logo 2011年1・2月の買い物


I SHOULDN'T LOOK AS GOOD AS I DO Math And Physics Club 7竹

何の予備知識もなく、タワレコの店頭でPOP展開されているのを見て買ったCD。シアトルのバンドだが、路線で言えばベルセバ的な、アコースティックなポップ・ミュージックである。オーソドックスなフォーマットに則ったコンパクトなポップ・ソングが全部で10曲行儀よく並んでいて、通して聴いても25分足らずというミニマルなアルバム。スコットランド出身と言われても何の疑問もなく信じてしまうキラキラしたポップスのマジックだ。

だが、こうした音楽が難しいのは、そのスタイルが実に簡単に模倣できてしまうこと、そしてその一方で、実際には音楽そのものの質が非常に厳しく問われることである。アコースティック・ギターを抱えて取り敢えずメジャー・セブンスをシャラーンとつま弾けばどんなバンドもそれなりに小洒落て聞こえる。そうした「雰囲気もの」の域を出ないバンドの退屈なアルバムも僕はたくさん聴いてきた。そういうものの出やすいジャンルなのだ。

もちろん、そうしたバンドはすぐに消えて行く。シンプルな音楽であるが故に、中身のない雰囲気ものは長く続かない。だが、このバンドの曲にはひとつひとつはっきりしたキャラクターがあり、単なる雰囲気ものを超えて、曲のメリハリ、メロディの起伏をきちんと聴かせるだけの力が窺える。少なくとも後から買ったファーストよりずっと進歩している。オリジナリティとはフォーマットではなく、表現力の問題なのだと気づかせる作品だ。
 

 
COLOUR TRIP Ringo Deathstarr 6松

こういうのを聴くと逆に僕の80年代、90年代は何だったんだろうと不安になってしまう。マイ・ブラディ・バレンタインというのはワン・アンド・オンリーのバンドであり、アルバム「Loveless」は歴史の中でたった一度だけ奇跡によって作られた作品だと思っていたのに、それは幻だったのか。あれから20年経って、新しい世代からは、あのアルバムすらあまたあるテキストのひとつに過ぎず、簡単に再解釈可能なものであったのだろうかと。

確かに、そう思ってしまうほど、このアルバムの一部の曲はマイブラからの強い影響を感じさせる。しかし、「Loveless」が果てしない音像の重ね塗りの中で空間識を喪失するような陶酔の域に達していたのに比べると、このアルバムではリズムに対する信頼がまだまだトラディショナルなレベルで機能しており、その意味では、マイブラでも88年の「Isn't Anything」の方により近いように思われる。その辺が好きな人には一聴の価値はある。

だが、この人たちは、マイブラもさることながらジーザス&ザ・メリー・チェインからも大きな影響を受けているのではないか。ノスタルジックで甘いポップなメロディに強い憧憬を抱きながら、フィードバック・ノイズで汚すことでしかその愛情を表現することができない。この人たちの音楽への向き合い方はむしろそうしたジザメリのありようから学習されたもののように思える。次作がいったいどこに向かうのをしっかり見届けてみたい。
 

 
FLOURESCENCE Asobi Seksu 7梅

前作を買って聴いたときにもう次は買わないだろうと思っていたのだが、レコード屋の店頭に試聴機があり、試聴機で聴くと4割増くらいでよく聞こえてしまうといういつもの罠にはまってまた買ってしまったのである。前作の時に「音楽的にはよくできているが少なくともシューゲイザーじゃない」とラッシュやコクトー・ツインズを引き合いに出して説明したのだが、今作もそういう、どちらかというと4AD系列の世界を構築しているようだ。

だが、今作は単なる雰囲気ものにとどまらない手応えがある。ひとつひとつの曲の骨格がしっかりしていて耳に残るチャームがあり、演奏にも聞き手の意識に届くフックがある。ソングライティングやアレンジの実力が前作より確実に進歩しており、それが音楽としての完成度を高めている。前作をロックと呼ぶのはちょっとはばかられたが、今作は僕の水準からして十分ロックである。生き生きとした表現衝動がきちんと力を獲得している。

