logo 98年4〜9月の買い物


RETURN TO THE LAST CHANCE SALOON The Bluetones

見違えるほど強くなった。黒っぽいグルーブがこのバンドの意外なタフさを力強く物語っている。思えばブリット・ポップ全盛の96年、NMEには毎週のように彼らのロゴ・マークが踊っていた。孔雀のジャケットのファースト・アルバムは悪くない出来だったし、新人バンドとしてはかなりのスタートを切ったと思う。しかし、それから2年たった今、彼らがそのまま消えていったとしてもそれに特別な感慨を抱く人は多くはなかったはずだ。

だが、彼らはこのアルバムで「生き残る意志」を示した。ここに踏みとどまる覚悟を見せた。例えば日本の芸能界でも、一発華々しいヒットを放ったアーティストがすぐに姿も見せなくなるのに、意外なバンドがしぶとく何枚もアルバムを発表し続けているということはよくある。そこには真価が問われる局面で簡単に下りてスナックのマスターにでもなってしまえる精神性と、あくまで人前で演奏し歌い続けることにこだわり続けようとする精神性との違いが作用しているはずだ。

ブルートーンズは決して簡単に下りることを潔しとしなかった。ブーマーで終わることを受け入れられるほど物わかりのよい大人ではなかった。ロックの王道に回帰するという方法論自体は別に目新しいものではないにしても、そこには彼らのバンドマンであり続けようとする意志が明快に表れている。格段に骨太に、たくましくなったロック・バンドとしての2枚目だが、繊細なメロディとギターで聴かせる曲も忘れてはいない。8点。


MUNKI The Jusus And Mary Chain

もちろん彼ら独特のうねるようなメロディは健在だ。暗い情熱のようなサウンドもボーカルも健在だ。どうしようもなくジーザス&メリー・チェインなのに、そしてどうしようもなくロックとしてかっこいいのに、しかしこれがまるで出来のいいジーザス&メリー・チェインのパロディのようにしか聞こえないのはなぜだろう。これがジーザス&メリー・チェインでなければならない強い理由がまるで伝わってこないのはどういうことだろう。

ラストに収められた痛烈な「I Hate Rock'n'Roll」は4年前の曲だ。ここにつながるように作られたアルバムそのものはよくできている。しかし彼らが常に現在という閉塞と寄り添いながらその核心を撃とうとしてきたかけがえのない存在感はもはやここにはない。このアルバム発表後のツアーを最後にしてウィリアムはバンドを離れ、来日公演もジムだけをフロントにして行われた。もともと仲の悪いことで有名な兄弟だったが、本作を聴けばそれもやむを得ないことなのかもしれないと思う

だからといって、彼らが空白の80年代に残した業績は否定され得ないだろう。彼らの名前はロック・ヒストリーに深く刻み込まれて行くだろうし、彼らの子供たちはまた次のエポックを形作って行くだろう。因縁のクリエーション・レーベルに移っての第1作だっただけに期待も大きかったし実際JAMCでなければ悪いアルバムではなかったのかもしれないが。名残は尽きないがJAMCを悼む。とか言ってると知らん顔して再開してたりしてね。6点。


IMAGINATION Brian Wilson

完璧なポップ・アルバム。僕は決して熱心なビーチ・ボーイズのリスナーではないが、というよりビーチ・ボーイズのアルバムは1枚も持ってないが、それでもこのアルバムの美しさには息をのまずにいられない。もちろんそれは躍動感や生命力にあふれた太陽のような美しさではない。それは一面に雪の積もった深い森の中でひとり静寂という音を聴こうとするような、かすかで張りつめたぎりぎりの美しさだ。

この人が、自分の背負った巨大な才能ゆえにこれまで経験しなければならなかった苦しみを思うとき、美しければ美しいだけ悲しみを際立たせずにはいられない優れたポップというものの本質をこれほど如実に表しているアルバムはないといっても過言ではないだろう。穏やかに晴れた日曜日の朝、家族と一緒にフォートナム&メイスンの紅茶なんか飲みながらこのアルバムを聴いたら、自殺したくなっても不思議はないかもしれない。

そう、このアルバムの美しさは濃密な死の臭いをたたえている。だからこそこのアルバムはどんなに実験的なノイズよりもロックの先鋭さの近くにいるのだ。ブライアン・ウィルソンという才能が生き抜いてきたハード・タイムスと、それでもここにしか居場所を見出し得ない彼の精神が、何よりポップでしかもロックという言葉の意味に忠実なマニフェストへと結晶してしまうことの悲劇と喜劇。ロックという悪魔に魅入られた男が自分自身を削って作った悲しすぎる名作。9点。


