logo 2015年7・8月の買い物


YES Jad Fair & Norman Blake 7松

「伝説的オルタナ・バンド」らしいハーフ・ジャパニーズのジャド・フェアと、ティーンエイジ・ファンクラブのノーマン・ブレイクが組んだアルバム。リトル・クリーチャーズの青柳拓次、ベル&セバスチャンのイゾベル・キャンベルらが参加している。昨年にはこの二人にテニスコーツを加えたコラボ・アルバムも出ているらしい。ジャド・フェアとティーンエイジ・ファンクラブのコラボもあったし、違和感のない組み合わせではある。

基本的には、ガチャガチャしたアコースティック・ロック系のバック・トラックに乗せて、ジャド・フェアがぶつぶつつぶやくようなボーカルを乗せるという作りになっているのだが、このバック・トラックの作りこみや曲の水準の高さはハンパない。ローファイといえばローファイ、どこか牧歌的でのんびりした穏やかなフォーク・ロック調はいつものグラスゴー・スクール様式だが、ここまで来るとある種の凄みを感じずにはいられない。

もちろんこれを、メイン・ストリームから隔絶した場所でのレイド・バックした職人的、ヒッピー村的予定調和だと腐すことは十分可能だと思う。僕自身もこれまでグラスゴー一派の牧歌的なフォーク・ロックには結構厳しいことを書いてきた。しかし、この脱構築というか音楽解体というか、「ええやん」的なすり抜け感は実はラジカルなもの。それがポジティヴに、ハッピーに、オプティミスティックに響くならそれはグレートなことだ。

 
TOMORROW'S MODERN BOXES Thom Yorke 7松

昨年秋にダウンロードとアナログのみでリリースされたトム・ヨークの2枚めのソロ・アルバム。タワレコに行ったら「日本限定」と銘打ってCDがリリースされていたので買ったがムダに箱に入って3,500円とかやめろ。まあ、それはそれとして、聴いてもなかなか印象がはっきりしなかったので、前作「Eraser」に始まって、それ以降のレディオヘッドの近作やアトムズ・フォー・ピースなどを改めて聴き返したオレってなんて良心的なのか。

というのも、このピヨピヨした電子音的な風景、夢の中でいくら走っても前に進まないようなアンビエント感が、今の僕の音楽を聴くツボみたいなものに今イチハマらなかったからだ。それでトム・ヨークがらみの近作を聴いてみたのだが、分かったのは、それらと比べても今作はかなりアンビエント感が強いということ。ミニマルで、ひたすら意識の底に沈潜して行くようなダウナー系の音楽であり、細胞に浸透するような入って来方をする。

鼓動のようなパーカッション音以外にリズムを刻むものは乏しく、残響の掛け合いのようなバック・トラックに乗せて、トム・ヨークの細い声がオブセッショナルかつ詠唱的に流れて行く。これはおそらく電子的な読経とかコーランの読誦のようなものなのだ。何遍も繰り返され、もはや意味性を超越するところに価値のあるひとつの環境、正しくアンビエントだということ。ダウナーだが鬱ではないのはトム・ヨークの声の力かもしれないな。

 
STAR WARS Wilco 8梅

僕が初めてウィルコのアルバムを買ったのは、2002年の出世作「ヤンキー・ホテル・フォクストロット」だった。オルタナ・カントリーなどという説明もあった通り、要はカントリーをベースにしつつコンテンポラリーな実験性を持ちこんだ、いわばソニック・ユース以降のカントリー・ミュージックとでもいったものだったのだが、オーガニックでありながらラジカルである語義矛盾みたいな音楽には新世紀をビートする何かが確実にあった。

今作は2011年の「ホール・ラヴ」以来5年ぶりのアルバムになるのだが、「ヤンキー〜」以来希薄になる一方だったラジカリズムが久しぶりに全開になっており、アルバムが出る度に「何か普通になっちゃって面白くない」的なレビューを書いてきた僕にすれば「これがウィルコだよ」と言いたくなる作品。正しくオルタナティヴなギターの鳴り方は確実に今世紀のものだし、きれいにでき上がったものを最後にぐしゃっと歪めた音像も独特だ。

