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SONG READER Beck 7竹

ベックが2012年に楽譜の形でリリースした20曲を、さまざまなアーティストが演奏したコンピレーションというか、演奏者はさまざまではあるがベックのアルバムというべきか。僕たちはふだん音楽を初めから出来上がった「音」として聴く。アレンジされ、プロデュースされ、パッケージされたひとつのプロダクトとして受け取る訳だが、考えて見れば1877年にエジソンが蓄音機を発明するまで、音楽を記録する方法は楽譜しかなかったのだ。

音楽を聴く方法は実際に演奏するしかなかった訳で、音楽は楽譜を頼りに論理的に再現されるものだった。今回のベックの試みは、自らの音楽からアレンジやプロデュースやパッケージをはぎ取り、詞と曲というエッセンスに一度還元した上で、さまざまなアーティストの手に委ねるというもの。面白いのは、ベック自ら演奏した曲はしっかりベック的な仕上がりになっているのに、それ以外は言われなければベック作品とは分からないこと。

ベックの作品には彼独特のアクというかクセみたいなものがあって、それは節回しとかそういうところに潜んでいるのかと思っていたが、このアルバムを聴くと、どうも彼の書く曲そのものはかなりオーソドックスでプレーンなもののように思えてくる。参加アーティストは、ウィルコのジェフ・トゥイーディ、ジャック・ホワイト、FUN.、マーク・リボーら。20曲もあって散漫な部分もあるが、ベックの音楽が開かれた点で意味のある作品。

 
WICKED NATURE The Vines 8梅

前作から3年ぶりの新作。フロント・マンであるクレイグ・ニコルズ以外のメンバーが入れ替わりスリー・ピースに。アルバムは22曲入り、CD2枚組のボリュームだが、収録曲の大半は2分前後のサイズで全部聴いても1時間足らず。正直CDをなぜ2枚に分けたかも分からないが、ニコルズによれば「パート1はロックンロール、パート2は好きな曲を詰め込んだ」ということらしい。確かに1枚目はギター・オリエンテッドなロック・ナンバー中心だ。

とはいえ、彼ら(というか彼)の作品を聴いて「ハード」だとか「ヘヴィ」だとか思ったことはあまりない。確かに、聴けばニルヴァーナを思わせるようなヘヴィなリフでぐいぐい押してくる曲もあり、「グランジとビートルズの出会い」的な形容をされていた彼らの出自を思い起こさせたりもするが、耳に残るのはあくまで独特のひねりと陰りを帯びた構築度の高いメロディ。大気に放出されるより限定的な空間を塗りこめるタイプの音楽だ。

ジャケットになっている「滝の前に立つ裸婦」の絵も、歌詞カードに掲載された抽象画も、空間を分割し、ぬり絵のようにそこを埋め尽くすことへのオブセッションめいたニコルズ意志を感じさせる。このぬり絵感、箱庭感は良くも悪くも彼の音楽の特徴だ。彼のラウドなギターは決して解放を意味しない。そこにあるのは、自分の内なるヴィジョンへの沈潜であり、没入。これはニコルズの自己療養の試みであり、それ故ロックに他ならない。

 
PLAYLAND Johnny Marr 6竹

前作から1年と短いインターバルでリリースされた、ソロ名義としては2枚目のアルバム。正直もう買うのはやめようと思っていたのだが、店頭で視聴機を聴いたら思いの外ロック寄りというかビート寄りの、歯切れのいいパワー・ポップだったので思わず買ってしまったのだ。実際、家で聴いてもその印象そのものは変わらない。ギタリストのソロらしい独善的なブルース・テイストやハード・ロック志向がないのはこの人のバランス感覚だ。

だが、ここにはそれ以上の、これがジョニー・マーだという記名性がまったく欠けている。決して作品の質が低い訳ではないと思うが、コンパクトにまとまったギター・ポップという以上の何かはそこに見出し難い。これがジョニー・マーの作品でなければおそらく誰も見向きもしない凡庸な作品だ。残念だし残酷な物言いかもしれないが、マジック・アワーは既に終わってしまった。ここにあるのは何かが立ち去った後の風景に他ならない。

ジョニー・マーはおそらくアーティストというより職人であり、はっきりした役割を割り当てられて初めて輝く才能なんじゃないかと思う。これまで彼がザ・ザ、プリテンダーズ、エレクトロニック、クリプスなどに在籍し、バンドの一員として活動してきたのは正しかった。ジョニー・マーはフロントに立つ人ではない。彼にはコンセプトとかストーリーというものを作り出す力が決定的に欠けているのだ。スミスの旧譜を聴いた方がいい。

 
ART OFFICIAL AGE Prince
PRECTRUMELECTRUM Prince & 3rdeyegirl
7松

告白すれば、プリンスの作品を買ったのはこれが初めてである。もちろん1980年代から洋楽を聴いてロッキング・オンだって毎月買っているのでその名前を知らない訳はないし、シングル・ヒットくらいは聴いたこともある。レコード屋でバイトしていた頃は「パープル・レイン」が異様に売れるのを目の当たりにして「何やこの小汚い趣味の悪いおっさんは…」と驚いた記憶もある。それでも彼の音楽をきちんと聴いたことはなかったのだ。

