logo 2012年3・4月の買い物


WRECKING BALL Bruce Springsteen 8梅

ボスことブルース・スプリングスティーンの3年ぶりの新作。キャッチーなポップ・アルバムだった前作、前々作に比べれば地味な作品で、現代社会に対する怒りが感じられるプロテスト・ソングでありフォーク・アルバム、とレビューなどには書かれている。そう言われればそうかとも思うが、歌詞の隅々まで注意が行き届かない僕のようなリスナーにとっては、現代のアメリカが抱える病巣に対する告発とか言われても全然ピンと来ない。

ていうか、ブルース・スプリングスティーンという人は、どのようなポップ・ソングにあっても、現代のアメリカ、現代の世界が抱える「不誠実さ」「不正直さ」みたいなものに対して一貫して異議を申し立ててきたアーティストだ。そういう意味では本作だって別にとりたてて目新しいものではないはずだ。ボスがいったい何に腹を立てているというのか僕には分からないが、そこにあるのは怒りというよりもっと複雑な感情ではないのか。

僕が歌詞もよく分からないままにこのアルバムを聴いて、率直に感じたのは、怒りよりもむしろ祈りに近いものだ。人と人がどのように努力しても最終的には分かり合うことのできない宿命に対する限りない苛立ち、絶望、もちろん怒り、そしてそれでもそこに一筋の希望を探さずにはいられない強さと弱さ、それらをすべて包含した祈りのようなものだ。誠実であることの限りない価値を、この人の音楽を聴くたび思う。そういうアルバム。
 

 
SONIK KICKS Paul Weller 8梅

このところまるで夢で見たシーンの断片をそのままたたきつけるような性急な味わいのアルバムが続いていたポール・ウェラーだが、今作は少しばかり毛色が違う。性急なのは相変わらず性急なのだが、楽曲はより取っつきにくく、アレンジはよりひねくれ、音楽的にもストレートな歌モノロックとは一線を画した「気むずかしい」アルバムに仕上がっているのだ。馴染みのゲストを迎えながら、内輪話の予定調和に堕する甘さも見られない。

ウェラー本人はノイ!やカンといったクラウトロックの影響にも言及しているようだが、その辺のアーティストについては僕は真面目に聴いたこともないのでよく分からない。しかし、ここでの兄貴は音楽的な「分かりにくさ」を恐れずに商業的にはムリ筋な隘路を頓着せず進んでいる。周囲との軋轢やリスナーの失望、戸惑いなどに対する暖かい配慮はまったくないし、そうしないことが自分のマナーだということをよく分かっているのだ。

ロックと成熟というテーマは僕がこのところずっと気にしているものだが、先にレビューしたスプリングスティーンの新譜がそのひとつの答えであるならば、このウェラーの新譜もまたひとつの試論であり得るだろう。いずれにしてもそこにあるのは自分の表現に対して責任を負うことの覚悟であり、それも自分の表現が今現在の自分自身とリンクしていることへのこだわりなのだと思う。繰り返し聴くに足る作品であることは言うまでもない。
 

 
TROUBLED TIMES Cast 7松

キャストというバンドを、僕たちは長い間ラーズの代用品みたいに思っていたのではなかったか。リー・メイヴァースという不世出のソングライターを中心に、一枚きりのオリジナル・アルバムを残してシーンから姿を消したバンドの、ベーシストが組んだバンド。鮮烈なデビュー曲で僕たちにその名前を印象づけはした。しかし、そこには常にラーズの存在が色濃く影を落としていたし、ジョン・パワー自身もそれを敢えて引き受けてきた。

ソロとして活動していたジョン・パワーが10年ぶりにキャストのメンバーを集めて製作した再結成盤である。そこにはもうラーズの影はない。いや、もちろん音楽的なつながりはある。率直でアコースティックな音楽の手触りはラーズを連想させる部分もある。だが、このアルバムはそれ以上にキャストというバンドが苦労して作り上げてきた色を思い起こさせる。そうだ、キャストというのはこういう音楽をやるバンドだった、と思わせる。