そしてまた、その背後にカントリーばかりでなくポップ・ミュージックの歴史に対する極めて正統な眼差しがあるのも変わらない。ジェフ・トゥイーディが息子と組んだトゥイーディのアルバムはミニマルなフォークで正直ピンと来なかったが、この人の音楽的資質はフリー・スタイルでこそ際立つものだと思う。この人たちにとって何が自然体なのかは分からないが、このアルバムがすごく自然に聞こえたのは確か。収録33分と短いのもいい。

 
EYES WIDE, TONGUE TIED The Fratellis 7松

ザ・フラテリスといえば初めて彼らのアルバムを聴いた時の衝撃が忘れられない。それは彼らのセカンド・アルバム「ヒア・ウィ・スタンド」であり、聴いたのはアルバムがリリースされた2008年のことだったが、聴くなり「要はこれでいいんだ」「これでよかったんだ」という天啓にも似た強烈な打撃を脳天に食らった。大げさに言えば奇跡であり、控えめに言ってひとつの祝福であり、慈悲であり、恩寵であった。実に明快な顕現であった。

その後、トニ・ホファーのプロデュースによるファーストをさかのぼって聴き、それももちろんよかったが、セカンドを初めて聴いた時の「ガツン」感を越えるものはなかった。それから僕がフラテリスのアルバムを聴く度に求めるのはあの「ガツン」であったが、コデイン・ヴェルヴェット・クラブ、ジョン・フラテリのソロ、そして一昨年のアルバムも、当然水準以上の出来ではあってもそこまでの衝撃はなかった。まあ、そりゃそうか…。

今作ももちろんよくできている。トニ・ホファーを再びプロデュースに迎え、ポップ・アルバムとしてオーソドックスな仕上がり。だが、ここには彼らの顕著な特徴だったガシャガシャ感が希薄。あの「ガツン」感とは言わないが、同じボリュームで鳴らしても抜群にやかましい感じのする過剰さまでもが、丁寧に刈りこまれてしまっているのだ。ボーナス・トラックのアコースティック・バージョンの方が圧倒的にリアルなのはもったいない。

 
1 HOPEFUL RD. Vintage Trouble 7竹

ソウル・シンガーであるタイ・テイラーを中心にLAで結成されたロック・ソウル・バンド、ヴィンテージ・トラブルのメジャー・デビュー第一作である。2012年に出たファーストはインディペンデントからのリリースだったようだが、その実力をドン・ウォズに認められ、今作はジャズの名門ブルー・ノートからのリリースとなったらしい。確か前作の時は僕も激賞するレビューを書く一方で、「7竹」と煮えきらない評点をつけた記憶がある。

その時も書いたがこれはレニクラとかテレンス・トレント・ダービー、さらに言えばシンプリー・レッドみたいなものである。こういう音楽をこういう方法論でガツンと出せば、こういう売れ方をするのだなというマーケティングの見本みたいなバンドであり作品である。ここには音楽的な革新は何もない。それで構わない、というのがこのバンドの成り立ちであり、それを肯定できるかどうかはもはや嗜好の問題であって音楽の問題ではない。

僕はこういう音楽は嫌いではない。タメの利いたR&B系の「黒いロック」としてツボをきちんと押さえながらも、クリーンで構成はしっかりしており、今日的なアップデートも抜かりなくなされている。会社帰りの電車で何か聴こうと思ってふと選ぶアルバムは結構こういう音楽だったりするものだ。優れた音楽には批評性がなければならないという強迫観念に対する批評として成立している、ある種の循環論法みたいなアルバムだと言うべき。

 
GOD HELP THE GIRL O.S.T.
わたくしの二十世紀 Pizzicato One



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