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DIG, LAZARUS, DIG!!! Nick Cave & The Bad Seeds 8梅

もともと流麗なギターポップとか分かりやすいメロディの歌モノロックが好きな僕にとって、ニック・ケイヴは「異形系」に属するアーティストだ。1989年に卒業旅行でロンドンに行ったとき、当時最新譜だった「テンダー・プレイ」を買ったのが最初だったが、その絶叫ボーカルとかアヴァンギャルドなギターとかは、本来当時の僕の音楽的キャパシティを確実に超えていたはず。これまでアルバムを買い続けてきたのがなぜなのか、我ながらよく分からないのだが、敢えて言うならそこに避けがたい磁場があるということか。

その後、ブリクサがバッド・シーズを離れたこともあってか次第に芸風も穏やかになり、最近ではイギリスのトム・ウェイツ的な感じのバラード親父になりつつあるのかと思っていたら、今作ではガツンと来た。ジャケ写で見る限り、生え際が露骨に後退した上、中途半端なヒゲを生やしており、どう見ても胡散臭い中米あたりの人にしか見えないのだが、どういう訳だか作品そのものはヤケクソかとも思えるくらい直情的で直接的なロックンロールである。引き締まったバンドサウンドに乗せたロックンロールには凄みがある。

自分でも感じることなのだが、年を重ねるといろんなモノが自分の上に堆積し、付着して行く一方で、自分の残り人生を冷静に眺めたとき、もはや余計なことに割く時間はないことを悟ってどんどん余計なモノを剥ぎ取り捨てて行くことにもなる。このアルバムでは50歳を越えたニック・ケイヴの、その年齢だからこその生き急ぎ、もうゆっくりしてる余裕なんかねえじゃん、という覚醒の方が明確に表れているのだ。その文脈でこそバラード系の曲も生きる。残り少ない髪を振り乱して疾走する異形のオヤジがカッコいい作品。
 

 
MOMOFUKU Elvis Costello & The Imposters 8竹

ソロとしては「デリバリー・マン」以来4年ぶり、アラン・トゥーサンとの共作アルバムからも2年ぶりとなる作品。これらの2作がいずれもアメリカン・ルーツに真っ直ぐ根差しながらコステロのソングライター、シンガーとしての底力を思い知らせる水準の高い作品であっただけに、次はどうくるかと思っていたが、インポスターズを率いたバンド編成のシンプルかつストレートなロックンロール・アルバムになった。深い考えなどなく、できた曲を片っ端から録音しましたとでも言いたげな佇まい。まさにコステロの極意だ。

実際聴いてみるとスピードに乗ったロックンロールの他にもスロー・ナンバーあり、重たいナンバーありと意外にバリエーションに富んではいるのだが、どの曲もサウンドの作りこみは最小限で、特徴的な声の近さを生かした荒削りの仕上がり。初期作品との相似を指摘する声もあり、確かにスティーヴ・ナイーヴのピヨピヨしたシンセの音とか直情的なソングライティングには初期への回帰を思わせる部分もあるが、僕は本作は曲作りに深みと泥臭さを増した「ブラッド&チョコレート」以降の作品の系譜に連なるものと思う。

どんなにスタイルを変化させてもそこにあるコステロ節自体は連続性の上に立っていまだに進化し続けており、勢い一発のバンド・レコーディングでもその本質は何も損なわれないということなのだろう。僕に言わせればコステロの本当のすごさは、こうしたシンプルなプロダクションでこそ最大限に発揮される。この節回し、この声、唯一無二の存在感を備え、デビューから30年間を浮き沈みはあれ世界のトップ・レベルで走り続けてきたロックンローラー。旧譜を改めて順に聴き返してみたくなった。チープだからこそ傑作。
 

 
YOU CROSS MY PATH The Charlatans 7竹

実際に80年代に15歳から25歳という多感な時期を過ごした者としては、80年代というのがどういう時代だったかと訊かれても上手く答えられない。同じように80年代のロックとはどんな音楽だったかと訊かれてもそれを上手く説明することは難しく、世間的にはニュー・ウェーブだとかニューロマだとかが説明用のタームとして持ち出されるのだが、その時期にまさに洋楽への入口として初めて買ったアルバムがトム・ウェイツだったりボブ・マーリーだったりする僕にとっては、ニューロマもあまりピンと来なかったりする訳だ。

