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FAVOURITE WORST NIGHTMARE Arctic Monkeys 7梅

オーソドックスなバンド編成でここまで自分たちの色をきちんと出せてしまうところがやはり実力なのか。デビュー作から短いインターバルでリリースされたセカンド・アルバムは、大きな路線の転換もなく、奇をてらう新趣向もなく、ただ、確かにこれがアークティク・モンキーズだったと再認識、再確認させるシンプルでストレートなロックが詰まった、非常にシュアな作品に仕上がった。自分たちの音、自分たちのスタイルに対する新人らしからぬ自信が生み出した、実に堂々たるセカンド・アルバムと言うことができる。

ひとつひとつの楽曲にきちんとフックがあり、1枚のアルバムを息もつかせず最後まで聴かせてしまう勢いがある。天性の音楽的身体能力の高さに、タフなツアーをくぐり抜けたことによる筋力が加わったことが、この自信のバックボーンになっているのだろう。その意味では初めから選ばれたバンドだし、それに見合うだけのハードワークをきちんとこなしてきたことが正当に結実したアルバム。ハイプ的な騒がれ方とは裏腹に、非常に生真面目に音楽に取り組んでいるし、そこから生まれてくるもののレベルも十分に高い。

しかし、それだけにこのバンドの行く末が僕には心配だ。このスタイルをどこまでも追求することで確保することのできる彼らの居場所はそれほど広くはない。ビッグネームとして勝ち残るにはもっと自覚的な何か、もっと意識的な何かが必要なのではないか。多くの優れたアーティストは、デビュー時のハイプをくぐり抜けた後にこそ本当に価値のある作品を発表してきた。その意味ではこのバンドの真価が問われるのはまだまだこれからであり、彼らはようやく予選を勝ち抜いたに過ぎない。彼らは自ら賭け金を吊り上げた。
 

 
SKY BLUE SKY Wilco 7竹

僕は今41歳である。この年になると正直新譜を追いかけるがのがつらいときもある。特に元気のいい新人のアルバムは、たとえそれが僕のターゲットであるシンプルなギターロックであってもなかなか自分の中で消化できるまでに時間がかかる。作品のスピードとかノリとかについて行くのがしんどくなり、直感的、身体的な理解の仕方ができなくなる。僕が買うべきなのは「ロッキング・オン」ではなくて「ストレンジ・デイズ」なのかもしれない。ロック小僧ではなく、ロック通のオヤジ…。ああ、イヤだ。虫酸が走る。

だがしかし、それこそがウソ偽りのない僕の姿なのだ、たぶん。最近では新人のアルバムはほとんど買わず、ドアーズだの、バッファロー・スプリングフィールドだの、ザ・バンドだの、サイモン&ガーファンクルだののアルバムを買ってしまう。そして、そういう今の僕にこのウィルコの新作はかなりグッとフィットしてしまうのだ。穏やかでオーソドックスなフォーク・ロック。アメリカン・ルーツに根ざしたアーシーで腰の座ったブルース・ロック。いいじゃないか、これ。ロックはこうでなくちゃ。そうそう、この感じ。

だが、ちょっと待てよ、と僕は思う。確かにアルバムとしての完成度は高い。文句のつけどころはない。だが、ウィルコってこんなバンドだったっけ。オルタナ・カントリーだとか何とか。伝統的なカントリーを背景にしつつも、どこかフリーキーな現代性、ひとひねりせずにいられないクセの強さ、そういうものこそがウィルコを「今、聴くに値するバンド」にしていたのではなかったか。今作ではそういったものがすっかり抜け落ち、あまりにまともなカントリー・ロックになっているのだ。これは何かのワナなのだろうか。
 

 
THE BOY WITH NO NAME Travis 7梅

僕の認識ではトラヴィスというのはもう押しも押されもせぬビッグ・ネームであり、新譜が出るなら「ロッキング・オン」の表紙に写真とまでは言わないまでも、バンド名が大きな字で載っていてしかるべきだろうと思っていたが、どうもそうではないようだ。後発のコールドプレイが大ブレイクしたのに比べれば、このところのトラヴィスはリリースの間隔も開き、いつの間にかひどく地味な存在になってしまったのだろうか。自分の中の位置づけと世間の扱いにギャップがあってちょっと戸惑ってしまったアルバムだ。

内容的にはフラン・ヒーリーらしい丁寧で美しい「歌」がきちんと並んでいる。ひとつひとつの楽器の音までが決して手を抜くことなく試され、本来あるべき場所に寸分の狂いもなくはめ込まれている。いつものことだが恐ろしいくらい隙のない音楽であり、単位時間あたりに詰めこまれた情報量は、そのゆったりとした曲のテンポとは裏腹に異常なまでに大量だ。それはおそらくフラン・ヒーリーの音楽に対する誠意なのだろう。そしてその音楽に対する過剰な誠意、誠実さこそがトラヴィスの最も特徴的な資質なのだ。

それは分かる。だがこのアルバムは陰鬱だ。その過剰性はどこにも行き着かず、ただひたすら内向して一切の解放を拒否している。確かに美しい。確かに完成度は高い。だが、この息苦しさ、この抑圧感は何だろう。この出口のなさは何だろう。こんなにリスナーに緊張を強いる音楽をフラン・ヒーリーは作りたかったのだろうか。端的に言ってしんどいアルバムであり、ボーナス・トラックのラフな演奏が救いになるほど。このままどこまでも自閉するようだとトラヴィスの評価はジリ貧になって行くのではないだろうか。
 

 
NO NEED TO BE DOWN HEARTED The Electric Soft Parade 6竹

2003年のセカンド・アルバムから4年ぶりとなるサード・アルバム。デビュー・アルバムの時に僕は、デフレ向きのお買い得感はあるが、この先の化け方が問題と書いたことがあるが、まさにその困難な生き残りにどう立ち向かうかというアルバムになったと思う。音楽の骨格はまったく変わっていない。ギターを中心としたシンプルなバンド構成で、「歌」オリエンテッドな湿り気のあるメロディが乗り、どの曲も真面目に、丁寧に作られているのが分かる。そういう意味では引き続きお買い得感はあると言えるだろう。

だが、このバンドは何を売りたいんだろうかと言えばその答えは難しい。真面目に商売をしているのに大手のスーパーに客を奪われ、跡取り息子は普通に就職してサラリーマンになってしまい、先の見えないまま細々と老夫婦で経営している街の商店街の八百屋を連想させる。日本中が大手資本のチェーン店で埋め尽くされそうになるとき、もちろん個人商店にも生き残る道はあり、それはその店でなければ提供できない「何か」を提供することなのだが、このバンドにはその「何か」がいまだに見えてないのではないか。

残念なことだが(あるいは幸いなことにというべきか)心に残る音楽というのは地道な努力だけでできるものではない。そこには疑いもなく才能とかセンスといったものが必要だし、そのスケールも人によって大きな違いがある。ロックという現象の最前線に立って何十年先まで聴かれ続けるアルバムを残せるのか、インディ・レーベルから細々と固定ファンの閉じたサークルに向けた箱庭のような作品を作り続けるることになるのか、あるいはいつの間にかシーンから消えて行くのか、作品としてよりバンドとして気になる。
 

 
STEVE McQUEEN Prefab Sprout
BABYLON AND ON Squeeze
AGAIN Buffalo Springfield
 



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