logo 2006年5・6月の買い物


WESTERN SKIES Roddy Frame 8梅

言うまでもないことだが、年をとる、年齢を重ねるというのは困難なことだ。特に若い頃、神童だの天才だのと持ち上げられた人の場合には。美しく先鋭的で妥協を許さなかった十代の頃の表現も、若さという特権を失うことで次第に力を失い、ノスタルジックで陳腐な予定調和へと堕して行く。初期衝動と同じ速度、同じ熱量で走り続けることは容易なことではないし、自らの表現を常にアップデートし、切実なものとして更新し続けるのは更に難しい。しかし時間は容赦なく過ぎ去り、僕たちは間違いなく確実に年をとる。

表現を「円熟」させることでそれをやり過ごそうとするビッグ・ネームもいる。そういうアーティストを僕は何人も挙げることができる。だが僕が好きなアーティストはそうではない。例えばルー・リード。例えばエルビス・コステロ。そしてポール・ウェラー。彼らはどこまで行っても納得しない。彼らは決して折り合いをつけない。彼らはロックにおいて「円熟」が決してほめ言葉ではないことを知っているのだ。ロックにおいて「円熟」は「老成」と同義であり、それはある種の死体愛好に過ぎないと言っていい。

このアルバムもそんな「円熟」の文脈で語られかねないリスクを孕んでいる。全編アコースティック・ギター一本だったストイックな前作に比べれば、ドラム、ベースを導入してカラフルになったとはいえ、アズカメの頃の、冬の朝の空気のようなくっきりした輪郭はゆったりとしたアルペジオに変わったようだ。だが、このアルバムでも彼の伸びやかな声は健在である。何より、起伏の明快な、遠くまで見えるメロディ・ラインが、円熟という評価を最後のところで拒んでいる。「Day Of Reckoning」には涙する他ない。
 

 
SIMPATICO The Charlatans 7松

新譜が出るたびに「こんなに立派なバンドになるとは思わなかった」と書かれるのは彼らも本意ではないだろうが、本当にそういう感じなんだからしかたがない。毎回新機軸を織り込みながら、本来の幹の部分は確実に固く、太く育って行く、そういう成長のしかたをする骨格の頑丈なバンドになった。今では「シャーラタンズの新譜なんだから外れである訳がない」という根拠のない信頼を勝ち得るまでに至っているが、それも彼らがアルバムごとにたたき出してきた確かなビートとグルーヴの賜物だと言っていいだろう。

本作では彼らはレゲエ、スカ、ダブを大幅に導入している。困ったときのレゲエ頼みというのは結構あるような気もするが、彼らの場合は別に困っている訳ではなく、たまたまこのアルバムを作っていたときのマイ・ブームがレゲエだったのだとかそんな感じじゃないかと思う。何でそう思うかというと、ここでのレゲエ、スカが本当に奔放に、のびのびと鳴っているからだ。例えばスカ・ナンバーである「City Of The Dead」でのティムのボーカル、例えば「Muddy Ground」のベース・ライン、これは借り物ではあり得ない。

どんな音楽でも強引に血肉化し、自らの音として鳴らしてしまえる音楽的な基礎体力が素晴らしい。こいつら本当にいつからこんな確信持ってロックをやるようになったのだろうと思うくらい何の迷いもない、今ここにあるべきボーカルでありギターでありオルガン。もしかしたら彼らは最初からそんなロックを鳴らしていたのに僕がそれに気がつかなかっただけなのだろうか。レゲエ系以外のロック・ナンバーのスピード感と重量感のギリギリのせめぎ合いも見事。スリリングでありながら信頼できるバンドはなかなかない。
 

 
VISION VALLEY The Vines 7松

僕は全然知らなかったのだが、前作以降、決定的な仲間割れをして解散状態にあったのだそうだ。だからこの新譜が出たこと自体が大きな驚きなのだそうだ。僕としては毎月「Rockin' On」と「Crossbeat」は欠かさず買っているので、このニュースもたぶんどこかで目にしているはずだけど、それをまったく覚えてなかったということはヴァインズというバンド自体が僕にとってそれほど重要なバンドではなかったということの証拠なのかもしれない。確かに前作がどんなアルバムだったか今となっては定かではない。

