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ON THE LEYLINE Ocean Colour Scene 6松

オーシャン・カラー・シーンっていつまでたっても垢抜けないバンドだと思う。ポール・ウェラー直系のビートとソウルへの憧憬、手堅い演奏、シンプルでストレートな曲作り、基本的にはモッド系のビート・バンドなんだが、そこに今ひとつメジャー感に乗り切れない人のよさとか田舎臭さ、ダサさが常にある。代表作といわれる「Moseley Shoals」でブレイクした頃はよかったが、このところアルバムは出すものの決定打に欠け、このままではジリ貧になって行くのではないかと危惧しないではいられない。

特に前作はベースのデーモンが抜けたこともあってか、自らフォーク・アルバムと称するほど力の抜けた、レイド・バックした一品だっただけに、この先どうなることかと気をもんだりもしたのだが、本作では新たにベーシストをメンバーに加え、ついでにギタリストも一人補強してしっかりしたビート・ポップスを聴かせる。スネアを四つ打ちしたM-3なんかは、そう、これだよと膝を打ちたくなる小気味よい出来。ビートへの帰還としては取り敢えず合格点をつけてもいいだろうと思わせる仕上がりにはなっている。

しかし、ソング・ライティングの生硬さ、アルバム1枚をドライブして行くだけの総合力、統合力の欠如は否定し難い。最初は調子よかったアルバムの流れも中盤から方向性を見失って勢いを失い、終盤は完全に失速してしまっている。この辺がこのバンドの限界なのかもしれない。後半にももう1曲キラー・チューンを配してガツンと行こうぜ、と僕なんかは思ってしまうのだが、この、どこか煮えきらない感じ、逡巡する感じはもはやどうにもならないんだろうな。まあ、それがこのバンドのよさなのか、ある意味。
 

 
ICKY THUMP The White Stripes 7松

人間にはもって生まれた「強さ」というものがある。もちろんそれはすごく重いものが持ち上げられるとかいう物理的な力の強さではないし、人をやりこめ自分の主張を押し通す我の強さや気の強さのことでもない。それはその人の存在自体に内在する個としての強さ、人として生きる力、生き延びる力の強さのことで、たとえ身体が華奢でふだんはおとなしくても、今、この局面で何をするべきかということが明確にビジョンとして思い描け、それを行動に移すことができるというのがその条件かもしれないなと思う。

音楽にもそのような「強い」音楽と「弱い」音楽がある。弱い音楽というのは別に貧乏くさいフォークのことではない。いや、貧乏くさいフォークも弱い音楽に違いないのだがヘヴィ・メタルの中にだって弱い音楽はある。ギター一本の弾き語りの中にも強い音楽はある。それはその音楽自体がもつ生命力のようなものだ。何かを切り開き、そこに確実な痕跡を残して行く音楽。簡単には忘れ去ることのできない、時間と空間の中に確かな位置を占める音楽。アーティストはみんなそんな音楽を作りたいと思っているはずだ。

ホワイト・ストライプスの音楽は正直僕の好きな路線ではない。異形であり、異端である。ロックというよりブルースであり、本作ではそこに更に辺境からの新しい音楽的エッセンス(だってバグパイプだぜ)を加えてミクスチャー・ブルースとでも呼ぶしかないくらい、「変さ」に拍車がかかっている。だが、これは強い音楽だ。どこまでも生き残り、勝ち残って行く強い音楽だ。おそらくジャック・ホワイトには、今何をどう歌うべきかがはっきりビジョンとして見えているのだろう。正統よりもはるかに強い異端。
 

 
AN END HAS A START Editors 7梅

体温の低い人というのがいる。僕がだいたいそうで、予防接種の前とかに体温を測っても、あるいは体調の悪いときにもしかしたら熱でもあるんではないかとひそかな期待とともに体温計を脇の下に差し込んでも、出てくる数字はせいぜい35.8度。だから36.8度くらいになると僕にははっきりとした「熱」であり、39度の熱が出て、みたいな病気自慢を聞くとあり得ねえと思ってしまう。僕がそんな熱を出した日にはマジでダウンしており、死にそうな顔をして医者に行くことすらおぼつかない。平熱が低いというヤツだ。

