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言いたいこと 言えないこと 言いそびれたこと The Collectors 7松

前作で発見した「ザ・コレクターズの聴き方」はこのアルバムにも有効だった。初回盤を買えばレコーディング・ドキュメントを収録したDVDがついてくるだろう。まずそれを見るのだ。収録時間65分の堂々たる番組だ。これがいい。このアルバムの成り立ち、ひとつひとつの音がそこに収まる理由みたいなものがしっかり腹に入るだろう。そしてアルバムを聴いてみたくなるだろう。このDVDはアルバムの不可欠な導入部分になっているのだ。

何よりもまず古市コータローのギターが素晴らしい。DVDを見てから本編を聴くとそのことがよく分かる。いきなりアルバムを聴くと加藤ひさしの押しつけがましいボーカルとバカバカしい歌詞に先に耳を持って行かれて辟易することも正直あるのだが、予告編をしっかり見て、予習をしてから聴けば、このアルバムが実は当たり前すぎるくらいオーソドックスなビート・ポップスの名盤であることが分かる。バンドの音が聞こえてくるのだ。

だが、大事なのはさらにその先だ。そこでもう一度加藤の押しつけがましいボーカルとバカバカしい歌詞に戻らなければならない。ムリくりひねり出したと思われるようなネタ、苦しまぎれが満載だ。だが、考えてみれば彼らの歌詞は初めからバカバカしかったのだ。彼らの、サーカス団やギャング団や恐竜や怪物の歌を僕たちは愛してきたのだ。それに思い至る頃にはこのアルバムはフェイバリットになっている。『ガーデニング』がいい。

 
NO SAD SONGS The Lilac Time 6梅

若いバンドの新譜は買うのを極力控えようと思っているのに、こういうのは買ってしまうというのも因果なもの。ライラック・タイムはデュラン・デュランのオリジナル・メンバーであるスティーヴン・ダフィのプロジェクト。2007年の前作以来8年ぶりの新譜だということだが、確認してみたら前作は買っていなかった。もともとネオアコとすらいいにくいレイド・バックしたフォークが持ち味だが、このアルバムもそういった路線である。

アコースティックな伴奏に乗せたスローな調べ。さすがにデビューから28年間も生き残っているだけあって、それなりにそれらしい作品に仕上がっているのは間違いないし、ボリュームを絞ればお洒落なダイニング・バーか何かのBGMにぴったり。こうした音楽の需要は確かにどこかにあるのだろう。だが、ここにあるのは雰囲気だけ。聴き終わった瞬間に消え去り、何を聴いたかすら思い出せない、ただの雰囲気を詰め込んだアルバムなのだ。

そういう音楽を作る人であり、今回もおそらくまたそういう音楽だろうと分かっていながら買ってしまうのはなぜだろう。そして今回もその予想に違わずきちんと雰囲気もののアルバムだ。そこには人を立ち止まらせ、振り向かせ、繰り返し聴きたくさせるような強い欲求とでもいったものがすっぽり欠けている。名前の懐かしさで思わず買ってしまったが、今回限りでもう買わなくていい。少なくとも今の僕には関係のない音楽だと思った。

 
MUSIC COMPLETE New Order 7梅

ニュー・オーダーの10年ぶりの新譜である。ピーター・フックがバンドを離脱、バーナード・サムナーを中心に制作されたようだ。ニュー・オーダーといえば、1980年代に硬質なテクノ・サウンドでインディ・ダンスの道を切り拓いた開祖。20世紀に入ってからは一時ギター・ロックに接近したりもしたが、このアルバムでは再び、エレクトリック・ビートに乗ってシンセがジャンジャン鳴る「正しいテクノ・ポップ」でぐいぐい押して来る。

笑っちゃうのはそのテクノぶりがもう恥も外聞もないほどニュー・オーダーのパブリック・イメージそのままであり、それを臆せず引き受けられるくらいには彼らも年を取ったということか。おそらくテクノも30年ほどの間には音楽的に進化を遂げたはずだと思うんだが、ここにあるのは「古きよきテクノ」。適度にポップで、適度にエレクトリック、メロディアスでギターなんかも入っている、分かりやすく親しみやすい大衆テクノなのだ。

テクノロジーというのは必然的に古びて行くものであり、それ故、中途半端に古いエレクトリック・テクノロジーは、もっと古いハンド・ワークよりもずっと古びてみすぼらしく見えるものである。もちろん彼らとてそんなことは十分わかっているのだろうが、それでもこういうやり方でしかニュー・オーダーとしての生存証明ができないところが彼らの凡庸さかつ可愛いところ。バカっぽい通俗テクノだが陰鬱さがなくなったのは吉か凶か。

 
DODGE AND BURN The Dead Weather 8竹

ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトとキルズのアリソン・モシャートらによるプロジェクト、デッド・ウェザーの3枚めのアルバム。5年ぶりということだが、もともとパーマネントなバンドではなく、気が向いたら集まって活動するというスポンテイニアスなプロジェクトらしく、「またそろそろやろうよ」みたいな感じで作ってみました、ということなのだろう。そういう「勝手に集まって好きに作ったらこうなった」感が顕著。

