彼女らの前作をレビューしたときに彼女らのことを「三次元のナマ身を持つ初音ミク」「合成音声をシミュレートする肉声」「あらかじめ剥奪された実存性の残滓としての肉体」と評したのは僕としても会心の出来のレビューのひとつ。いまだにオレは何ていいことを書いたんだと読むたびに感心する。これを看破したのは僕が最初じゃないのか。あるいはそうした考え方は彼女らの周辺ではもう当然のことで目新しくも何ともないのだろうか。
例えば機械の身体を手に入れるために銀河鉄道に乗り込んだ星野鉄郎のように、あるいは自動車との交合を夢見たバラードのように、少女の柔らかい肉体や舌足らずな肉声が機械的なビートと交わり、あまつさえヴォコーダで歪められて管理される倒錯は優れて現代的なもの。成熟することを拒否した機械の永遠の生が少女アイドルと親和性を持つのは、考えてみれば当たり前のことなのかもしれない。これは母性と対極にある女性音楽なのだ。
それが最も先鋭的に突出していたのは前作の『edge』であり、ライブ・ビデオで見たパフォーマンスはひとつの頂点ではないかと思ったが、それに比べると今作は肝心の曲自体にやや単調さが見られるようにも思える。もうこのスタイルからはこれ以上のものは出てこないのかもしれないが、サウンドが硬質であればあるほど叙情的であるべきメロディまでが、小室直系の生硬で不自然なものに聞こえる曲があるのは気になる。ネタ切れ近しか。
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