ジョン・パワーの特徴あるしわがれた声は聞き違えようもない。アクのある、しかし親しみやすく明快なメロディ、かき鳴らされるギター。それは、そこにある衝動をどうやって最短距離で、最も原型に近い姿のまま届けるかという問いに正面から答えるような、近く、直線的な音楽だ。すべての答えは、ジョン・パワーの美声とは言い難いが耳を捉えて離さないこの声の中にあると言っていい。内輪のお楽しみを越えたマジモンの再結成だ。
 

 
SWEET HEART, SWEET LIGHT Spiritualized 7竹

スピリチュアライズドといえば1997年の出世作『宇宙遊泳』。当時定期購読していたNMEの年間ベストアルバムに選ばれているのを見て翌年に買った覚えがある。当時の僕のレビューは「ノイズ、ガレージからゴスペルまで、雑多な音楽的要素をぶちこみながら、もはやサイケデリックという形容さえ意味を持たないような神なき宗教性とでもいうべきものを獲得した」。今さらながらオレっていいこと書くわと感心するくらい的確な評だな。

ジェイソン・ピアース自らが語る通り、今作ではこれまで敢えて避けて通ってきたポップな作品を堂々と並べて見せた。どの作品も、ことさらに奇を衒ったり関節をはずしにくるようなことはない。どちらかといえば素朴なメロディと正統的なアレンジ、肉声という呼び方がぴったりくる近くてちょっとヨレたボーカル。ポップというよりはゴスペルに近い真摯さとか祈りのようなものを感じさせる、誠意あふれるアルバムだといえるだろう。

だが、面白いのは、ピアースがそうやって正面突破のオーソドックスな作品を作ろうとすればするほど、それぞれの作品に内在している微妙なパースの狂いが際立って行くことだ。隠しようもないある種の過剰感、無駄なまでのスケール感、それこそがスピリチュアライズドをスピリチュアライズドたらしめていた部分であり、それはポップで分かりやすい本作でこそ顕在化するもの。そして過剰であることは間違いなくロックの属性なのだ。
 

 
A+E Graham Coxon 7竹

ブラーのギタリストであるグレアム・コクソンのソロ・アルバムなのだが、どうもこれが既に8枚目のソロらしい。僕はもともとブラーにはあまり興味も愛情もなく、一応アルバムは後から揃えて一通り持っているはずなんだがもしかしたら買ったまま聴いてないのもあるかもしれない程度の入れ込み具合なので、デーモンはまだしも、グレアムのソロまでフォローしきれていなくても不思議はない。ていうか今作を買ったことの方が異例…。

僕としては、ブラーのサウンド面担当的なイメージから、もっと端整でポップ然とした分かりやすいソング・オリエンテッドな作品をイメージしていたのだが、聴いてみるとポップではあるもののもっと今ふうのエレクトロニカやダンス・ミュージックへのアプローチがはっきりと窺える、甘さ控えめのクールな仕上がりだ。聞けば前作はアコースティックで職人的なアルバムだったそうで、そこから彼なりの王道復帰を指向した作品らしい。

だが、この作品を聴いて素直に思うのは、努めて2010年代型のポップを展開しながらも、そこに顔を出さずにはいられないヒューマンな気難しさ、影のようなものの存在である。そしてそれは、ゴリラズや他のアーティストとのコラボ、舞台音楽などといった「仕掛け」を介してしか世界と語り合わないデーモンの写像のようにも感じられるのである。アルバムとしては全然悪くないが、いろいろ余計なことを考えてしまうのは申し訳ない…。
 

 
VALENTINA The Wedding Present 7松

ああ、正直言って21世紀も10年が経過し46歳になってウェディング・プレゼントの新譜を聴くことになるとは思わなかった。ウェディング・プレゼントといえば1992年に毎月シングルをリリースする企画に挑み、その曲を集めたアルバムがカップリングのカバー曲共々話題になった辺りから聴き始めたのだが、独特の性急なビート感とどこか哀調を帯びたメロディで強烈な印象を残したまま、90年代半ばには名前を聞くこともなくなっていた。