もはや2010年代も半ばになった今、ようやくプリンスの新譜を、それも2枚同時発売なのを両方買いこんで聴くことにした理由は自分でもはっきりしないが、聴いてみた感想は「思っていたより普通」。もっとぶっ飛んだ暴力的な何かを期待していた僕としては、意外に行儀よく、ポップで聴きやすい作品だというのが第一印象。もちろん、間口も奥行きも破格の、ワイド・レンジなポップであるのは間違いないが、逸脱や破綻は見られない。

ファンク、バラード、ロック、その他冷蔵庫に入っているものは何でもぐしゃっと大鍋に放りこんで煮込んだような奔放さや自在さは、純血種のロックにも、ファンクにもないもの。怪しげなユニット名義でのリリースなどのフェイクも含め、そこにあるのはプリンスというひとつのジャンルというかブランド、一種の新興宗教のようなものなのかもしれない。習慣性ありハマると危険なところも宗教的。押しつけがましさに価値のある音楽。

 
SUKIERAE Tweedy 7竹

ウィルコのジェフ・トゥイーディのソロ・プロジェクト。ジェフの息子のスペンサー・トゥイーディがドラム他で参加していることから、ジェフはデュオ作と説明しているし、彼の認識としてはその通り、家族で作り上げたアルバムなのだろうが、一介のリスナーとしてはまずジェフのソロ・アルバムだと思って差し支えないだろう。10曲入りCD2枚組、全20曲72分の大作だがこれならCD1枚にギリギリ収録できたんじゃないか。まあいいけど。

内容的には随分地味なフォーク・アルバムと言っていい。ホーム・レコーディングのデモかと思わせる最小限の楽器構成で、ドラムをスペンサーが叩いている他はほとんどの楽器をジェフが演奏している。それでも、聴き始めると、間違いなくウィルコだと思わせる節回し、コード展開が随所に出てきて、ウィルコの独自性はやはり曲自体のしっかりした骨格が支えているのだなと改めて感じさせる。そのことがより明確に感じられる作品だ。

とはいえ、地味なフォークを20曲聴き続けるのは、小忙しい現代にあってはいささか贅沢な営みだ。特に、ネット・ダウンロードで、好きな曲を1曲単位で聴くことに慣れた耳には、注意深く1曲1曲に集中しながら1時間以上1枚のアルバムにつきあうのは、集中力という意味でもなかなかハードルが高い。よくできたアルバムだけに収録曲を半分に減らしてくれればと思うが、集中するよりはむしろ生活のBGMとして聴くべきなのかもしれない。

 
V FOR VASELINES The Vaselines 7松

正直この人たちのことはよく知らなくて、何となく名前を聞いたことがあるという程度だったのだが、店頭でアルバムを見かけ視聴機で聴いて購入決定。後知恵によればザ・パステルズに連なるスコットランド・スクールのバンドというかユージン・ケリーとフランシス・マッキーの男女デュオ。1980年代にオリジナル・アルバムを1枚だけ残して解散していたが、その後再結成、2010年に2枚目のアルバムをリリースし、本作は3枚目らしい。

ニルヴァーナのカート・コバーンが彼らのファンであると公言したことから再評価されたとか。ユージン・ケリーは一時BMXバンディッツに参加、本作ではティーンエイジ・ファンクラブのフランク・マクドナルドやベル&セバスチャンの誰かも参加しているということで、その位置づけからすれば、僕などはもっと早く聴いておくべきバンドだった。今作ではラモーンズに触発され、人々にすぐに届くパンク・ロックを書きたかったらしい。

実際、オープニングなどはまさにガレージ・パンクともいうべき景気のいいスピード・チューンだが、聴き進めればミドル・テンポの曲も多く、パンクというよりはビート・ポップであり、むしろ曲作りの達者さが印象に残る。パステルズ、プー・スティックスなど、独特の楽天性を持った一連のスコティッシュ・バンドとの共通点を感じるのは、出自からして当然か。「これでいいのだ」的な肯定感はまさにロックの本質。僕の好きな音だ。

 
THE BEST DAY Thurston Moore 7松

ソニック・ユースのフロント・マン、サーストン・ムーアの4枚目のソロ・アルバム。なんでもサーストン・ムーアは長年のパートナーであるキム・ゴードンと離婚したのだそうで、ソニック・ユースのバンドとしての活動ももしかしたらもうないのかもしれない。そういう意味では今後中心的な活動になって行く可能性の高いソロの作品。各種レビューによれば今作はロック・オリエンテッドということで、確かにビートの効いた楽曲が多い。

ギターの鳴りやソング・ライティングの手クセなどはそのまんまソニック・ユースを彷彿させ、確かにこの人がソニック・ユースだったのだなと感じさせるが、特徴的なのはビートの効いた曲でさえ視線が極めて内向的、内省的だということ。さまざまな感情を自分の内側に沈潜させ、自分自身の個人的な問題として超克しようとするモメントが窺える。先に書いたような個人的な事情と関係するのかは分からないが、奇妙な静謐さが印象的。

だが、考えてみればソニック・ユースというバンドは常に内省的だったのかもしれない。一見アグレッシヴでエクスペリメンタルな作品においても、その視線は常に自己の内側に向けられ、空気の中に何かを解き放ってすっきりするような音楽とは一線を画してきた。音楽がどこまで行っても個人的な経験でしかあり得ないことを踏まえた個人的な音楽だった。派手な作品ではないが、これもまたそのような個的な解釈によって成り立つ音楽だ。

 



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