それが人格としてのクールさと関係するかというとそれはまた別の話なのだが、このバンドもそんな平熱の低さがあるように思う。それはこのサウンド・プロダクションのせいかもしれない。前作のレビューにも書いたとおり、80年代のポスト・パンク、特にネオ・サイケの美意識を強く感じる音作り。前作の時はそれが本物の80年代作品をしのぐまでの内実を伴っていないと厳しいことを書いたのだが、今回はちょっと様子が違う。そうしたフォーマットを踏襲しながらも、曲のスケールが格段に大きくなっているのだ。

こういう音が今のマーケットにどう受け入れられるのか僕には分からないし、どちらかといえばあまり積極的に人々の目を引くような華はない。平熱が低いというのはそういうことだ。だが、今作ではアルバムの骨格となる曲そのものの出来がグッとレベル・アップし、80年代リバイバル云々を別にしても聴くに耐えるだけのドライブ感がある。この音像を強引に自分たちの現在の音にするだけの力をこのアルバムは獲得している。平熱が低くても優れた作品を作り出すことはできる。まともな評価を受けて欲しいアルバムだ。
 

 
TWILIGHT OF THE INNOCENTS Ash 8梅

アッシュというのは不思議なバンドだと思う。鳴らしている音自体は時としてかなりハードで場合によってはメタリックにすら響きかねないくらいグイグイ攻めてくるのだが、そこにマッチョイズムの香りがまったくないのだ。まったく奇をてらったところのないストレートなロックを奏で、そこにギミックとかヒロイズムとかいったモメントがまったく入りこむことなく、ただ曲のよさ、ポップさと演奏のまともさだけでどこまでも駆け抜けて行く正面突破。この普通感というか屈託のなさはすごい。

このアンチ・ヒロイズムというか、失礼ながらスターっぽくないカッコよさって何だろうと思うのだが、うまく引き合いに出せるバンドが出てこない。一つにはティムの甲高い声の力もあるのかもしれない。隣のお兄さん的なたたずまいのまま、表現の階段を一つずつ確実に昇って、スリーピースに戻った本作では、バンドのコアだけでここまでの、ハードでありながらメロディアスな、ロックでありながらポップな21世紀型のギター・ミュージックを鳴らし、前作からさらに深化を遂げている。

本作はニューヨークでレコーディングされたらしいが、この音の強さ、躊躇のなさは確かに米系のもの。ただ、それが安易なマッチョイズムに堕することなく、あくまで日常の起伏に寄り添っているのは、彼らがそうした音の強さに見合うだけの初期衝動の実質を見失うことなく持ち続けているからだろう。作品をリリースするごとに絶賛されながら、新作で常にそれを更新し、凌駕する成長力は比類のないものだ。音楽の力だけでどこまでもドライブして行ける稀有なバンドだと思う。買うべし。
 

 
AT MY AGE Nick Lowe 7梅

「この年で」というタイトルの新譜。オリジナル・アルバムは2001年の「The Convincer」から6年ぶり。ジャケットを見てももうすっかり白髪のおじいちゃんである。作品の内容もここ何枚かのアルバムから順当に想像されるとおり、R&B色、カントリー色の濃いゆったりしたナンバーが中心。円熟としかいいようのない巧みな曲作りに深い味わいのボーカル、もはや何かを押しのけたりかき分けたりする必要のない音楽だ。そこにそのままニック・ロウとしてあることだけで既に価値のある音楽だと言ってもいい。

そう、ニック・ロウは58歳。高齢というと怒られるだろうが、孫がいたって全然おかしくない年齢である。「この年で」。もともとロックンロールのフォーマットに則ったオーソドックスな曲を書く人ではあったが、年齢を重ねるにつれそこからさらに余計なものがどんどん削ぎ落とされ、もはやエッセンスに近いものだけが残されてきたとともに、音楽的にもどんどんルーツに近づいて行くように思われる。それはやはりここまで作り上げ、積み上げた自分の音楽の蓄積があるからこそできることなのだろうと思う。

