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DAYS OF THE BAGNOLD SUMMER
Belle And Sebastian
★★★☆

Matador (2019)
OLE-1455-2

■ Sister Buddha (Intro)
■ I Know Where The Summer Goes
■ Did The Day Go Just like You Wanted?
■ Jill Pole
■ I'll Keep It Inside
■ Safety Valve
■ The Colour's Gonna Run
■ Another Day, Another Night
■ Get Me Away From Here I'm Dying
■ Wait And See What The Day Holds
■ Sister Buddha
■ This Letter
■ We Never Glorious
サイモン・バード監督の同名の映画のサントラだが、既発曲の新録2曲、インスト4曲の他は新曲であり、実質新譜と言っていい内容。聞き覚えのある曲が要所に配されているせいもあってか、全体に初期のアマチュア臭いアコースティック・ポップへの回帰を感じさせる仕上がりになっている。映画の内容もリファーした結果そうなっているのだと思われ、彼らの方向性を示すものではないのかもしれないが、だからこそ見えてくるものもある。

既発の2曲をオリジナルと聴き比べると、よりリズムが強調され、音も整理されるなど20年近い時の流れを感じさせはするが、ここにあるのは間違いなく、聴くたびにハッと息を呑むような瞬間が訪れていたデビュー間もないころのベルセバの音楽の手ざわり。それが表象するものは音とかメロディとか歌詞とか、イメージとかスタイルをすら凌駕するひとつの「あり方」や可能性そのもの。僕らが経験するのはひとつの「生」それ自体である。

その意味で彼らはバンドではなくここにあるのは音楽ですらない。ロックというアートフォームを借りながら、彼らは僕たちの生そのものに直接手を触れてくる。ここにあるのは、その美しく、優しく、穏やかな表層とは裏腹な、猛々しく、禍々しく、容赦ない私的領域への浸食。それをまったく平穏裡に遂行するのがベルセバのヤバさであり、気づいたときにはもうベルセバを知らなかった地点には戻れない。サントラだからこそ作れた作品。




i, i
Bon Iver
★★★★

Jagjaguwar (2019)
JAG350

■ Yi
■ iMi
■ We
■ Holyfields
■ Hey, Ma
■ U (Man Like)
■ Naeem
■ Jelmore
■ Faith
■ Marion
■ Salem
■ Sh'Diah
■ RABi
ガチガチの電子音とノイズの背後に隠された生身の声、生身の「オレを見てくれ」「オレを見つけてくれ」という欲望が痛々しいほど突き刺さってきた前作から3年、この新作でボン・イヴェールことジャスティン・ヴァーノンはその表現に更なる通用性、更なる普遍性を実装することに成功した。回路は整理され、声は一層はっきりし、「ここにいる自分」に対する確信のようなものは間違いなく強化されている。力強ささえ感じさせる作品。

この伸びやかさ、このコミュニケーションへの衒いのないまっすぐな視線はどうだ。流行りの言葉でいうならここにあるのはどこまでもポジティブなヴァイブス。もはや他者と関わることへの懐疑や畏れ、躊躇や忌避などはなく、触れれば切れるような表現の突端の鋭さはいささかも丸めないまま、それをより直接的な「関わり合い」への希求に転嫁して行く力は、まさに今ここに響くべきロックの本質的な属性と密接に関係するもののはずだ。

自分をノイズの後ろに隠すことも、ボーカルをまるで接続の悪いラジオみたいに切れ切れに聴かせることももはや必要ない。あるいは「そんなことをしている場合ではない」。今、我々がやるべきなのは「オレはここにいる」というメッセージを相互に持ち寄ることで、本来そのためのメディアであったはずのSNSが切れ切れのコミュニケーションしか生み出さなかった理由を解析すること。現代の連帯はこういうものであり得るという試論だ。




BENEATH THE EYRIE
Pixies
★★★

Infectious (2019)
INFECT526CD

■ In The Arms Of Mrs. Mark Of Cain
■ Graveyard Hill
■ Catfish Kate
■ This Is My Fate
■ Ready For Love
■ Silver Bullet
■ Long Rider
■ Los Surfers Muertos
■ St. Nazaire
■ Bird Of Prey
■ Daniel Boone
■ Death Horizon
かつて不穏な音楽を鳴らしていたバンドは、世界がそれを追いかけるようにどんどん不穏になって行くとき、いったいどんなメロディを奏でればいいのか。その「不穏さ」が自動化して自家中毒的なクリシェに堕した結果、世界に追い越されて今や陳腐化した古い歌を繰り返すだけのバンドを僕たちは多く見てきた。あるいは現実に追いつかれまいと表現を先鋭化させ続けた結果、コントロールできなくなって空中分解したバンドも知っている。

