logo 2015年5・6月の買い物


MAGIC WHIP Blur 7竹

「魔鞭」「模糊」というネオン・サインがデザインされたジャケットが印象的な、ブラーの実に12年ぶりの新作である。もちろん「魔鞭」は本作のタイトル『Magic Whip』、「模糊」はブラーのことだが、これは香港でのセッションが本作のもとになっていることを反映してのことだろうか。一度はお蔵入りになりかけたテープを、デーモン・アルバーンとグレアム・コクソンがスティーヴン・ストリートのプロデュースで仕上げたものらしい。

結局のところブラーというのはアルバーンとコクソンのことだということなのだろう。だが、この作品は「アルバーンとコクソンのコラボ」によるアルバムではあっても、「ブラーというバンド」「ひとつの名前の下で活動する運命共同体」のアルバムであるようには僕には聞こえなかった。むしろ、ゴリラズ以降、アルバーンが展開してきた多彩なプロジェクト、コラボレーションのひとつとしてコクソンと組んだと考えた方がしっくりくる。

もちろん楽曲の完成度は高く、音楽としての作りこみもしっかり効いている。ひねりの利いたポップ・ソングという意味ではよくできていると思う。しかしながら、曲調は全体にマイナーで内省的だし、音作りも密室的でミニマル。直近のアルバーンのソロとの相似性を感じさせる内容で、心象風景を延々となぞって行くような稠密さが印象に残る。「デーモン&グレアム」とでもいった新ユニットの作品としてリリースすべきではなかったか。

 
WILDER MIND Mumford & Sons 7松

僕はこのバンドのアルバムをセカンドにあたる前作で初めて聴いた。その時に書いたレビューには「イギリス出身のバンドだが、バンジョーやマンドリン、ドブロ・ギターなどを多用した音楽は、カントリー、フォーク、ケルティックなどの泥臭いルーツ・ミュージックを想起させる極めてベーシックで重厚なもの」とある。エルヴィス・コステロやU2など、アメリカン・ルーツにアプローチするイギリス人の系譜に連なる音楽と考えていい。

ところが、サード・アルバムである本作では、特徴的だったバンジョーの音色はあっさり放棄され、それどころかアコースティックな手触り自体がほとんど失われて、重厚でオーソドックスな、ストロング・スタイルの王道ロックが展開されている。前作のイメージで聴き始めると間違いなく戸惑う。それほど彼らのカントリー・ロックが印象深かったということだろうが、おそらくそれは、彼らにとって本質的なものではなかったのだろう。

では彼らにとって本質的なものとは何だったのか。それは正面突破のロックであり楽曲であり歌であったということか。それだけの覚悟と自信を感じさせる作品であり、風格すら漂う堂々たるロック・アルバムだが、惜しむらくはそこに記名性が欠けていること。極めてオーソドックスなロックを鳴らしながら、そこに他のバンドとは間違いようのない印を刻むのが王道の掟なら、彼らはまだ目覚めの早過ぎた巨神兵だったのではあるまいか。

 
SATURNS PATTERN Paul Weller 7竹

ポール・ウェラーの音楽を初めて聴いたのはおそらく1985年、スタイル・カウンシルのセカンドだった。当時の僕はそこからザ・ジャムをさかのぼって聴き、それをリアル・タイムで聴いていなかったことを悔やんだが、ザ・ジャムのデビューは1977年。8年のギャップを嘆きながら、僕は30年間、スタイル・カウンシルからソロへと、ウェラーの音楽をずっと聴いてきた。ソロに転じてからでも24年。僕は彼の忠実なリスナーであり続けた。

いつの間にかモッド界のゴッド・ファーザーみたいな感じになっていて、ロンズデールもフレッド・ペリーもこの人から学んだ僕としては、モッズもおっさんになって貫録出たら終わりだろうみたいな気もするが、本人は全然現役である。57歳だか58歳だかのはずだが、おそらくそれくらいになるともう細かいことはどうでもよくて、本来歌うべきことがきちんと歌えていればそれでいいという気がするのだろう。それはよく分かる気がする。