一切の手心とか配慮とかなく、ゴリゴリと力で押して来る、ハードなブルース・ロックと言っていいだろう。奔放で自在に鳴るギターがグイグイと迫ってくる。自在といってもギター・ソロのインプロヴィゼーション的陶酔ではなく、硬質でシンプルなリフが繰り返される高揚。リフが歌っているとでも言うべきか、強い喚起力を持った明快なリフの繰り返しが、曲に表情を与え、グルーヴを生み出し、アルバム全体をドライヴして行くのだ。

これがジャック・ホワイトの力なのか、あるいはバンドとしての一種のケミストリーから生まれるものなのかは分からないが、ジャック・ホワイトものの常として興味深いのは、そのような「本格派」のブルース・ロックでありながら、それが最終的には実に平易で開かれたコンテンポラリーなロック表現として成立しているところ。アリソン・モシャートの、母性にも少女性にも依拠しないボーカルの力も大きい。単純にカッコいい作品だ。

 
KEEP THE VILLAGE ALIVE Streophonics 7竹

イギリスの国民的人気バンド、ステレオフォニックスの2年ぶり9作目のアルバム。冒頭に置かれた『C'est La Vie』がいきなりのハイ・テンションかつボーカルもジョン・ライドンを意識したかのようなパンキー・チューンで驚かされるが、その後はいつもの大柄なグルーヴと繊細で抒情的なメロディ、生真面目さが服を着て歌っているようなかっちりしたボーカルのフォニックス節になる。この辺の楽曲のクオリティはもはや盤石の安定感だ。

アーシーで重厚なスケール感を具えながら、島国っぽい泣きをしのばせた「歌心」で、特に本国イギリスでは不動の地位を築いているらしい。それは聴いていてもよく分かって、何かすごいイノベーションがあるとか高尚な思想性があるとかそういうことはまったくないのだが、多くの人が「ロックってこういう感じ」と思っているストライク・ゾーンの真ん中に打ちごろの直球を投げ込んでくる感じですごく安心感ある。誠実なバンドなのだ。

それだけに、アッパーな『C'est La Vie』の異質さが光る。こうした突き抜けた軽み、ユーモアのセンスのようなものが彼らの音楽から感じられるのは嬉しい。あまりに生真面目で、誠実で、丁寧なバンドにあって、こうしたチャームのある曲がこの局面で出てくるところに可能性の広がりを感じる。生真面目で誠実で丁寧な男に、少しだけパンクなユーモアがあればもう言うことないだろう。ケリー・ジョーンズはきっといいヤツに違いない。

 
FADING FRONTIER Deerhunter 8梅

子供の頃、よく離人を経験した。世界がすうっと遠のいて、耳は聞こえるし目は見えるし身体は動くし話もできて、きちんと受け答えはできているのだが、そのすべてが現実ではないテレビでも見ているような感覚で、話している自分とそれを「ああ、オレがしゃべってる」と客観的に感じている自分とがいて、この感覚は何だろうと思いながら半ば自動的に行動しているのである。それが「離人」という感覚だと知ったのは随分後のことだ。

前作はダークでハードでしかも歪んでいるという「オレ好み」なアルバムだったが、今作は一転、率直で陽性の今日的なサイケデリアに仕上がっている。ぐしゃっとつぶれたような音像は抑えられ、ポップ・ミュージックとしての文法にきちんと則っているというか、聴きやすく曲構成もはっきりしている。だが、この現実から一歩引いた感じは何なのだろう。高いところを飛ぶのではなく、地面からわずかに浮いている感じは何なのだろう。

自分と現実との間に透明な薄い膜があって、耳は聞こえるし目も見えるのにまるでそれが別の世界で起こっているかのように現実離れした感覚。僕が子供のころに感じた離人の感覚を久しぶりに思い出した。一見正気のようでそのどこかに微妙なパースの狂いを抱えてる感じ、日常の中に潜むサイケデリアの方がドラッグでトリップするよりよっぽどヤバい。イッちゃって帰ってきたけどちょっと元通りになってないとかそういう感じの音楽。

 
ROPEWALK The View 7竹

聴き始めた瞬間、「ん? ザ・ヴューってこんなだっけ?」という違和感が先に立つ。確かにカイル・ファルコナーの特徴的なハイ・トーンのボーカルは健在だし、起伏のはっきりした親しみやすいポップなメロディもしっかり聴ける。だが、かつての一見勢い任せ的なはっちゃけた威勢のよさはさすがに影をひそめ、どこか内省的な立ち止まり感が拭えない。ソングライティングが達者なのでアルバムとしてはよくできているが失速感は大きい。

前作のレビューでも似たようなことを書いていて、さすがにこのバンドもこういうポップでメロウな地平に落ち着いてきたのかとも思うが、気になるのはこの失速感が成長の素直な表れというよりは、どこからか力の洩れているような、踏ん張りきれていないエネルギーの希薄さのように感じられることだ。「大人になったね」というよりは「大丈夫?」と声をかけたくなるような元気のなさを感じるのだ。どこか悪いんじゃないかと思うほど。

全体に円満にスケールが大きいというよりは、突出した何かが平均値を大きく上回っていることによって困難な時代をグイグイとドライブしてきたバンドだけに、その突出した何かが減衰すると、全体のバランスはよくなってもスケール感は縮小し、このバンドがこのバンドであることのアドバンテージみたいなものはどんどん目減りしてしまう。こういうバンドが生き延びるのはきっと難しいのだと思うが、これならもう次は買わないかもだ。

 
1D Lloyd Cole



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