silverboy club presents disc review
my shopping bag may 1999




MAGIC HOUR Cast

キャストの話をするのに、ラーズを引き合いに出すのはやめようとずっと思ってきた。だってラーズはリー・メイバースのバンドだったんだし、ジョン・パワーはあのバンドで曲を書いていた訳でもなければギターを弾いていた訳でも、ボーカルを取っていた訳でもない、ただの裏方に過ぎなかったんだもんね。だから、1枚のアルバムだけを残して消えてしまったバンドの業のようなものをこの人たちに負わせてみたって意味のないことだと僕は考えていた。

その考えは今でも変わらない。キャストはキャストとしてその良し悪しを語れば十分だと思うし現にそうしてきた。それにそれはキャストはそうするに値するバンドだと思ったからでもあった。「オールライト」の身も蓋もない真っ直ぐさがそれゆえ僕の心の無防備な部分を直接キックしたのは、90年代というできの悪いコメディみたいな時代にあってまるで一つの奇跡のようなものだったとさえ言ってよい。リー・メイバースの名前を持ち出さないのはそんな彼らに対する礼儀のようなものだったのだ。

でも、このアルバムでジョン・パワーは、まるでラーズのこと話してもいいよと自ら言っているかのようだ。デビューから4年を経て発表された3枚目のアルバムで、ジョン・パワーはこっちが心配するくらい屈託なくラーズそのものの音をたたき出して見せた。それは自分の曲作り、音作りに対する自信の表れに他ならないだろう。前作がちょっとおとなしめだったので心配したが、ともかく流れ出す音楽の源がきちんと確認できたようで安心した。8点に近い7点。


UTOPIA PARKWAY Fountains Of Wayne

矛盾しているように聞こえるかもしれないが、ロック批評においてロックという言葉を定義しようとすることは極めて困難な試みである。それはパンク以降純粋な音楽ジャンルではなくなり、時には音楽以外のものまでを含んだある種の「態度」を表す主観的で個人的な術語としてしか機能し得ないのだ。僕にとって例えば山下達郎がMORに執着する姿勢、アンディ・パートリッジがひたすら才能に自閉し続ける様子は、ミッシェルのあまりに冷え切ったパッションと同様にロックなのだ。

そこにおける本質的な契機を言語化することはなかなか難しいし、それができるくらいなら僕はこんなホームページなんかやってないはずなのかもしれないが、あえて言えばそれはやはり「過剰」や「欠落」と密接に関係した何かであり、僕たちの日常の延長にありながらそれを異化して行くもの、僕たちが知らず知らずに当たり前だと思っている思考のシステムをビートするもの、そして僕たちを自分自身と否応なく向かい合わせる強い動機のようなものなのだと思う。

これは耳ざわりのいいポップだが、こうしたポップがロックとして機能できるかどうかは、結局それがいかに確かな才能とこれしかないという強い確信、そして音楽に対する深い愛情に基づいているかにかかっていると言ってよい。もしあなたがそのような確信も愛情もない凡庸でぬるいポップにうんざりしているなら一度このアルバムを聴いてみればいい。日常生活の表層を撫でるだけではない、そこに確かに傷を残し、末端からじわじわと浸食して行く優秀な99年型のポップ。7点の松。


WHAT ARE YOU GOING TO DO WITH YOUR LIFE? Echo & The Bunnymen

再結成エコバニ第2弾のアルバム。とはいえ、現存するオリジナル・メンバー3人が顔を揃えた前作とは異なり、レス・パティンソンを欠いたエレクトラフィクション状態である。結論から言えば決して悪くない。端整なメロディと包み込むようなアレンジ、80年代から90年代を生き、若い時代の仲間と一度は袂を分かって一人試行錯誤した後に再び彼らと一緒に音楽を奏でようとするイアン・マッカロクの意志が、決してセンチメンタリズムではないと思える音楽的な成長がある。

だが、あの切れるように張りつめた静謐さの中で彼岸から響いてくるかのような孤高のマニフェストを鳴らしていたイアン・マッカロク脱退までの彼ら、まるで泣きながら歌っているかのようだったイアン・マッカロクの性急にうわずったボーカル、そんな唯一無二の「エコー&ザ・バニーメン」はもうここにはいない。もちろんそんなものを今の彼らに求めてはいけないのだろうが、そんな歴史的経緯を無視してこれをただのアルバムとして聴けと言うならこのバンド名は邪魔だろう。