だが、このアルバムは僕のそんな認識をちょっと変えた。ビートルズ直系とも言えるひねりの利いたポップ・センスをベースにヘヴィなギターでドライブして行くという基本的な路線は変わっていないはずだが、その通用力というか音楽としての会話力みたいなものがハンパじゃないレベルに達している。他の作業をしながらこのCDを流しっぱなしにしている人の手を止めさせるだけの訴求力をこのアルバムは持っている。それぞれの曲が短めなのもいい。ラストの曲を除けば3分を超える曲すらない、全体で31分の潔さだ。

CDが標準メディアになってアルバム1枚が平気で1時間以上かかる時代にあって、多くのバンドがひとつかふたつのアイデアを水増しして引き延ばして退屈なアルバムを作る中で、ここまでコンパクトにポップのエッセンスを凝縮し、しかもそれを惜しげもなく次から次へと繰り出す本作の密度は尋常ではない。ソングライターのクレイグ・ニコルズは前作製作後ナーバス・ブレイクダウンに陥ったそうだが、このアルバムの強迫観念的な集積度は治癒の証なのか、それとも逆なのか。迷ったけど買ってよかったアルバム。
 

 
THE BACK ROOM Editors 6竹

バンド名もアルバム・タイトルも控えめで地味なバンドのファースト。世間的にはジョイ・ディヴィジョンの名前を引き合いに出して語られることが多く、その他にもエコバニだとかU2だとか、あるいはネオ・サイケなどといったキーワードで80年代リバイバルの一派と見られている傾向のバンドだ。確かにヒット・シングル「Munich」をはじめ、アルバム全般を覆う歪みのない特徴的なギター、低音のボーカル、陰鬱な曲調は、先に名前を挙げたようなバンドの80年代当時の音を思い起こさせる。

だが、端的に言ってそれは、そうしたバンドにとっても、それらを愛してきた僕のような者にとっても、更に彼ら自身にとっても不幸なことだ。もちろんある種の音楽やサウンド・プロダクションが否応なく時代相的な色彩を帯びるのは避けられないことだとしても、僕たちはそうした記号を媒介にしながらその背後にある音楽そのものに耳を澄ませるべきなのだ。記号について語るのは楽しいことでもあるけど、そうした表現が彼らのどこから出てきたものなのかということの方を僕たちは問題にすべきだ。

そういった意味でこのアルバムは困難だ。なぜなら、そうした探求を容易に受け付けないほどその記号性が強固だからだ。聴けば聴くほど、僕にはこれが日の目を見なかった80年代のバンドのレア・アイテムだとしか思えなくなってくる。懐かしい、面白い、曲も(幾分単調で平板であるにせよ)悪くはない。しかし、例えばこれが80年代に出ていたらジョイ・ディヴィジョンやエコバニに並ぶ作品だと評価されていただろうか。記号としての面白さを凌駕して行くほどの内実が見えて来ないのが最大の難点。
 

 
FROM THE SIX CORNERS Players 6梅

前回のエディターズにも増して匿名的なバンド、プレイヤーズのセカンドである。その実体は、ドラムをスティーブ・ホワイト、キーボード類はミック・タルボット、ベースはデーモン・ミンチェラというポール・ウェラー人脈で固めたジャズ・ファンク・バンドだ。前作に参加したアジズ・イブラヒムは今回参加していないようだが、インストだった前作に対し、今回は女声ボーカルをフィーチャーして、よりポップ・ミュージックとしての完成度を意識しているようだ。実際確かに「歌もの」というだけで印象も違う。

