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MBV My Bloody Valentine 8松

前作のタイトルは「ラヴレス」だった。彼らの音楽は桃源郷みたいなフィードバック・ノイズと遠くから聞こえてくる天使の声みたいなボーカルとで白昼夢のようだと形容されることも多いが、これのどこが夢だというのか。愛もなければ夢もない、それがマイブラの音楽に他ならないのはもう20年以上前に証明されたものだとばかり思っていたのだが。ここにあるのは徹底してリアルで徹底してソリッドな、世界の認識そのものではないか。

このアルバムを聴いたとき、多くの心あるマイブラファンは思わず笑ってしまったに違いない。何や、そのままやんけ、と。もはや伝説と化したあの「ラヴレス」が鳴り終わって20年以上が経過したが、止まっていた時計はまるで何もなかったかのように続きの時間を刻みだしたのだと。なぜならこれがケヴィン・シールズにとっての徹底してリアルな世界だから。愛もなければ夢もないからこそこの音楽は臆面もなく21世紀にすら響くのだ。

ケヴィン・シールズはおそらく、この音楽を通じて何かを伝えようとしている訳ではないと思う。なぜならこの音楽こそが彼にとっての現実だから。現実を現実として歌うことにそれ以上の意味はもはやない。すべてが曖昧に沈み込もうとしていた前作に比べれば、バイオレントでアグレッシヴな印象は受けるが、それはケヴィン・シールズが自分の業をより直接的に明らかにしただけのこと。どこにも行き着かないからこそ素晴らしい作品。

 
AMOK Atoms For Peace 7松

初めてポカリスウェットを飲んだ時、何じゃこりゃと思った。それまでジュースといえばプラッシーとか三ツ矢サイダーとかそういうコンセプトの明快なものしか飲んだことがなかった田舎の中坊に、あのぼよ〜んとした何とも言えない曖昧な味、甘いのか塩辛いのかもよく分からないような多義的で刺激のない味は新しすぎて理解できなかった。それが今は二日酔いの午前中はがぶ飲み。水分が欠乏したときにはあの味を身体が求めるのだ。

レディオヘッド系の音楽は僕にとって聴いて楽しいものではない。何かいいもの、すごいものだということは分かるのだが、聴いていても何か精神修養しているようで全然楽しくない。だが、このトム・ヨークとレッチリのフリーのコラボ作は聴いたときから自然に身体に入ってきた。二日酔いの朝に飲むポカリスウェットのように。音楽としてはすごくぼよ〜んとしたミニマルなものなのだが、何かすごく安心感があるというかそんな感じ。

もともと2006年に発表されたトム・ヨークのソロをステージで生演奏するために集まったメンバーで制作したものらしい。そこではもう電気的なもの、機械的なものと、人間的なものの境目はあやふやだ。会社で椅子の脚とか蹴飛ばしてしまって思わず「あ、ごめん」と椅子に謝るような、もはや椅子も友達的な感じのヒトもモノも一体の微温感はちょっと他では味わえない。聴いててすごく楽。これくらいの感じでレディへも聴けばいいのか。

 
GRAFFITI ON THE TRAIN Stereophonics 7竹

日本にいるとよく分からないのだが、本国イギリスではすごい人気だったりするバンドってある。例えばビューティフル・サウスとかもそうらしいが、このステレオフォニックスもイギリスでは知らぬ者のない大衆的イコンなのだそうだ。今作は彼らが長く在籍したV2レコードを離れ、自ら設立したレーベルからリリースした4年ぶりの新作。これまで彼らのアルバムは律義に2年サイクルだったので、いろんな意味で転機を経た作品だろう。

内容的にはこれまでと同じ、大らかでグルーヴィな、どちらかといえば英系というよりは大陸的な、オーソドックスでアーシーな王道のロックである。だが、それが単にカリフォルニアの青いバカ的な感じにならず、泣きの入った島国的な湿り気を一方できちんと実装しているところが、このバンドがイギリスで国民的人気を博している理由なのだろう。曲によってはあまりの泣きの入り方に、本国では演歌枠のバンドなのかもと思わせる。

何といっても曲がよくできているし、王道を行きながら陳腐に陥らない圧倒的なエネルギー波動の強さみたいなものがあるのは間違いない。この独特のスケール感とケリー・ジョーンズの声の魅力は捨て難いのだが、いかんせん、こうした作りのよさがイギリスのドメスティック・マーケットに過適応してしまっているように感じられるのがもったいない。まあ、この微妙なところは日本人には難しいのか。ましていわんやアメリカ人をや。

 
THE MESSENGER Johnny Marr 7梅

ザ・スミスは特別なバンドだった。ザ・スミスはジョニー・マーによるモリッシー救済の物語であり、ジョニー・マーはモリッシーがその歪んだ自我の奥にため込んだいびつなリビドーをきらきらしたアルペジオに乗せて大気中に昇華させる霊媒であった。モリッシーはマーによって浄化されたのだったが、マーもまたモリッシーを得て初めて彼の表現を形にすることができた。なぜなら霊媒は常に通過される者であり、本質的に空だからだ。

