いや、これはあかん、ここを責められたら弱い。僕は別にインドが好きという訳ではなくというかインド音楽そのものが好きでもないのだが、この、ロックの文脈に収奪的に取りこまれたインド・フレイバーにはとことん弱いのだ。いや、ほんと、こういうのが植民地主義的収奪なのは分かっている。例えば尺八だの笙だの三味線だのが取り入れられたロックとか失笑モノだというのも経験ある。でもインドはダメだ。これには反応してしまう。
その原体験は中期ビートルズなのだと思うのだが、ビヨ〜ンというシタールの無音階的で脱構築的な、西洋人のツボにはまるあのオリエンタルな感じがいい。クリスピアン・ミルズ自身にはたぶん収奪的な意図はないのだろうし、久保田利伸やミック・ハックネルが黒人になりたいのと同じようにインド人になりたいのかもしれないが、それが宿命的に白人的なロックの血と交わるポイントこそがスリリング。純粋なインドでないのがいいのだ。
しかし、このアルバムがいいのはもちろんこれがインド・フレイバーだからというだけではない。どんなにフレイバーがよくても土台になる音楽が適当ならそんなものは初めから聴くに堪えない雑音に過ぎないからだ。ロックとして必要なものを具えているからこそインドとの異文化衝突がインパクトになり得る。例えば冒頭の『INFINITE SUN』の泣くほどカッコいいリフはどうだ。デビュー作の「2.0」を名乗るに足る原点回帰、渾身の一撃。
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