logo 2011年7・8月の買い物


JAMES BLAKE James Blake 8梅

ダブステップというのだそうだ。もうそういうジャンル用語が新しく出る度に時代から取り残されて行く。このアルバムを聴いて、「こういうのがダブステップっていうんだ」と納得することはできるかもしれないが、このアルバムのどこがこうダブステップなのかって結局分かってなかったりする。まあ、いまだにビッグ・ビートだってドラムン・ベースだって分かってなくても、結局音楽を聴くことに何の不自由もないからいいのだが…。

そういう物言いを抜きにしてただの一枚のアルバムとしてこれを聴けば、これは恐ろしく個人的なアルバムであり個人的な音楽だと思う。デスクトップとかベッドルームとか、そういうところで音楽が生産されるようになって久しいが、これは確実にベック以降の音楽であり、自分の中の広場みたいなところにスッと降り立って、だれもいない自分の心象風景の中でひとり積木遊びをしているような作品。ミニマルでパーソナルなアルバムだ。

だが、重要なのは、このアルバムがそうした個人的な成り立ちにも関わらず、表現として決して自閉していないということだ。ベックを引き合いに出したが、例えばトッド・ラングレンやコーネリアスとの相似性も感じさせる。ベッドルームのパソコンからダイレクトに世界にジャック・インできる世代にあって、パーソナルとグローバルはもしかしたらもはや同義なのかもしれない。ジェイムズ青年の頼りない声の震えが世界の実像なのか。
 

 
SKYING The Horrors 7竹

僕のように80年代以降のブリティッシュ・インディペンデントを音楽的嗜好のよりどころとする人間には分かりやすい作品。ホラーズのアルバムを買うのは初めてだが、デビュー当時はゴス・ガレージなどと呼ばれていたらしい。それがいったいどんな種類の音楽なのか知らないが、少なくとも今作は80年代に数多輩出したインディ・バンドの系譜を正しく継承しているように思える。そう、音楽性だけでなく、その凡庸さや退屈さも含めて。

80年代は凡庸で退屈な時代だった。何もかもが終わった後で、すべてが始まる前だった。ロック史に残っているのはニュー・ウェーブとライブ・エイドだけだ。しかし、そんな何も起こらなかった時代にも、多感な時期を過ごした僕のような若者は当然いた。このアルバムは、そんな凡庸さと退屈さをかけがえのないものとして受け取らざるを得なかった80年代の質感のようなものを実に忠実に表現している。そんなつもりはないのだろうが。

もちろん、ここにあるのはその後の20年を通過し、そこにおける音楽的な「進歩」を踏まえた上で鳴らされている音楽である。言ってみれば2010年代型の凡庸と退屈だ。だが、音響やエフェクトには確実にコンテンポラリーな意識が反映されているが、歌と呼ぶにはあまりにも生硬なメロディや、聴いた瞬間に忘れてしまいそうな匿名的なボーカルは特徴的。ニュー・オーダーを思わせるこの凡庸さと退屈さは21世紀にどう機能するのだろう。
 

 
FAMOUS FIRST WORDS Viva Brother 7松

そのビッグ・マウスも含めて本国イギリスでは話題の新人ビバ・ブラザーのデビュー・アルバムである。多くのレビューがブラー、オアシスなどの名前を引き合いに出しているが、確かに音楽的にはブラーのメロディ・ラインにオアシスのギター、ボーカル、とでもいった感じの遅れてきたブリット・ポップ。だが、特徴的なのは、そうした分かりやすい形容を笑い飛ばしてしまうほどの、自分たちの音楽に対する圧倒的な確信と開き直りだ。

そしてそれを裏づけているのはもちろん新人離れしたソングライティングの力量である。この分野の重鎮であるスティーヴン・ストリートのプロデュースに助けられた部分は大きいと思うが、曲そのものの力で正面から突破を図るだけの自信があるからこそ、この、もはや無謀とも時代遅れとも思える気恥ずかしくなるほどのブリット・ポップ・マナーが生きてくるのだと思う。とにかく明快でよくできた「歌」をコアに構築されたアルバム。

考えてみればどんなに革新的なコンセプトも、曲そのものの質がいい加減なら意味をなさないのはものの道理(しかし実際にはそういうアルバムもよくある)。だがこのアルバムには小難しい曲は皆無で、どの曲も思いきり開けっぴろげなポップ・チューンである。コンセプトがあるとすればそれはおそらく「面倒臭いことは言わずに聴け」ということなのかもしれない。このアルバムしか残さなかったとしてもロック史には出てくるバンド。
 

 
FUTURE PRIMITIVE The Vines 8梅

ザ・ヴァインズの3年ぶり、5枚目となるアルバムである。前作発表時にはバンドのフロント・マンであるクレイグ・ニコルソンがアスペルガー症候群であることが明かされたり、その後ニコルソンの精神状態が「悪化」したことからツアーがキャンセルされるなどして、バンドの存続そのものが危ぶまれていたらしいが、本作は、そうした危機的な状況にあったことを感じさせない、清新で音楽的に豊かな内実を備えたアルバムに仕上がった。

「ニルヴァーナ・ミーツ・ビートルズ」と評された初期のようなパンク的衝動をベースにしながらも、アコースティック・バラードやサイケデリック・ナンバーまでを幅広くカバーする音楽的バックボーンの確かさに加え、何と言っても明快で親しみやすいメロディを持ったソング・ライティングの水準の高さが、アルバム全体の完成度を裏づけている。知らずに口ずさむほどキャッチーなM1からラストまで一気に聴かせるだけの勢いがある。