だが、そうしてみると、結局のところ僕がこの人たちの作品に入れ込めない唯一の理由はこの女性ボーカルだ。これはもう好き嫌いの世界だと思うが、この、何か彼岸から聞こえてくるような甲高い女性ボーカルは苦手。ところどころで耳に残る日本語の歌詞もうざったい。英米では受けがいいのかもしれないが、僕にはこの何とも気持ちの悪いバンド名と同じく、ことさら東洋のエキゾチシズムを売り物にする作為が感じられてしまうのだ。
 

 
REIMAGINES GERSHWIN Brian Wilson 7松

戦前の作曲家であるジョージ・ガーシュウィンの楽曲を、ブライアン・ウィルソンが自分のやり方で再構成した、まあ、言ってみればカバー・アルバムである。ガーシュウィンは名前くらいは知っているし、その作品も知らずに耳にしていることはあるのだと思うが、僕としてはまったくこれまで興味を持って聴いたことのない人で、ブライアン・ウィルソンがガーシュウィンをカバーすると聴いても何の感興もなかった。それでいいのだろう。

なぜなら、このアルバムは元ネタが何であれ、間違いなくブライアン・ウィルソンの作品だからだ。ガーシュウィンの未完成の何曲かをウィルソンが完成させたという曲も入っているらしいが、もともと聞き覚えがあるのが「サマータイム」だけというリスナーには、どれが既成のガーシュウィンの曲でどれがウィルソンの完成させた曲か何て分かりようもないしどうでもいい(実際にはM2とM13らしい)。これはもうウィルソンの作品なのだ。

アップ・テンポでウィルソンらしいコーラスを導入した後半の何曲かを聴けば、ああ、ガーシュウィンってサーフィン&ホットロッドの人だったのかと思ってしまうくらいはまっている。「ペット・サウンズ」の続きに聴いてもまったく違和感のないブライアン・ウィルソン節は、もはやだれの曲であっても料理できるということか、あるいはもともとウィルソンの中にガーシュウィンからの大きな影響があったということか。素直に楽しめる。
 

 
SIMON WERNER A DISPARU Sonic Youth 7竹

ソニック・ユースの新譜というレコ屋店頭ポップの文句に釣られて買ってみた。実際には映画サントラのインストであり、これまでこうした作品にはベルセバとかパステルズとか今いちパッとしないCDも買わされてきただけに、正直これはどうかと危惧していたのは確かだ。そして、最初大雑把に聴いたときはやっぱりこれは失敗だったかと思った。僕にとってソニック・ユースとはあの投げやりなボーカル抜きに考えられないものだったから。

だが、何度か聴き返すうちに、少し印象が変わってきた。この何となくちょっとチューニングの狂ったようなベンベン鳴ってるギター、人の神経を敢えて逆撫でするような不穏なメロディやコード感、サーストン・ムーアやキム・ゴードンのボーカルがなくてもこれは立派なソニック・ユースだ。ふだん歌モノで勝負しているバンドであるにも関わらず、ボーカルを抜いても聴き違いようのない記名性があるというのはちょっとすごいことだ。

ソニック・ユースのディスコグラフィの中では傍系に位置する作品になるのかもしれないが、サントラでインストというその傍系感ゆえか、むしろ彼らのアーティスト・エゴがストレートに出ているようにすら思われる。取り敢えず「押さえ」として買った割には本格的なソニック・ユース作品であり、彼らの新譜として十分楽しめる水準に仕上がっている。こういう企画盤でこれだけのクオリティをシレッと出してくるところが彼ららしい。
 

 
SPOT THE DIFFERENCE Squeeze  
FIVE LIVE Squeeze  
GREATEST HITS The Selecter  
 



Copyright Reserved
2011 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com