思えばイアン・マッカロクが初めてソロ名義で出したアルバムはどうもはっきりしない中途半端な作品だった。個人的な事情もあったにせよ、彼の才能がバンドという確執や緊張感のないところでセンチメンタリズムに流れたとき、どのような泥沼にはまってしまうか彼自身も学んだはずだ。そこから何とかここまでリカバーを果たした彼にとって、今やエコバニの看板はもう不要ではないのか。エレクトラフィクションかどうかは別として、新規巻き直しの用意は整った。再生への願いをこめて7点の竹。


ONLY THE STRONGEST WILL SURVIVE Hurricane #1

聴く前から5点くらいだろうよくても6点の梅だろうと決めつけていたハリケーンの新譜である。それならわざわざ買って聴くなよと言われればその通りだが、やはり元ライドの肩書きは強い。ギタリストがフロントマンでボーカリストが添え物のバンドにロクなものはない(シーホーセズを見ろ、但しザ・フーを除く)という定説を承知の上でも買ってしまった。ライドの夢よもう一度という訳ではないが、何かやはり「あれ」を彷彿させるようなマジックのかけらでもあるのではと願って。

だが聴いてみればこれは悪くない。何よりアルバムの構成力が格段に進歩していて、導入からエピローグまで、効果や緩急を生かしながら曲想に変化をつけ、フル・アルバム1枚をドライブして行く力量は期待以上。もっともそうした試みのせいでアルバム全体の焦点がぼやけてしまった部分もあるし、曲によってはアイデアは悪くないけど退屈なものもないではない。アンディ・ベルがハリケーン#1の名前で今やりたいことは何なのか、ギターなのかポップなのかあるいはグルーブなのか。

ギタリストを中心にフィーチャーしたバンドが往々にして音楽的な軸とか芯を欠いた散漫なアルバムを作ってしまうのは、やはり音楽への関心が、その物語性、文学性よりも、とにかくギターを鳴らしたいという技術的な面に向かいがちだからなのだろうか。ソング・ライティングの地力をつけて、ハリケーン#1(しかしひどい名前だな、こりゃ。「台風1号」はないだろう)にしか紡ぎ出せない物語を書いて欲しい。アルバム・タイトルもひどいが、内容はまあ過不足のない7点。


UP A TREE Looper
THE GREEN FIELD OF FOREVERLAND The Gentle Waves

ベル&セバスチャン関係ということで十把ひとからげにしてしまったが、それぞれのアルバム自体はまったく別の作品である。ルーパーの方はチープなループをバック・トラックにラップとも呼べないようなつぶやきが乗り、いくつかのモチーフが全編を通して繰り返し表れるコンセプチュアルなアルバムなのだがこれが結構はまる。SEの使い方もツボを心得ていて、そういえばこれは佐野元春のポエトリー・リーディングにも通じるものがあると気づいた。バック・トラックにも神経が行き届いている。8点。

ジェントル・ウェイブズはベルセバをさらにミニマルにしたようなアコースティック・ポップというかいい意味でのフォーク・ソング。イザベル・キャンベルがおそらくは日記のように書きためた曲を本当にそのままレコーディングしただけなのだろうが、そこはそれ、ここに漂う一音たりとも無駄に鳴らされている音はないというようなシンプルでストイックな音楽のたたずまいは彼女自身にとってもベルセバがあってこそ出せた種類のものだろうと思う。静寂の奏でる音に耳を傾けるがごとし。個人的には7点の竹。

で、この2枚を聴いて思うのは、ベルセバというのは既に単なるレコーディング・アーティストではなく、それ自体ごく自覚的なコンセプチュアル・アートになりつつあるのだろうということ。4月にイギリスで行われたスチュアート・マードック主催のフェスティバルのレポートを読むにつけ、この風変わりな男がベルセバというメディアを通してアプローチしようとしているものの輪郭がますますはっきりしてきたのではないかと思う。リベンジって言葉も最近使い古されてきたが、彼のリベンジは始まったばかり。




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