作品として発表する(あるいは商品として売る)ことはないはずで、ましてや旧友である大滝の大切な作品に自分で駄作と感じる詞を提供することもないはずだ。よく言えばそのような自作に対する自信、悪く言えば頑固さが窺えるトークだったが、そうした良し悪しも含めて松本隆という人はやはり職業作詞家ではあってもアーティスト気質なのだということがよく分かった。

僕としては「売れると言うことは最も現実的な評価だ」、「スキルと語彙は必要」、「良し悪しやジャンルにこだわらず片っ端から映画を見たり本を読んだりする経験が感受性の強化につながる」といった松本の言葉に興味を持ったが、そうした発言が掘り下げられることなく、議論が「いいものを作れば売れるのだ」、「マーケティングで詞は書けない」、「技術より感性が重要」といった創作論としては面白味に欠ける「正論」に収斂したのは残念だった。松本だからこそ、「売れる」こと、「売る」ことと、表現としてのクオリティのせめぎ合いの中心にもっと直接切り込んで欲しかったと思う。

もっとも、その辺りがアーティストとしての松本隆の不器用さであり誠実さなのかもしれない。そこには「日本語のロックは是か非か」といった青臭い書生論を闘わせていた若き日の松本の面影があった。表現というものに向かい合うときに、居住まいを正し、カッコつけて語らずにはいられない世代なのだと思うと少し微笑ましかった。

佐野の発言としては、「ハートのイヤリング」にブルースを忍ばせたというエピソードが面白かった。言われてみればベースラインや増5度の進行にそれが表れているのかもしれないし、全体にメジャーな曲調の中に隠されたマイナーなモメントを感じない訳ではないが、あまり今まで意識したことはなかっただけに、次に聴くときには印象が変わるかもしれない。

全体に、大御所のご高説を拝聴する色彩が強く、佐野と松本のやり取りの中で思いもよらない化学反応が起こるというスリルは正直あまりなかった。松本のガードが堅い印象が残った。



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