資料によればその後もバンドの中心人物であるデヴィッド・ゲッジは音楽活動を続け、00年代半ばからは再びウェディング・プレゼントの名義で活動をするようになったという。何枚かバンド名義のアルバムもリリースしているようだが、今回このアルバムが僕の目に止まったのは何かの偶然か。新譜の購入は絞っているのだが、こういう懐かしい名前には弱いのがオヤジの性。だが、これは買ってみてよかったと思わせるアルバムになった。

パンクのマナーを正統に受け継いだ、スピードがあって小気味のよいギター・ロックは健在。アルバム一枚を飽きずに聴かせるメロディのメリハリも効いていて、改めてこのバンドが地味ながらもしっかりとした実力に裏づけられた音楽を聴かせていたことを思い出した。叙情派パンクとでもいうべきロマンチックさも変わらず、ドイツ語女性ボーカルのデュエットや日本語のナレーションを挿入する遊びも効果的。気に入って聴いている。
 

 
ELECTRIC CABLES Lightships 7梅

ティーンエイジ・ファンクラブのベーシスト、ジェラルド・ラブのソロ・プロジェクトである。ギター・ポップというのはこういうふうにやるのだとでも言わんばかりの、リリカルでキラキラしたスコティッシュ・フォークロック。ボーカルは声を張り上げることもなく、時として美しいファルセットで、まるで初夏のさわやかな風のように心地よく耳元を通り過ぎて行く。まあ、グラスゴー一派のオーソドックスな作品と思えばよろしい。

日曜日の午後にでも聴くのが最も似合いの一枚だと思ったので、たまたま家人が留守の日曜日の午後に、居間のオーディオで大きめの音で聴いてみた。ふだんは通勤の時のiPodか、家ではカセットのついてないラジカセみたいなヤツで夜にこっそり聴いているので、きちんとしたオーディオで音楽を聴く機会はあまりないのだ。だが、そうやって大きな音で聴いてみると、退屈にすら感じたメロウな音楽の印象が随分違ってくるのに気づく。

そう、スピーカから流れる音の奔流に対峙してみると、一見静かで平板に思えた音楽が、その奥に緻密でレンジの広いダイナミズムを備えていることが分かるのだ。それはもちろんひそやかで謙虚なものだが、同時に確信に満ちたステートメントでもある。通勤電車で文庫本を読みながらイヤホンから流れてくる音楽を聴くだけではなかなかその中核にまでたどりつけない、人見知りのする内気な音楽というものがあるのだと思わせる作品だ。
 

 
BLUNDERBUSS Jack White 8梅

ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトの初めてのソロ・アルバムである。これまでホワイト・ストライプスの他にラカンターズやデッド・ウェザーなどでの活動もあり、精力的に現代のロック・シーンにコミットしてきた、いや、自らロック・シーンの動因のひとつであった彼が、ホワイト・ストライプスの解散を経て、いわば満を持して発表した作品だが、そこには小学一年生の持ち物みたいに彼の名前がはっきりと記されている。

そこにあるのは「21世紀のブルース」だ。いや、僕みたいな門外漢がブルースなんて言葉を軽々しく口に出してはいけないのかもしれないが、胸の中からどうしても流れ出し、あふれ出してくる、ネガティブなものも含めた過剰なナマの感情を、何とか音楽としてプロセスし定着したのがブルースであるという僕の認識が正しければ、このアルバムは紛れもなくブルースだ。これは21世紀に生きる都市生活者のための最新型のブルースなのだ。

もっとマニアックでフリーキーなものになるのかと思っていたが、ギター・ソロが何分にも及ぶような自己満足的な曲もなく、手触りは意外にポップ。男性バンドと女性バンドを組み、両方に演奏させていい方のテイクを取ったという演奏もオーソドックスでタイトだ。この人の才能がブルース、ロックの正史に連なりながら、21世紀という時代性にも極めて自覚的な、非常にバランスの取れたものであることを改めて思い起こさせる作品だ。
 

 
A CAPPELLA + NEARLY HUMAN + 2ND WIND Todd Rundgren  
SPECTACULAR SPINNING SONGBOOK!!! Elvis Costello & The Imposters  
DEAD LETTER OFFICE R.E.M.  
NIAGARA TRIANGLE VOL.2 V.A.  
 



Copyright Reserved
2012 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com