logo THE SONGWRITERS VOL.1 / VOL.2 小田和正


カミング・アウトしておくが、僕は高校生の頃、オフコースを好んで聴いていた。当時、オフコースは「we are」、「over」というヒット・アルバムを立て続けに発売し、そのキャリアのひとつのピークに達していた。一方、その時期は僕が佐野元春を聴き始めた頃でもあった。ある時期、僕の中ではオフコースと佐野元春が共存しており、それから僕は急速に佐野元春に傾斜して行くことになった。

それには明確な理由があった訳だが、それを言葉で説明するのは難しかった。長い間僕は、オフコースに代表されるような「ニュー・ミュージック」を(僕自身ある時期熱心に聴いていたにもかかわらず)毛嫌いしてきたし、今回の番組でも初回のゲストが小田和正と聴いたときには(しかも2人目はさだまさし)かなりげっそり来て番組自体見るのをやめようかと思ったくらいだ。

だが、今回の番組を見て、なぜ僕が多感な高校時代にオフコースに惹かれ、それから佐野を聴くようになってオフコースから離れて行ったかということが、自分自身よく分かったような気がした。そして、佐野が初回のゲストに小田和正を選んだ理由も何となく納得できるように思えた。

小田のソング・ライティングは極めて構築的である。それは彼が建築家を志していたことと無縁ではないだろう。小田自身が今回の番組で告白しているように、小田は自分の内側から自然に音楽があふれ出してくるといったような音楽的天才でもなければそういった意味でのアーティストでもない。小田はもともと論理的で明晰な頭脳を持った人だが、彼の音楽もまたその論理的で明晰な頭脳がディシプリンの結果として生み出したものであり、努力と学習によって自覚的に形成されたものである。

小田の音楽に対する取り組み方は、アーティスティックというよりはロジカルであり、小田にとって音楽はあふれ出るものではなくひねり出すものだったに違いない。ひねり出したものを検分し、推敲し、メロディを選び、言葉を選ぶ。そのプロセスはもちろん真摯なものだろうし、そこには自分が自分に要求するスタンダードとの孤独な戦いがあるだろうが、それは本当の意味での自発的でわがままな創造性とは微妙に異なった世界のできごとで、むしろ優秀なインダストリアル・デザイナーの仕事に似ているのではないかと思う。

そのように論理的に構築され隙なく磨き上げられたスクエアな音楽が、田舎の高校で国立大学への進学を志していた優等生の心をつかんだのも不思議ではなかった。それは数学の解法とか英文法とかと通底する、解析可能な世界だったからだ。だが、そこにある音楽的な喜びは所詮静的なものだった。解析可能な音楽にいったいどれだけの魅力があるだろうか。そしてその時期、動的な音楽的喜びとして僕たちの前に現れたのが佐野元春であった。佐野の音楽をひとたび耳にすれば、オフコースの音楽はいかにも退屈に聞こえるようになった。それはいかにも机上で組み立てられた形式的な音楽に聞こえた。そして僕はオフコースを聴かなくなった。

「動的な音楽的喜びとしての佐野元春」についてはもうこのサイトでもイヤになるほど書き散らかしてきたのでしつこくは繰り返さないが、特にアルバム「No Damage」に収められていたB面の曲、例えば『こんな素敵な日には』とか『モリスンは朝、空港で』、あるいは『Bye Bye Handy Love』といった曲に、僕は明らかに、オフコースの構築的な音楽とは異質な音楽のあり方の多様さを、そしてその面白さ、魅力を感じていた。

番組の中で小田は、「佐野君はアーティストだね」といったことを何度か口にしているが、それはまさにこうした小田と佐野の資質の違いを明確に物語っている。今回、小田がその一端を明らかにした彼のソング・ライティングのプロセスを聞いて、僕はこうした印象があながち間違っていないという感を強くした。そして、そうした資質の違いがあるからこそ、佐野にとって小田は興味深いサンプルであり、話を聞いてみたい対象となり得たのかもしれない。

僕はもうオフコースを懐かしく聴くこともないだろうし、小田のソロを聴くこともないだろう。小田の音楽的アプローチを是とするか、非とするかはともかく、むしろ反面的に佐野のソングライティングの特質を明らかにする上で興味深い番組だったと思う。



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