SLAIN Yatsura

最初こいつらが出てきたとき、NMEの誌面に踊る「うる星やつら」の文字に僕は何が起こったのか理解できなかった。それがバンドの名前だと分かったのはしばらくしてからのことだ。

彼らにとって2枚目になる本作で、僕は初めて本格的に聴いてみた訳だが、これはいけてる。スピード感のあるギターと印象に残るメロディ、だがそれがガチガチの教科書ロックにならず、どこかチャーミングできちんと空気穴が明いているように聞こえるのは、もちろん独特のクセのあるボーカルのせいもあるだろうが、何より彼ら自身がリアルに響くロック表現とは何かという問題に自覚的だということなのだろうと思う。

例えばパステルズやプー・スティックスのように、良質なロックをたたき出しながらあくまで傍流に位置するバンドがある。彼らもそうした愛すべきB級バンドの系譜に連なって行くだろう。マス・プロダクションによるスター・システムに無関心な場所で、彼ら自身にリアルなロックを鳴らし続けることになるだろう。彼らはそれに値するだけの実質を具えているし、むしろそのような道を進むことがこのバンドの存在価値であるような気がする。

それにしても勘弁して欲しいのはこのバンド名。「うる星やつら」じゃなかなか手が出ないだろう、日本人は。これだけ実質のあるバンドなのにちょっと惜しい気がする。残っていって欲しいバンド。7点。


BLUE Simply Red

シンプリー・レッドをレビューするなんて意外と思うだろうか。だが僕は彼らが(というかミック・ハックネルが)デビューした当時から一貫して支持してきた。こんなメガ・セールス・バンドになるとはさすがに思わなかったが、ミック・ハックネルの黒人音楽への愛情の深さは、結果としてそれがポップに作用し、商業的成功に結びついたのだとしても、それ自体既に業(ごう)に近いものになりつつあると思う。

本作は初期の頃にあからさまだったR&Bへの憧憬が再び素直に表れたストレートな仕上がり。ミック・ハックネルのボーカルは生き生きとしているし、屋敷豪太のプロダクションも打ち込み臭さを感じさせない。だが僕がこれを切実な作品として聴くことができるのは、ミック・ハックネルが白人だからであり、白人に生まれついた自分が黒人音楽にどうしようもなく惹かれてしまうことの意味(あるいは黒人音楽にどうしようもなく惹かれてしまう自分が白人であることの意味)を彼が常に自分に問い続けているからだ。

黒人による黒人音楽が素晴らしいのは当たり前の話だ。僕が面白いと思うのは、白人であるミック・ハックネルがときとして黒人以上に黒い黒人音楽を作ってしまうことなのだ。それもコンテンポラリーな黒人音楽の主流がヒップホップに移ってしまった中で、彼が追い続けるのはあくまで60年代のR&Bをベースにしたグルーブだ。このことを彼の白人リスナーは、そしてコンテンポラリーな黒人アーティストはどう聴いているのだろう。リズムにスライ&ロビー参加。佳作。7点。


A THOUSAND LEAVES Sonic Youth

ゲフィンに移ってから初めてソニック・ユースを聴き始めた僕のような軟弱なリスナーにはなかなか厳しいコアなノイズとインプロビゼーション。ベンベン鳴ってるギターをバックに投げやりにシャウトするキム・ゴードン姉御、イントロで始まってAメロ、Bメロがあって間奏があってブリッジがあってという3分間のポップのフォーマットとはおよそ無縁で自由な世界、だが、その背後にあるのは決して狂気ではなく正気だ。

土曜日の午後、ひとりで新聞を読みながらこのアルバムを聴いていると不思議に落ち着くのはなぜだろう。ノイズの背後にある静けさの存在が際立ってくるのはなぜだろう。それは彼らが解体して見せようとしているのが、僕たちの生存の核のまわりにこびりついてしまったシステムの垢のようなものだからではないか。彼らは人間を発狂させるために解体するのではなく、現代において困難な正気を取り戻させるために解体し続けているのではないだろうか。

もう一つ、特にゲフィンに移籍してからの彼らには、前衛を受け持っているバンドにありがちな、必要以上に世間に背を向けたり見下したりしたようなわざとらしいところ、いやらしいエキセントリックさがなく、作品の実験性が極めて自然な足場から立ち上がっている印象を受ける。もちろん好きなことをやってそれなりに売れているという自信と余裕のなせる技なのかもしれないが、これはソニック・ユースというバンドの美質の一つ。8点。


LONGSHOT FOR YOUR LOVE Pale Fountains

NORTH OF A MIRACLE Nick Heyward



Copyright Reserved
1998 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@t-online.de