これはそういうアルバムである。全9曲、44分と比較的小ぢんまりとしたボリュームだが、そこにぶちこまれた熱量はハンパない。というか暑苦しい。ウェラーの顔は年々押しつけがましくなってくる気もするが、音楽もその通り、最前線というのは自分自身の今ここにあるのだという前衛感がすごい。基本的にはファンク・オリエンテッドで重心の低い硬質な音楽。飾りのないアルバムで、サービスはよくないが、座りはよく味は間違いない。

 
ENGLISH GRAFFITI The Vaccines 6竹

2010年にデビューし、前作は全英1位にもなった若手バンドの3枚めのアルバム。今年は購入する新譜を厳選している中で、このアルバムも買おうかどうしようかかなり迷ったもののひとつ。店頭の試聴機で聴いて買うことにしたのだが、家に帰って何度か聴き返しても印象がなかなかうまく像を結んでくれない。繰り返し聴いても「ヴァクシーンズってどんなバンドだっけ」て感じで僕の中での彼らの位置づけがどんどん曖昧になってしまった。

ファースト、セカンドではかなり高い評価をしていたので、強い印象があったはずなのだが、本作は「何か違う」。そこでファーストとセカンドを改めて聴き直してみたが、そこでは小気味よい、輪郭のくっきりしたガレージ・ロックを鳴らしていて、これは確かに今でも高い評点をつけるだろうと納得。ということはやはり本作の印象が旧譜に比べてもぼんやりして曖昧な訳だ。あの明快さ、あの挑戦的な抒情性はどこに行ってしまったのか。

曲想は豊かになり、演奏の幅も広がった、と本人らは思っているのだろうし、そういう評価もあり得るのだろうが、通勤電車でスマホの画面を見つめながらイヤホンを耳に挿す現代のプロ通勤者にはあまりに行儀がよく引っかかりのないロック。初期衝動の質を落とさず、ザラザラやギザギザを面取りしないで成長することの難しさは今まで多くのバンドが直面したものだが、彼らもまたその難問を乗り越えられなかったか。次はもう買わない。

 
BIG LOVE Simply Red 7竹

オリジナル・アルバムとしては2007年の「Stay」以来、11枚目となる作品。シンプリー・レッドはファースト・アルバムからずっと聴いているが、この作品もいつものようにとことん無反省で調子のいいブルー・アイド・ソウルがグイグイと12曲。ロックとは何かとか表現とは何かというような意味のない葛藤とはまったく無縁の、知らない間に足がリズムを刻んでいる系のグルーヴが最初から最後まで楽しめる上質のエンターテインメントだ。

こうしたソウル系の調子よさというのは、もしかしたらイギリスでは日本でいう演歌みたいなもので、ロックとはちょっと別のカテゴリーなのかもしれないと思うのだが、この有無を言わせずいちばん気持ちのいいツボを突いてくる感じはポップ・ミュージックの最も本質的なものをきちんと踏まえてのことであり、というかポップ・ミュージックはもともとここから始まった訳であり、ロックでないならロックでなくていいということだろう。

無反省で調子のいい音楽が、それだからこそ一定の批評性を帯びるのは不思議なことではない。ソウル・ミュージックのルーツである黒人霊歌は抵抗の音楽である。そこでは、楽しみ、悦ぶこと自体がひとつの抵抗であり、表現の本質なのだ。それを、黒人ではないミック・ハックネルが歌うことは批評的な行為であり、そこに生じるギャップが自体がひとつの明確なコミットである。などというようなことは考えないで無反省に楽しみたい。

 
SONGS FROM THE FALLING Tracey Thorn 7松

クリスマス・アルバムだった前作から3年ぶりの新作。キャロル・モーリー監督の『The Falling』という映画のサウンド・トラックである。全8曲、最も長い曲でも3分強、5曲は1分台の小品が中心で、ポップ・ソングというよりは映画の中で使われる「歌」の断片を拾い集めたようなミニ・アルバムになっている。大半の曲はソーン自身のピアノに乗せて歌われる静謐でミニマルな音楽のかけら。相方のベン・ワットがエンジニアを務めている。

