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WHATEVER PEOPLE SAY I AM, THAT'S WHAT I'M NOT Arctic Monkeys 7松

和音の種類はおそらく有限だ。音符の並び方も、リズムパターンも、どんな順列組合せを試したところでいつかはネタが尽きる。そんな中でこれだけたくさんいるロック・ミュージシャンがそれぞれ「新しいロック」を鳴らし続けることは果たして可能なのか。僕はいつも考えてしまう。無理だ、と。現にどう考えてもだれかの焼き直しだとしか思えない情けないロックしか鳴らせないミュージシャンがたくさんいるじゃないか、と。それは成熟した音楽形態、表現形態が必ず行き当たる壁なのかもしれない。

だが、「新しいロック」を鳴らすことは、この現代にあってもまだ決して不可能なことではない。そしてそれは必ずしも先進的なテクノロジーを駆使したりロックそのものを脱構築したりしなければでき得ないという訳でもない。いや、むしろそれはとても単純な、とても明快な方法論でこそなされるべきことなのだと僕は思う。なぜなら、ロックはもともととても単純で明快な音楽だからだ。そう、当たり前のロックを当たり前に鳴らすことでこそ、「新しいロック」の地平は開かれて行くのだと言っていい。

このアークティク・モンキーズのデビュー・アルバムが新しいとすれば、それはこれがあまりにも当たり前のロックだからだ。そして、そうであるにもかかわらず、彼らが他のどんな既存のロックにも無関心だからだ。似ているなら似ているでいい、ありきたりならありきたりでいい、オレたちはそんなことは知らないし、オレたちにはこれが新しいロックなのだという傍若無人な視線こそが新しい。ネット配信時代の申し子がここまで当たり前のロックを奏でること。ストロークスのデビュー作を思わせる。
 

 
BORN AGAIN IN THE USA Loose Fur 7松

ウィルコのジェフ・トゥイーディ、グレン・コッチェと、そのプロデューサーを務めたこともあるジム・オルークの3人からなるユニット、ルース・ファーのセカンド・アルバムらしい。らしい、というのはファーストなんか知らなかったから。何でもファーストは結構アバンギャルドらしいので僕としては聴かなくてよかったのかもしれないが、今作は全然普通のロック。というと語弊もあるが、ウィルコの先鋭的でコンテンポラリーなカントリー的傾向が結構そのまま分かりやすく出たオーソドックスなアルバムだ。

もちろん完全なポップ・アルバムという訳ではなく、ウィルコらしい、あるいはジム・オルークらしいヒネリもあちこちに散りばめられてはいるのだが、曲の骨格はどれもポップ・ソングのフォーマットをきちんと踏襲しており、普通の人が普通に聴いてもそれなりに聴けてしまうことは間違いない。使われている楽器はミニマム。ガチガチに根を詰めて作り上げた作品というよりは、気の合うものどうし、サイド・プロジェクトとしてスタジオに入りリラックスしてレコーディングしましたといったルーズな印象だ。

恐ろしいのは、それが決して弛緩した内輪受けのアルバムではなく、きちんと緊張感をはらんだアコースティック・ロックとして、現代的なアメリカン・オルタナティブの前衛を示す作品として結実していること。こういうのを聴いていると、自分が常々アメリカものを毛嫌いし、UKびいきを公言しているのが情けなくなってくる。この国のロックが持つ層の厚さ、くだらないものも多いけどそれだけでなくいくつもの豊かな伏流を抱えている奥の深さがうらやましい。ジャケットのいただけなさは我慢する他ないだろう。
 

 
毎日の環境学 小沢健二 ---

小沢健二の5枚目のソロ・アルバムだ。とはいえこれはインストルメンタル。このアルバムではボーカルレスというらしいが、いずれにしても小沢の声は入っていない。アンビエントなラウンジ・ミュージックとでもいった趣のインストが8曲収められている。これは小沢が「こどもと昔話」に連載している「うさぎ!」のサントラであるとされており、実際、CDの帯には「うさぎ!」からの抜粋が掲載されている。東芝EMIの小沢の公式サイトは「うさぎ!」の第一回が掲載されたページへ直接リンクされている。

この種の音楽には僕はもう何も言うことがない。正直言ってよく分からない。いいのか悪いのかもよく分からない。CDをかけていてもたぶん何も耳に入っていない。そういう類の音楽だし小沢自身もそういう聴かれ方を否定していないのだろうと思う。非常に緻密に作り上げられて高いテンションを孕んだ音楽だということも分かるが、この音楽が僕の生活や僕の感情のどこかにフックすることもヒットすることもない。街のどこかで初めて耳にしてもこれが小沢の音楽だと気づくことはおそらくないだろう。

「うさぎ!」の第一回も読んでみた。現代社会の成り立ちを寓意的に描写した大人のための童話のようなものなのだと思うが、そこに示されている世界認識はあまりにも平板でステロタイプだ。「貧しい国」、「豊かな国」、「灰色」といった道具立て、舞台装置はありきたり、図式的で、僕たちの世界が本当に抱えている問題の所在からは大きく隔たっているように僕には思える。「おそろしい仕組みをつくって人びとをいじめていた者たち」という言葉遣いそのものが世界の複雑さからの逃避ではないのかな。
 

 
SIMPLIFIED Simply Red
COME ON / LET'S GO Paul Weller
A ROUGH OUTLINE The Bluetones
MONSIEUR GAINSBOURG REVISITED V.A.
CYCLE HIT 1991-1997 スピッツ
CYCLE HIT 1997-2005 スピッツ



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