全体にファンキーに押してくるところは前作と変わらない。定番のリズムで、イノベーションとか革新性という意味ではまったく反動的な音楽だが、このグルーヴは純粋に気持ちがいい。たぶん演奏している方もすごく楽しいんだろうと思う。例えばレディオヘッドなんかのアルバムを聴くのとはまったく違った種類の音楽の楽しみ。クラブへ行ってレア・グルーヴで踊るとかいうのはこんな感じなのかな(行ったことないので知らない)。難しいことはいいから、好きなリズムでグイグイ行けばいいじゃん、という感じ。

もちろんそこに、例えばミック・タルボット印のオルガンは鳴っている。ポール・ウェラーのステージで聴いた強力なリズム隊もある。しかし、ではこれはだれのアルバムなのかと問われても説明に窮するだろう。普通バンドの顔はボーカリストだろうが、ここではボーカルは曲をまとめるためのひとつの要素に過ぎない。いったいこのバンドの顔はどこにあるのか。いったいこのバンドが歌いたいことは何なのか。そういうロック的な問いかけとは正反対の場所にある作品。気持ちいいけどロック史には確実に残らない。
 

 
MY FAVOURITE SONGBOOK Space Kelly 7竹

ドイツのインディ・ポップ・スター、スペース・ケリーの新作である。今回はいつものネオアコ調シュガー・ポップからちょっと趣向を変えて、ポップ・スタンダードのカバー集になった。ドイツと言えばポップ・ミュージック不毛の地であり、僕も通算8年の在独中にドイツ人アーティストのCDは1枚も買ったことはなかった訳だが、日本に帰ってからスペース・ケリーを知り、ドイツにもこういう音楽を愛する人がいたんだと初めて気づいた。そういえばマリナ・レーベルとか、ライン・レコードもドイツだったっけ。

このアルバムはいきなりラトルズの「Between Us」のカバーで幕を開ける。ラトルズというのはニール・イネスを中心としたビートルズのパロディ・バンドだが、その痛快なパロディぶりを支えているのがニール・イネスの達者なソングライティングであることはその道の人ならだれでも知っていることであり、スペース・ケリーはそれをこのカバーで証明している。カバーによってビートルズのパロディという色眼鏡から自由になったこの曲の純粋な美しさ、ポップ・ソングとしての完成度の高さが際立って聞こえてくる。

その他にもビーチ・ボーイズやトッド・ラングレン、ギルバート・オサリバン、ジョナサン・リッチマンなどの曲をカバーしているが、どれも奇をてらうことのないオーソドックスなアレンジでありながら、彼のポップへの深い造詣と愛情がそのどれもをまるで彼のオリジナルのように、自然とひとつのアルバムにまとめ上げている。ただ一つ残念なのはこのアルバムが原曲通りの英語で歌われていること。できることならケンにはドイツ語で歌って欲しかった。加藤ひさしがかつてカバー・アルバムでそうしたように。
 

 
...THE CORNER OF MILES AND GIL Shack 8松

これほどリリースを心待ちにしたアルバムも最近なかったと思う。先行シングルを手に入れるために新宿のレコード屋を巡り、アナログ盤を見つけて買った(シングルはアナログとiTMSダウンロードのみのリリース)。そのシングルから概ね予想できたとおり、とても静かで、とても落ち着いたアコースティックな仕上がりのアルバムである。これは前作でも明らかだった最近のマイケル・ヘッドの傾向で、おもにスリー・フィンガー・ピッキングやワルツの、フォーク系の曲を中心にアルバムが構成されている。

しかし、このアルバムがそうしたいわば地味なテイストであるにも関わらず、決して退屈な作品になっていないのは、やはりひとつひとつの曲の完成度の高さに負うものだろうと思う。丁寧に磨かれたメロディ・ライン、驚くほど雄弁なギター、効果的に挿入されるストリングスやブラス。抑えたアレンジが基調になっている分、ところどころで現れる荒々しいリズム・カッティングが効いてくる。弟のジョン・ヘッドが書いた何曲かもアルバムの中で巧みなアクセントになっている。地味に見えて色彩は豊かだ。