完成した「曲」を楽しむには食い足りない感ももちろんあるが、必要最小限のアレンジで「歌」の核心部分だけを端的に提示するスタイルには、ポップ・ソングとしてコマーシャルにパッケージされる以前の音楽のむき出しの通用力があり、童謡のようにプリミティヴな伝播力、喚起力がある。そしてそれはもちろん、ソーンの書く曲が、ひとつひとつ個性的で印象的な唯一無二のメロディを持ち、表現として高い強度を具えているからだろう。

それからまた、ソーンの張りつめた声の力も忘れてはならない。僕は過剰な「情念」を感じさせる女性ボーカルが苦手なのだが、トレイシー・ソーンの声は、情感を削ぎ落とした無機質さととっくに失くしたものを思い出させる遠い憧憬のような切なさが共存する奇跡的な質感があって、それはこうしたシンプルなプロダクションであればこそ際立つ。母性とも少女性とも違うこの声の唯一無二な特性にはいまだに類例がない。聴く価値はある。

 
KABLAMMO! Ash 8梅

アッシュというのは本当に特別なバンドだと、新しいアルバムを聴く度にいつも思う。基本的には初期衝動で勝負するタイプのパワー・ポップ・バンドだと思うのだが、実際にはデビューから20年。30代後半になってもこのスタイルで勝負している、勝負できているというのはかなりすごいことだ。おそらくこれはもう初期衝動ではないはずなのだが、それでは否応なく僕たちの耳に入りこんでくる、この音楽の力の源泉はいったい何なのか。

本作でもスリー・ピースでグイグイと圧力をかけてくるアグレッシヴさは変わらない。しかし、それが決して単調にも退屈にもならず、それぞれの曲がくっきりとした輪郭を持ち、最後まであっという間に聴かせてしまう。このバンドの競争力の根源のひとつがその卓越したソング・ライティングであることは間違いない。シンプルなギター・ロックは、曲が凡庸であれば致命的に粗雑に聞こえる。彼らの曲の端整さはひとつの大きな武器だ。

だが、最も大きいのは彼らが自身の音楽のあり方に疑問を持っていないことだろう。いい年してガキみたいなロックは恥ずかしくてできないとか、年をとれば相応に成長しなければならないとか、そういうくだらないオブセッションがまったくないから、彼らの音楽は確信に満ちてストレートに響くのだ。それがまったく内発的であることが彼らの強みであり、彼らの音楽を遠くまで届けるモチーフ。長いブランクを感じさせない快作である。

 
THE LOVED ONE 山田稔明 8竹

愛猫家で知られる山田が、2014年に死んだ飼い猫ポチに捧げた作品。『ポチの子守唄』『猫町オーケストラ』などタイトルでそうと分かるもの以外の曲の歌詞にも必ず猫が登場するのだが、それは山田の作品では別に珍しいことではないのかもしれない。少なからぬ山田の曲ではまるで風景にとけこむように猫が歌いこまれていて、「愛されしもの」というこのアルバムのタイトル通り、振り返ればポチはいつもそこにいたということだろう。

だが、僕たちにとって、そして山田にとって、おそらくはポチにとっても大事なことは、このアルバムがそうした「文脈」とか「事実関係」から離れて、ひとつのポップ・アルバムとして開かれた存在であり、そうした「事情」を何も知らない人をもオープンに受け入れる風通しのよさがそこにあるということだ。意表を突くモータウン・ビートで始まる冒頭の『my favorite things』、アコーデオンが印象的な『small good things』がいい。

心を直接覗きこむことはできなくて、僕たちはそれを「別の何か」に置き換えることによってしか理解することができない。山田はそれをポップでオープンな音楽に置き換えて見せた。ポチのことなんか知らない人がこのアルバムを手にとって聴き、ポチのことなんか知らないまま鼻歌で歌うことこそが、このアルバムの、「置き換え」の価値であるはず。「書きかけのメッセージを握りしめて眠るのだ」って、何て奇跡のようなライン。RIP

 
LAUNDRETTE Deaf School
PORTABLE TUNES 2 HARCO



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