彼らは相互に依存する魂の双子であり、それぞれの足りないものをそれぞれに過剰なもので補い合っていた。それはモリッシーが詩を書いてマーが曲を書いたということだけではない。モリッシーが解き放つ術もなくためこんだドロドロの何かを、マーはいとも簡単に音楽という言語に翻訳することができたということだ。そのことは、ザ・スミスが解散してからモリッシーが再びただの気色の悪いおかまになってしまったことでよく分かる。

では、ザ・スミスが解散してからのマーはどうだったのか。それはおそらく彼にとっても困難な時間だった。彼の音楽的才能に見合うドロドロを抱えたアーティストはそう簡単に見つからなかったし、それは彼自身の内側にも見当たらなかった。誠実で、丁寧で、印象的なギター・ロックだ。曲もギターもボーカルも好ましい。だが、語られるべき物語はもうずっと前に語られてしまった。マーは今もザ・スミスの対価を支払い続けている。

 
180 Palma Violets 7竹

ロンドン出身の4人組バンドのデビュー・アルバム。ガレージっぽいラフでラウドなギター・ロックである。こういうオールド・ロックのテクスチャーで初期衝動をぶつける手法は実際にはそれほど珍しいものではなく、というかひとつのやり方としてもはや確立された感もあるのだが、ポイントはもちろん手法そのものではない。重要なのはそこで表現されている初期衝動の質と量、そしてそれを作品に昇華する音楽的な実力の有無である。

一聴すると確かにザ・フーを思わせるようなビート・ポップがあり、それを意識したようなレトロスペクティヴでグラマラスなアレンジもあるが、よく聴くと曲の作り自体は意外とオーソドックスでポップ。メリハリやバラエティもしっかりしていて、普通にブリット・ポップ的な文脈でリパッケージすることもできるんじゃないかと思うくらい。それがこのざっくりしたサウンド・プロダクションと馴染んだところがこのアルバムの勝利だ。

あとはこの初期衝動をどう持続可能なものに転化して行くかということだが、それは何もこのバンドだけが抱え込んだ問題ではないし、まあ、考えてみれば転化する必要も本当はないのかもしれない。僕たちはただ、彼らがこのアルバムにぶち込んだ青臭い若さのエキスを回春剤としてチュウチュウ吸えばいいのだ。それが蕩尽されて代わるものが何も出てこないのならまた新しいバンドを探しに行けばいい。次で真価が問われるということ。

 
PUSH THE SKY AWAY Nick Cave & The Bad Seeds 7松

2008年の前作が親父の暴走ロックで、2010年のグラインダーマンが暗黒節炸裂の異形のブルースロックだったのに比べると、本作はまたグッと深いところに潜り込んだ感じの渋い感じのヤツである。いや、何でそういう微妙な説明になるかというと、じゃ、これがバラードかと問われるとバラードじゃないよなと思うからである。慈しむように歌われるスロー・ソングがほとんどなんだが、そこあるのは確実に不穏で剣呑な異化作用だからだ。

絶叫こそしていないしアレンジも比較的まともなロックのフォーマットに準拠したものだが、その底流にあるのは聴く者を不安にせずにはいられないザワザワした破綻の予感である。当たり前に繰り返される安定したサイクルが、ある日突然些細なことで簡単に狂い始めるということを僕たちに思い起こさせる。それはいつもほんのわずかなズレや誤差から始まるもので、このアルバムはそのわずかなズレや誤差を執拗に突きつけてくるのだ。

ニック・ケイヴももう55歳とからしく、いつまでも暗黒王子キャラではないと思うし、容貌的には既にかなり瓦解が進んでいるようにも見えるが、もう少し滋味のある年相応のバラード親父になるのかと思ったらここでまたこの暗さ。暗い。通勤に聴く音楽じゃない。ただでさえ重い足が決定的に進まなくなること請け合いだ。おそらくこの親父は人の生に潜む本質的な暗さから目を逸らすことができないのだ。聴くべき音楽だが覚悟は要る。

 
PAINTING Ocean Colour Scene 7梅

オーシャン・カラー・シーンといえば言うまでもなく1996年のアルバム「Moseley Shoals」が出世作だが、アルバム・デビューは1992年であり、セルフ・タイトルのそのアルバムは地味で売れなかった。そのデビュー・アルバムを96年のブレイク以前に(セールのワゴンで)買っていたのが僕の自慢だ。それから20年、アルバムが出るたびにマメに買い続け、このアルバムもちょっと迷いはしたが今さら降りる訳に行かないということで買った。

悪くない。悪くないというのはほめ言葉なのかどうか知らないが、悪くない。オーソドックスなポップ・ロックのフォーマットに則って、メリハリのついた歌モノをきっちり揃えてくるあたりはベテランの確かな地力を感じさせる。もともと90年代のブリット・ポップの文脈で世に出たバンドであり、オアシスやポール・ウェラーとの関係で生き残ってきた連中なので、そういうオーソドックスなのは得意技なのだ。安定のクオリティである。