早いリズム、うるさいギター、跳ねるベース。僕はそういう音楽が好きだ。だけど、そういう音楽に慣れた耳ではなかなか聞き分けることのできない種類の高いテンションがこのアルバムにはある。ここにある色彩は目を閉じたときまぶたの裏に現れる微妙な色や模様に似ている。見定めようとするとそれはすぐに変化し、どこかへ逃げて行く。かつてのペイル・ファウンテンズの、かき鳴らされたギターの響きはもうそこにはないけれど、音楽が空中に消えて行く瞬間の心の震えのようなものはあの頃と同じだ。
 

 
RIOT CITY BLUES Primal Scream 8梅

「ロックの臨死体験」ことプライマル・スクリームの新譜だ。何度も三途の川を超えて彼岸を見てきた男たちが今回奏でるのはロックンロール。世間では1994年の第4作「Give Out But Don't Give Up」との相似も指摘されるが、1曲目の「Country Girl」を聴けば分かるとおり、このアルバムではよりカントリーに接近し、一部の曲ではフィドルまでフィーチャーしてカントリー・パンクとでもいうべき独自の領域を切り拓いている。ストーンズふうのルーズなロックンロールもあるが、全体のイメージはアーシーだ。

だが、それは必ずしもこのアルバムがレイド・バックしたものであることを意味しない。プライマルズはここ2作ほど、高速回転するチェーンソーのようにメタリックで大量虐殺的なエレクトロニック・ビートを得意技として、手当たり次第に破壊活動を続けてきた訳だが、このアルバムでもその本質が破壊活動であることに変わりはないのだ。このアルバムを聴いて「オーガニック」なんていう言葉を持ち出してボビーの失笑を買っていた雑誌のインタビューがあったが当たり前だろう。オーガニックなロック?

カントリー・パンクと呼んではみたが、それは例えばウィルコなどのオルタナ・カントリーとかとも似て非なるものだ。プライマルズの場合、そこには音楽に対する批評的な眼差しとか認識というものはない。彼らはただ音楽と心中したいだけなのだ。それがどんな音楽であれ、好きな音楽と一緒に死に、その向こうにあるお花畑を見てみたいだけなのだ。ハウス、ロックンロール、ダブ、エレクトロニック、そしてカントリー。アイテムは替わっても彼らの心中体質は変わらない。そしてお花畑はいつも美しい。
 

 
RATHER RIPPED Sonic Youth 8竹

僕が最も信頼しているアメリカのバンドのひとつ、ソニック・ユースの新譜である。ジム・オルークが脱退したせいもあってか、「Goo」や「Dirty」の頃を思い起こさせるストレートなロック作品に仕上がっている。エクスペリメンタルな実験性は最低限に抑えられ、シンプルなエイト・ビートを基調に、ギターが曲をガイドし牽引して行くような、ポップで歌メロのはっきりした曲が大半を占める。前作にして既にストレートなロック路線への回帰は見られたが、今作ではそれが一層はっきりと現れてきたように思える。

もちろんそこには彼らならではのヒネリの効いたポップ・センス、オルタナティブなイディオムが充満しており、ヒット・チャートをにぎわせるような「ポップ」と異質なのは言うまでもないことだが、このように聴いてみると、彼らがここまで長いキャリアを経て大きな影響力を得ているのは、決して何か小難しいことをやって来たからではなく、むしろ前衛に立ち続けながら、ポップ・ミュージックとして最も重要な「歌」とか「メロディ」といったものに決して背を向けることのなかった誠実さによるのだと分かる。

そして、その彼らが今、こうした作品を発表したということは、彼らが前衛に立つことを放棄したことを意味するのではもちろんない。それは、今、ロックの世界において前衛が拡散し、もはやこれさえやっておけば前衛だと言い得るような分かりやすい「実験性」がどこにも存在しなくなったことを意味しているのだ。21世紀の現代において、コンピュータの力を借りればどんな音楽でもたやすく制作できる状況にあって、本当の前衛とは当たり前の音楽が聴き手の内側に立てるさざ波のことなのではないのか。重要作。
 