これはもはやロックではないという言い方もできるかもしれない。だが、このアルバムが大御所ミュージシャンのディナー・ショウと異なった質感をたたえているとすれば、それはどこまでルーツに近づいてもそこにニック・ロウにしか書けないグッド・メロディがあるからだろう。ライナーにはこのアルバムを会員制の珈琲専門店になぞらえた記述もあるが、僕はこれがそのように排他的な作品だとは思わない。これは率直な作品であり、それゆえ万人に開かれたアルバムだ。むしろ常連以外の人にこそ聞かせたい。
 

 
STRANGEFOLK Kula Shaker 6松

再結成されたクーラ・シェイカーのアルバム。通算3枚目のオリジナル・アルバムになる。この間、中心人物のクリスピアン・ミルズはジーヴァズというバンドでもアルバムを2枚製作しているが、セールス的には大きな成功を収めたとは言い難かった。言うまでもないことだとは思うが、クーラ・シェイカーが斬新で新鮮だったのは大胆なインド音楽への接近、というかいかにも西洋人が好みそうなインド風味の取り込みであり、それが中期ビートルズの記憶とも相まって絶妙のグルーヴを生み出したということなのだと思う。

僕としてはこれが正しいインド音楽の系譜に連なっているかとか、果たしてクリスピアン・ミルズは本当にインド音楽に対して愛情と造詣を持っているかとか、そういうことはどうでもよくて、たとえそれがインド音楽に対する植民地主義的、収奪的搾取であったとしても、できあがったものがロックとして非常にコンテンポラリーでポップでグルーヴィなものであったことだけが重要だった。クーラ・シェイカーはロック界において忘れ去られていたインド風味の再興者として大きな功績があったし、重要なバンドであった。

本作はどうか。インド風味は随分後退し、70年代マナーの、オーソドックスで重心の低いロックになっている。これはこれで悪くないし、むしろクリスピアン・ミルズの持つリリカルでロマンチックな面が押し出された佳作だと言うこともできるだろう。特にチープなオルガンの音色を効果的に使ったM8などは新境地と言ってもいい。アニソンみたいで笑ってしまうM2のイントロも愛嬌か。だが、アルバム全体を統合する核になる曲が見当たらないのは残念だ。その分、どうしても散漫な印象を残してしまう。核が欲しい。
 

 
ROOTS & ECHOES The Coral 8松

最初に端的に言ってしまうと名盤である。買うべきである。どこをどうしたら西暦2007年にこんなアルバムが出てくるのかよく分からないが、これは何年に発表されても間違いなく名盤と呼ばれるべきアルバムである。コーラルというバンドは以前から流行とは縁のないところでロックの歴史を正しく踏襲した独特の時代感のある音楽を鳴らしてきた訳だが、これまでの作品にはどうしても「今、この時代にわざわざこの音を出している」という注釈のようなものがついてまわっていたと思う。だが、本作にはそれがないのだ。

それはつまり、2007年の所謂メイン・ストリームの音とは(極端に言えば)まったく関係も接点もないにも関わらず、むしろ時代より先に歴史に認められてしまったような、時代的な違和感を歴史的な正統性が凌駕してしまったような、そんなスケールというか「越えた」感をこのアルバムが備えているということだ。音楽的にはアメリカン・ルーツ、カントリー・ロックの影響を受けながら、イギリス独特の湿り気を帯びたグッド・メロディをアコースティックに聴かせるのだが、それが趣味性に自閉していないのである。