だが、このアルバムが80年代のある種の音楽を思い起こさせることは確かだ。ニュー・オーダーなどが引き合いに出されてもいる。今回、ティム・バージェスがニュー・オーダーやキュアーといった80年代の音楽の感触を下敷きにしたことは間違いないし、また、ライドのプロデューサーであり、マイ・ブラディ・ヴァレンタインやジーザス&メリー・チェインのエンジニアであるアラン・モウルダーをミキシングに迎えてもいる。まさに80年代インディー・ロックの王道、僕の青春ストライク・ゾーンのド真ん中と言っていい。

だが、ここで鳴っているのはあくまで00年代のシャーラタンズのビートだ。特徴的なハモンド・オルガンのグルーヴ、明確なメロディと構成を持った楽曲の頑強さは、どちらかといえば無機質で平板であることが特徴のひとつであった80年代ニュー・ウェーブの枠組を自然とはみ出している。言ってみればシャーラタンズは80年代と取っ組み合って勝利を納めたのである。その結果、彼らはその意匠を血肉化して自らの内に取り込むことができた。90年にアルバム・デビューした彼らだからこそなし得た80年代へのオマージュだ。
 

 
VIVA LA VIDA OR DEATH AND ALL HIS FRIENDS Coldplay 8竹

前作「X&Y」を僕は酷評した。「おそらく彼らが余計だと思って切り捨てたものの中に大事なもの、本質的なものが混じっていたのだ」と。分かりやすい、ポップでいい曲を作るバンド。メガ・セールスを上げるようになり、何不自由のない創作環境にあって、彼らの創造性がついに枯渇したか、あるいは創作に向かうギリギリの動機が失われたか。そう思わざるを得ない奇妙な空っぽさが前作にはあった。世間での評価は上がるかもしれないし、CDは売れるかもしれないが、ここには聴くべきものはない、と僕は思った。

だが、本作での彼らの見事な帰還はどうだ。この自信に満ちた音楽の響きようはどうだ。リズムのバリエーションを増やし、曲想の幅を広げながら、きちんとギターが鳴り、メロディは優しく、ボーカルは明確に語りかける。ポップの範疇にしっかりと踏みとどまりながらロックとしての革新性、次のステージを予感させる発展性を兼ね備えている。この作品でコールドプレイは例えばU2とかR.E.M.、レディオヘッドのような、ロック・ジャイアントとしてのリスペクトを勝ち得ることになるのではないか。そういう作品だ。

歌いやすく、分かりやすいポップ・ソングを並べたソング・ブック的なアルバムから、今作ではアルバム全体をひとつの作品として構成するコンセプト・アルバム的なアプローチが特徴的。インストを効果的に配し、ギターの鳴りで流れを牽引しながら、要所ではストリングスなども大胆に導入したシンフォニックでスケールの大きなサウンド・プロダクションになっている。もちろん楽曲個々の質も高く、ロックとしては非典型なビートで最後までドライブするタイトル曲など音楽的な達成としても評価できる。名作だ。
 

 
シネマ・リターンズ シネマ 7竹

幻のバンド、シネマの再結成新作。松尾清憲、鈴木さえ子が在籍し1981年にアルバム「モーション・ピクチャー」でデビューしたが、商業的に成功せずそのまま解散、その後松尾、鈴木はそれぞれソロでキャリアを積むことになる。80年代前半には僕はもっぱら佐野元春フリークであったが、同時にブリティッシュ・インディーズ系の洋楽と、それからパール兄弟とかコレクターズなどの日本のニュー・ウェーブも熱心に聴いていた。松尾、鈴木も僕のコレクションに入っていたが、シネマのアルバムは廃盤で手に入らなかった。

会社に入ったとき、新人研修で知り合った同期生がムーンライダーズ系の音楽の熱心なリスナーで、シネマのアルバムを、XTCが変名でリリースしたクリスマス・シングルと一緒にカセットに落としてくれた。その後CDがリリースされたのでそのカセットを聴くことはなくなったが、いかにも80年代っぽいチープなニュー・ウェーブ系の作品だった。大半の曲が松尾の作曲によるものであり、さらに松尾が大半の曲でボーカルを取っているため、実際には松尾清憲のソロ作品を聴いているのとほとんど変わらない感覚で聴いていた。

僕がカセットを手に入れてから実に20年、ファーストのリリースからなら27年ぶりに制作されたセカンドは、鈴木の夫であったムーンライダーズの鈴木慶一がプロデュースを担当している。内容的には27年のブランクもいささかの古さもまったく感じさせない達者で高品位なポップ。相変わらず松尾の作品を聴いている感はあるが、鈴木さえ子のボーカルが要所を締めることと、よりガジェットっぽくチープなトーンを取り入れた分、松尾のソロよりカラフルな印象。まあ、この人たちがつまらないものを作るはずはないのだが。
 

 
GRINDERMAN Grinderman  
 



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