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RAZORLIGHT Razorlight 7竹

セカンドにしてセルフ・タイトル。本来であればこれは微妙な話である。セルフ・タイトルというのはだいたいファースト・アルバムでやることだし、そうでなければ数枚アルバムを発表して業界にガッチリ地歩を固めたところで満を持して「これこそオレたちの神髄だ」みたいな感じで打ち出すものと相場が決まっている。ただでさえデビュー時のハイプ的高揚が落ちてシビアに聴かれがちなセカンドにセルフ・タイトルはないだろう。そう思うのが心あるロックファンである。僕もまさにそう思っていた。

しかし、このセルフ・タイトルには脱帽しない訳には行かない。僕は彼らのファーストには必ずしも高い点をつけなかったし、このアルバムもあまり買う気はなかった。だが、この音楽的な骨格の確かさはどうだ。ソングライティングの質の高さはどうだ。ここにあるのはもはやひっかくような苛立ちの叫びではない。勢いに任せて才能を垂れ流すガレージ・バンドではない。イギリス的なギター・バンドらしさは保ちながらも、むしろアメリカ的な骨太の信頼性の高さ、曲の奥行きを見せる豊穣さが核なのだ。

「アメリカ」、「ロス・アンゼルス・ワルツ」といったスローな曲も情緒に流れず表情豊かなボーカルとはっきりした歌メロでアルバムのポイントになっている。デビュー・アルバムでは正直威勢のいい新人バンドの域を出なかったが、このアルバムで彼らは、この業界で生き残る、勝ち残るのだということを強く宣言したと言える。まさにセルフ・タイトルに値する破格のセカンド・アルバムだ。曲が全体に短めで、通して聴いても35分とコンパクトにまとまっているのもむしろ自信のなせるワザ。買ってよかった。
 

 
THE ERASER Thom Yorke 7松

レディオヘッドのトム・ヨークのソロ・アルバムだ。「キッドA」や「アムニージアック」を思い起こさせるエレクトロニックなバック・トラックが延々と続いて行くが、その2枚のアルバムと比べても音作りはミニマルで非常に密室的な印象を受ける。その点で、若干傾向は違うものの、全編インストだった小沢健二の新譜を連想させる仕上がり。バンドのダイナミズムを離れ、スタジオでナイジェル・ゴドリッチと一緒に電子機器をいじりながら作ったと言うとおり、非常にパーソナルなイメージの作品だ。

しかし、このアルバムがそうした内向的な傾きを強く持ちつつも僕たちの耳にしっかり届いてくるのだとすればそれはトム・ヨークのボーカルの力によるものだろう。当初、トム・ヨークはこの音源をリリースのあてすらなくただのサウンド・スケッチとして作り始めたと述べているが、これがもしインストのままでリリースされていればここまでの訴求力を勝ち得ていなかったと思う。この実験的なエレクトロニック・ミュージックにトム・ヨークのボーカルを乗せた瞬間、それは豊かな肉体を獲得したのだ。

ここでのトム・ヨークの声は近い。なまめかしいほどに近い。決して歌い上げる訳でもなく、シャウトする訳でもない、取り立てて美声という訳でもないトム・ヨークのボーカルこそがこのアルバムのすべてだと言っても過言ではない。ここに歌を乗せるべしと言ったナイジェル・ゴドリッチの慧眼には敬服しない訳に行かない。これによってこのアルバムは当初のミニマル・エレクトロニック・ミュージックから大転換を遂げ、トム・ヨークのソロ・デビュー・アルバムになり得たのだと言うべきだろう。
 

 
WHITE BREAD BLACK BEER Scritti Politti 6松

スクリッティ・ポリッティことグリーン・ガートサイドの7年ぶりの新譜である。恐ろしいことに1999年にリリースされた前作も僕はきちんと買っていて、サイトでレビューもしているのだった。その時のレビューがあまりに的確なので、オレってさすがにいいこと書いてるなあ、あの頃は冴えてたなあと自画自賛しつつ、もうそれに付け加えることもないと言いたいくらいだ。それはつまりこのアルバムが前作とほとんど変わっていないということである。このアルバムが僕に与えた印象は何も変わらなかった。

もちろん細部においてはきっとなにがしかの進歩はあったのだろう。アルバム・レビューとしては、効果的に取り入れられたアコースティック楽器がエレクトロニックなビートとともに織りなす何とかというようなことを書かなければならないのだろう。だが、ここにあるものの本質は、ある時点で自足し、その限られた世界の中での完成を追い求めた自給自足の、永久機関のような音楽である。グリーン・ガートサイドの現実の興味が何に向かっているのかは知らないが、この音楽はひたすら内向しているのだ。

もちろん音楽としてはよくできている。曲は丁寧に作られているし、何歳になったのか知らないけどラブリーな細いハイトーンを聴かせてもくれる。アレンジにも工夫があって、アコースティック・ギターが密室性の高い音楽を適度に解放してくれる。この空気抜き穴がなければ僕はきっと窒息していたのだろうと思う。1985年に名作「キューピッド&サイケ」をリリースした頃には、この密室性、自閉性にもきちんと説明があったはずだと思うんだけど、いつのまにかそれが自動化してしまったのではないかな。
 

 
THE ROCK'N'ROLL CULTURE SCHOOL The Collectors 7竹

新譜とはいうものの実体はデビュー20周年の企画盤である。加藤ひさしのオリジナルは最後に収録された「ThankU」のみで、他の10曲はいろんなアーティストからこのアルバムのために提供されたもの。トリビュート・アルバムとは逆の発想というか何というか、カバー・アルバムという訳でもなく、聞こえてくるのはザ・コレクターズのあの音であり、加藤ひさしのあの声である。楽曲を提供したメンバーは豪華だ。奥田民生、真島真利、曽我部恵一、堂島孝平、山中さわお、スネオヘアー、サンボマスター…。

そう、ここにあるのは間違いなくコータローのギターであり、加藤のシャウトである。だれが書いた曲でも見事にザ・コレクターズのレパートリーにしているのはこれまでのカバーを思い起こしても容易に理解できるだろう。この強引なまでのねじ伏せ方はザ・コレクターズというバンドがいかに唯一無二の特徴を備えているかということの証拠だ。知らずに聴け彼らのオリジナルと思ってもおかしくない。ムジナとタヌキほどの区別もつかない曲ばかりの世の中で、この記名性は彼らの大きな財産である。

だが、よく聴いてみるとどの曲からもソングライターの息遣いが聞こえる。例えば冒頭の「悪い月」。これ、どう聴いても民生メロディだ。奥田民生が自分で歌っているところまで想像できる。そして同時にザ・コレクターズの歌にもなり得る。自分の色を忍ばせながら、ザ・コレクターズの特徴を最大限に生かす曲作り。これは民生だけではない。そう考えればこのアルバムはむしろソングライターたちのザ・コレクターズに対する愛情やリスペクトの勝利に終わったと言える。「ぼくは花」、「19」が秀逸。
 

 
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