情報が満ちあふれ、ネット上では一曲単位で音楽が切り売りされる現代にあって、聴き手の集中力が持続するどんどん時間は短くなっている。その耳を捕まえてアルバム1枚を最後まで聴き通させるためには、そのアルバムがよくできていることは当然として、そこに詰め込まれた情報が余計なフィルターを通さずできるだけストレートに聴き手に到達することが必要。そうした現代的なニーズを満たす力がこのバンドにはあるということだ。
 

 
PSYCHO JUKEBOX Jon Fratelli 8梅

フラテリスは混迷の21世紀初頭にあって奇跡のような輝きを放ったバンドだった。もはや小難しいことを気にしているような余裕は僕たちにはないのだということ、今、そこにある衝動をできるだけそのまま鳴らすことの必要性、しかし一方でリスナーとしての引き出しの多さやその奥行きが音楽において決定的な意味を持ち得るということ、つまりは当たり前のロックの可能性が21世紀にもなお有効であることを、彼らは示してくれたのだ。

だが彼らは2枚のアルバムを残して活動を中断、中心人物であるジョン・フラテリはコデイン・ヴェルヴェット・クラブというユニットでアルバムを1枚リリースした後、ソロ名義でこのアルバムを制作したということのようだ。プロデューサーはデペッシュ・モードのトニー・ホッファー。内容的にはフラテリスの時から大きな路線の変更はないシンプルでしかしあくまで正統的なロックンロールであり、ある意味安心して聴ける快作である。

だが、この作品を聴いて思うのは、この人にとってアレンジとかサウンドとかプロデュースとかいうものは結局のところ副次的なものに過ぎないのではないかということだ。ここにあるのはギター1本をかき鳴らして歌うことでも問題なく成立する歌ばかりであり、すべての音楽的「スタイル」に背を向けた無頼なシャウトである。スリーピースという最低限の編成のバンドすら捨ててソロで勝負することの意味はここにあるのかもしれない。
 

 
THE OLD MAGIC Nick Lowe 8竹

2007年の「At My Age」以来4年ぶりの、ニック・ロウの新譜である。8月にライブを見たばかりで、その時にもこのアルバムから何曲か演奏したと思うのだが、あのステージの雰囲気そのままに、気負うことも急ぐこともなく、ただそこにある音楽をできる限り何も損なわず、何も飾らず、最低限でかつ最大限ででもあるようなミニマルかつ饒舌な演奏に乗せてただ歌う、そういう音楽のあり方があり得るということを納得させるアルバムだ。

この人のここ10年くらいの作品を聴くたびに、僕はロックにおける成熟ということについて考えない訳には行かない。本質的にティーンエイジ・ミュージックでありモンキー・ビジネスであるロックを、いい年したオヤジがどうやってロールオーバーして行くかというのはある種の語義矛盾であり、先駆者のいない実験である。そこで多くのベテラン・ミュージシャンが見るも無惨なディナーショウ・シンガーに堕するのを僕たちは見てきた。

ニック・ロウのこの作品にも、何らかの「上がり」感、レイド・バック感のようなものを見出すことは可能だ。だが、彼はおそらく昔も今も自分の中から出てくる音楽をできる限り誠実に汲み出しているだけに過ぎないのではないかと僕は思う。社会性とか文脈とか空気とか配慮とか、そういうものと無関係に鳴らされる音楽がロックなのだとしたら、この音楽の無造作具合はロックという他ない。成熟という問いにひとつの答えを出す作品。
 

 
地球の歩き方 The Collectors 7竹

もうええ年であるにも関わらず、そして決してメジャー・ブレイクした人気バンドという訳ではないにも関わらず、涼しい顔でコンスタントにアルバムをリリースし続けている、日本が誇るビート・バンド、ザ・コレクターズのブランニュー・アイテムがこれだぜ、ベイビー。もちろん音楽的な革新とか驚くような新境地とかそういうものはない。十年一日の如きビート・ポップが満載だぜ、ベイビー。そしてそれが最高なんだぜ、ベイビー。

このアルバムを聴いて僕もようやくそういう境地に至ることができたような気がする。今までは彼らが自分たちの、そしてリスナーの成長というテーマとどう寄り添うのかということをずっと考えていたのだが、加藤ひさしはきっと成長なんてことには興味がないのだろう。そう思って聴くとすべてが腑に落ちる。加藤が歌うのはいつでも、僕たちが短いモラトリアムの間に見ていた束の間の夢のことだ。世界と自我との対立の物語のことだ。

それはまるで自ら成長を止めた「ブリキの太鼓」の主人公のようだ。だが、すごいのは50歳のオヤジの作ったそんな音楽が40代の僕たちにリアリティを持って迫ってくること。今作ではネオGS時代を彷彿させる『マナーモード』がいい。コータローがボーカルを取る駄洒落炸裂の『マネー』もいい。30どころか50になっても白目を剥いて青春を歌い続ける加藤は確実にパンクの子供。一部の分別くさい歌詞がむしろ邪魔に思える痛快な作品だ。
 

 
UPSIDE DOWN THE CREATION RECORDS STORY V.A.  
THE COLOURFUL LIFE Cajun Dance Party  
FUN BOY THREE Fun Boy Three  
TANGLED Nick Heyward  
極東慰安唱歌 戸川純ユニット  
好き好き大好き 戸川純  
STILL ECHO Mute Beat  
 



Copyright Reserved
2011 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com