だが、アルバムが出るたびに同じことを書いてる気もするが、このバンドには世界を変えて行くような突出したモメントはない。いい仕事はするが驚くようなアイデアが出てくる訳ではなく、失敗はないが目を見張るような活躍もない。もちろん誰も彼もが世界を変える必要はなく、訥々といいアルバムを作り続けるバンドもあっていいのだが、もうちょっとモッドというかR&Bにアプローチした男気系のハードなビート・ポップがあればな…。

 
UNDERSTATED Edwyn Collins 8竹

ここには音楽的なイノベーションは何もない。現代的なテクノロジーもない。エドウィン・コリンズは1959年生まれの53歳、もちろんもう若くもない。売れている訳でも話題になっている訳でもない、たぶん。だが、この現役感は何だ。この、オレたちの日常を追い越して行く勢いのスピード感は何だ。いや、それは単なるスピードではない。それは危機感である。それは焦燥である。もう執行猶予などどこにもないことを知る大人の焦燥だ。

出し惜しみすることなく次から次へと繰り出される小気味よいビートのギター・チューン、そしてノーザン・ソウル。そうか、オレンジ・ジュースでやりたかったのはこれだったんだなと今になって納得するような、無駄なくシェイプされた骨太で筋肉質の音楽は、ロックという表現の必要十分条件を身をもって知る者だけが叩き出せる類のもの。予備校のCMじゃないが、これをやるのはもう今しかないという強い動機が音楽の質に昇華している。

適当なことを言い放っても許され、挽回の余地ややり直しの時間があった若造の頃と違って、オレたちにはもう時間もないしやり直しも効かない。やるかやらないかは今ここで決めなければならない。降りるのか続けるのか毎日見極めしなければならず、続ける気があっても続けられるとは限らない。大人のロックとはそういう焦燥と向き合うべきものであり、それは初期衝動なんかよりよっぽど生の核心に近いもの。名盤としか言いようがない。

 
COMEDOWN MACHINE The Strokes 6竹

これは買うかどうか迷ったアルバム。デビューしたときの彼らの音楽には確実に何か因習的なものをぶち壊すパラダイム・シフト的な目からウロコ的な鮮やかさがあったと思うが、それも考えてみればもう10年以上前。初期衝動や目新しさで勝負できる新人時代はとうに過ぎ去り、かつてはぴったりと同期していた「時代」的なものとの蜜月も終わった。逆説的に言えばやっと音楽そのものを正当に評価してもらえるようになった訳なのである。

もちろん彼らはもともと初期衝動や目新しさだけで評価されていたバンドではない。いささかハイプ的に祭り上げられた感はあったものの、ストレートで身も蓋もないロックンロールというフォーマットとポップでメリハリの利いた曲というコンテンツの抜群のコンビネーションで、「ガツンとやっときゃいいんだよ、こんなもん」くらいの潔さがあったからこそ祭り上げに耐えたのである。その間違えようのない資質はここにもきちんとある。

しかし、前作の時にも似たようなことを書いたと思うが、そこにはあの時のストロークスが身にまとっていた旬の切れ味に代わる何かがない。曲そのものはよくできているし演奏もアレンジもコンパクトでポップにまとまっている。だが、限られた予算でCDを何枚か買おうとするリスナーの選択肢の中での優先順位をグッと上げさせる付加価値が何なのか分からない。残酷な言い方をすれば「旬は過ぎた」。次作はもう買わないかもしれない。

 
OVERGROWN James Blake 8梅

音楽を聴くときにはCDにせよiPodにせよアルバムを選んでプレイボタンを押すので、知らない間に始まっているということは普通はないが、何かに没頭している間に音楽が知らない間に終わっているということはある。で、特に何かに没頭していなくても、知らない間に始まり知らない間に終わるような音楽というのがあって、このジェイムズ・ブレイクの新譜はまさにそんな感じである。一所懸命集中して聴いていてもそんな感じがするのだ。

歌詞に耳をそばだてて共感する音楽もあれば、ビートに身を委ねてボルテージを上げる音楽もある。ひとくちに音楽といっても意識のどの部分で、どのレベルで入り込むかという点では千差万別だが、このアルバムはむしろ意識下に直接潜り込んでくるようなサブリミナル的な利き方をする。ダブステップが何とかってデビュー作では言われたが、正直ダブステップなんて知らないしどうでもいい。むしろこれは21世紀のゴスペルかもしれない。

最近防水のウォークマンを手に入れて、プールで泳ぐときに音楽を聴くことを始めたが、この音楽は水中で聴くのに向いてる音楽かもしれない。ゆったりとしたビートは心音を思わせ、羊水に浮かんでいるみたいな安心感を与える。意識下に入り込んでくるので、むしろ集中して聴く必要などないのかもしれない。難点を挙げるとすれば、あまりにシリアスであること。あと、泳ぎながら聴くとあまりの安心感に泳ぐのを忘れてしまうことだ。

 



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