こうした音を、2007年のマーケットに何の留保も言い訳もなく打ち出してこられるバンドは他にはない。そしてそれを厭世的になったり箱庭的になったりせず、コンテンポラリーなロックとして響かせる力量を持ったバンドも他にはない。終盤に行くにつれてやや地味になる部分はあるものの、60年代、70年代の名盤と並べて聴いても遜色のないソング・ライティング、サウンド・プロデュースは屈強である。少しばかり気が早いかもしれないが今年のベストに強く推したいアルバム。もう一度言うが買って損はない作品だ。
 

 
TEENAGER The Thrills 7竹

デビュー・アルバムについて僕は、牧歌的すぎるという意味のレビューを書き、あまり高い点をつけなかった。そしてセカンドは聴かなかった。今回、このアルバムを改めて手に取ったのは実際偶然だったかもしれない。セカンドを見送ったことすら僕は忘れていたのだし、たしかレコード屋の試聴機で何曲かを聴いて、知らないバンドじゃないし、取り敢えず買っておくという程度の気持ちでレジに持って行ったのだと思う。ティーンエイジャー、というタイトルとジャケットの写真もちょっと手伝っていたのかもしれない。

で、結論からいえばこれはいいアルバムだと思う。かつてファーストを聴いたときにはあまりに牧歌的に響いたバンジョーやマンドリンも、ここではビートとしっかり絡み合い、このバンドの特徴としてチャーミングに機能している。それは何よりロック・バンドとしての基本的なビート感とでもいったものがこのアルバムに明確に現れているからなのだと思う。特徴的なサウンド・プロダクションやヘロヘロのボーカルが彼ら自身の過剰や欠損ときちんと見合っていて、それがこのアルバムをロックたらしめているのだろう。

ここには、西海岸の明るい太陽に憧れ、ブライアン・ウィルソンのようなハーモニーを響かせたいと願いながら、そこにどうしてもアイルランド人としてのアイデンティティを潜りこませずにはいられない彼らの「声」のリアルさがある。ギター一発のパワー・ポップに行ってしまわず、地に足のついた自分たちの肉声を聴かせることでロックの内側に確かな居場所を確保している。そこにおいてこのワン・アンド・オンリー感は確実に武器として機能するだろう。スキップしたセカンドを聴きたくさせるアルバムでよかった。
 

 
UNCLE DYSFUNCTIONAL Happy Mondays 6松

ハッピー・マンデーズだよ、ハピマン。2007年にハピマンだってよ。ははは。もう笑うしかないね。例えば、僕のCDラックにはかなりの枚数のCDが詰めこまれており、その中には買ってきて1回聴いたらもう一生手に取ることのないものもたぶんたくさんあって(それどころか封を切ってないものさえあるかも)、その中で自発的に何回も聴き返すCDは限られていたりするんだが、その1枚がハピマンの「Pills'n Thrills〜」なのである。iTunesにだって当然流しこまれていて、iPodで聴くアルバムに迷ったときにもよく登場する。

あのアルバムの何がそんなにいいのか。もちろん理屈をつけることはできる。マンチェスターが何だとか、ダンス・ミュージックとロックの融合がどうだとか。だが、クラブ・ライフとはほぼ無縁な僕がリリースから17年も経つあのアルバムを手放せないのは、端的に言って中毒である。あのルーズなダンス・ビート、面倒臭そうに歌い放つショーンのボーカル、遠くで鳴っているギター。あのアルバムにはドラッグにも似た中毒性が確かにある。理屈以前の問題として、聴くことが気持ちいい。悦楽を提供するアルバムなのだ。

聴き始めた途端に、あ、これはヤバい、またヤられそうだ、と思わせる不穏さは15年ぶりの新譜になるこの作品でも健在だ。何も変わっていないと言えばそれまでだが、結局この緩いファンクとそこにぶち込まれるショーンの体臭は変わりようがないということだろう。発酵食品に習慣性があるようにショーンのこの体臭には絶対にある種の音楽的フェロモンが含まれている。才能と呼ぶにはあまりに下世話な、もっと卑近な抗い難い魅力。十年一日の如く無反省に繰り返されるパーティ。本当の意味のドラッグ・ミュージックだ。
 

 
THE DOORS The Doors
 



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