 
OTHER PEOPLE'S PROBLEMS The Upper Room 6松

HMVの店頭でジャケに引かれて立ち止まり、試聴機で音を聴いて買ってしまったアルバム。ブライトン出身の4人組で2004年にシングルをリリースしているらしいが、アルバムはこれが1枚目。プロデューサーはストーン・ローゼズを手がけたポール・シュローダーである。音的にはキラキラ感のあるギター・ポップ系。ザ・スミスのフォロワーとの評もあるようだが、この音を聴いてスミスの名前は思い浮かばなかったなあ、僕は。言われてみれば確かにギターの鳴りや何かに何となくジョニー・マーの香りはするかも。

折からの80年代リバイバルの影響もあるのか、エフェクトの少ないギターの音色を中心にしたシンプルなバンド構成で、歌メロを前面に出しながら小気味のよいエイト・ビートで押して行く作りのアルバムになっている。もちろん僕としては全然嫌いじゃない路線だし、だからこそ珍しく衝動買いしてしまった次第ではあるのだが、何度か繰り返し聴いてみてもどうも何か引っかかってくるものがない。iPodに入れて通勤電車で聴いてみたけど、地下鉄の窓の向こうの景色と一緒に音楽が流れ出しては飛び去って行くのだ。

考えてみればスミスは全然ポップじゃなかった。もちろん美しいギターと明快な歌メロはあったが、モリッシーのボーカルのせいでスミスはいつも宿命的な混沌を抱えていた。そしてその混沌こそがスミスであった。このアルバムを聴いて、その音楽的な相似性にも関わらず僕がスミスを思い起こさなかったのは、ここにそうした混沌がまったくないからだ。いや、モリッシーに匹敵する混沌を抱え込めという方が無理な注文なのは分かっているが、デビュー・アルバムにしては整理され過ぎじゃないか。次が心配だ。
 

 
THE RIVER IN REVERSE Elvis Costello & Allen Toussaint 8梅

ハリケーンで壊滅的な打撃を被ったニュー・オリンズの復興を願ってコステロとアラン・トゥーサンの夢の共演が実現した、ということらしい。で、何でも収録曲の半分はアラン・トゥーサンの既発表のスタンダードらしい。もちろんアラン・トゥーサンの名前は知っていたものの、その音楽的な足跡にはほとんど触れたことのなかった僕にとっては、正直コステロがまた何かやってるぞという程度の気持ちで買ってみたアルバムだったのだが、これがまったく素晴らしい。聴けば聴くほど深みにはまる感じだ。

何がいいと言ってまずコステロのボーカルが素晴らしい。まあ、この人のやみくもな表現力は今に始まったことではないが、「North」あたりではその表現力が自家中毒を起こして、くどすぎて聴いていられなかった。それが、この建て付けのしっかりしたファンクの上にこのボーカルが乗っかるとその説得力は半端なものではない。だから最初に聴くとこのアルバムはまるでコステロの純粋な新譜のようにすら聞こえる。「Spike」とかでアメリカン・ルーツに傾倒していた頃の雰囲気に近いものがある。

だが、繰り返して聴くうちに胸に落ちてくるのは、そのボーカルを支える曲想の豊かさと確かさだ。腰の低いベースラインと地鳴りのようなブラス。こういう地力のある音楽を聴いてしまうと、結局すべての音楽の素がこういう辺りに詰まってそうな気がして、当たり前のロックを聴く気がしなくなってきたりするから危険だ。音楽というのは技術と才能とエモーションからできているということがよく分かる。泥臭いのは確かだが、僕のようにアラン・トゥーサンを真面目に聴いたことがない人こそ聴くべきだ。
 

 
WAVES Ride
CATCH-FLAME! Paul Weller
GOAL! V.A.
PAINT IT BLACK V.A.
LIGHT OF DAY V.A.



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