不穏であるとは、一聴すれば単音に聞こえるこの世界の基調音に含まれた倍音を丁寧に聞き分け、それを取り出して可聴化することである。そうやって、世界の隠されたコードを探し当て、僕たちがふだん耳にしながら気づくことのない音楽を可聴域に引き戻し、暴き立てることである。それがオルタナティブということの意味であり、「何かちょっとおかしい感じ」だけに最適化した観光オルタナティブが世界に追い越されるのは自明なのだ。

ピクシーズ(というかブラック・フランシス)は、常人には聞こえない世界の倍音を聞き分け、それを表現として提示することのできるアーティストである。今作は意匠だけからはとてもオーソドックスなロックに聞こえる。しかし実際には、「不穏であること」の自縄自縛から解放され、より自由度の増した表現は、この2010年代最後の世界が不穏にも隠し持つ倍音に的確に呼応するもの。彼らは再び「世界を騙す」ための営為を始めたのだ。




WHY ME? WHY NOT.
Liam Gallagher
★★☆

Warner (2019)
0190295408374

■ Shockwave
■ One Of Us
■ Once
■ Now That I've Found You
■ Halo
■ Why Me? Why Not.
■ Be Still
■ Alright Now
■ Meadow
■ The River
■ Gone
リアム・ギャラガーは特権的な声をもったシンガーである。オアシスというバンドの成功は、もちろんノエル・ギャラガーの書く曲の質の高さがその基礎にある訳だが、それがあれだけの通用力とか喚起力を持ち得たのは、このシンガーのひび割れたようでありながら伸びやかで、ぶっきらぼうのようでありながら温度感をたたえた声やボーカライゼーションの表現力があったからで、そのコンビネーションは他に替えの効かないものであった。

前作から2年ぶりのリリースとなったソロ名義では2作目のアルバムだが、前作同様、グレッグ・カースティンとアンドリュー・ワイアットをプロデューサーに迎え、ソングライティングもリアムと彼らとの共同名義になっている。基本的にはビートルズを下敷きにしたオーソドックスなロック・アルバムだが、然るべきタレントのバックアップを得たことで楽曲のクオリティはおしなべて高い上、リアムのボーカルとの相性もよく退屈させない。

しかしこの声を聴かされるとオアシスが連想されてしまうのは仕方のないところで、このボーカルの表現力をもう一度ノエルの楽曲との組み合わせで聴きたいと思うのは自然な心の動き。リアムのソロ・アルバムがそれ自体としてよくできたものであればあるほど、リアム自身が充実していればいるほど、「オアシスだった頃」と比べてため息をつかれるのはもはや宿命だ。あとはこれがオアシスでありさえすれば、と思わずにいられない力作。




ODE TO JOY
Wilco
★★★★☆

dBpm (2019)
DBPM01020CD

■ Bright Leaves
■ Before Us
■ One And A Half Stars
■ Quiet Amplifire
■ Everyone Hides
■ White Wooden Cross
■ Citizens
■ We Were Lucky
■ Love Is Everywhere (Beware)
■ Hold Me Anyway
■ An Empty Corner
ほとんどパーカッションとアコースティック・ギターだけで訥々と奏でられて行く原風景のような歌。僕はアメリカ本土には行ったことがなく、文学や音楽や映画などを通してしかアメリカというものを経験したことがないが、その僕ですら、いや、その僕だからこそなのか、アメリカという巨大で騒々しいイコンの、最も底の方に横たわっている奇妙な空虚さとか静寂のことを考えてしまう音楽。少ない音数が想像させる景色の広大さを思う。

典型的なロックのビートからいったん自由になり、シンプルな歌詞とシンプルなメロディで歌われる曲のひとつひとつは、例えば童謡のようでも、民謡のようでもあり、あるいは宗教歌の詠唱、とりわけ仏教のご詠歌を思わせるものすらある。これは巡礼のアルバムであり、祈りであり、そしてまたアメリカという国が、ということはこの世界が宿命的に抱えこんだ歪みについての音楽。静けさを増幅することで真実に到達しようとする試みだ。

それをジェフ・トゥイーディは、ベートーベンの交響曲第九番と同じ「歓喜の歌」と名づけた。このシンプルでひそやかなフォーク・アルバムは、しかしどんな交響曲よりも雄弁に僕たちの生活の中にある些細な喜びのことを歌っている。今ここにあって手に取ることのできる小さな心の震えこそが、この世界を前に転がして行くための最終的な裏づけであると看破した時、歓喜の歌は、歓びの頌歌はそこにあり、僕たちはそれを口ずさむのだ。



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