都心の大きなレコード屋に行くと試聴機が備えられている。これでCDを聴くとたいていかなり大きめの音で再生されるのだが、そうすると少々アレなレコードでも結構よく聞こえてしまったりするから不思議だ。それで判断を誤って買ったジャンクがいったい何枚あることか。いや、もちろんストロークスの新譜がそうだということではない。ただ、ロックにとって大きな音で聴くということは確実にひとつの大きな要素であるということが言いたいのだ。大きな音で聴かれることをその属性として内包する音楽、それがロックだ。
このストロークスのアルバムはその中でもスピーカーから空気を揺らして鳴らされることで力を獲得する種類の音楽ではないかと思う。最近の常として買ってきたCDはだいたいリッピングしてiPodに流しこみ、通勤の電車の中で聴くのがふだんの流れなんだが、その聴き方では今回のアルバムは今ひとつピンと来なかったのだ。それが家のオーディオから音を出してみると、何だ、全然OKじゃん、みたいな感じで。これは何を意味しているのだろう。それはたぶん、このアルバムが「場」を飲みこんで成立するような作りだからか。
文句なしにポップだった前作から比べれば、このアルバムでは音楽的な幅が広がり、音の作りこみの奥行きもグッと深まったと思う。しかしその一方で一点突破的な初期衝動の高まりは確実に減衰している。「ストロークスはロックンロールの初速を落とさないまま音楽的に成長して行くという困難な実験に挑んでいる」と前作のレビューに書いたが、その実験が本作で幸福な実を結んだとはまだ言い難い。いい夢の途中で目が覚めちゃって、続きを見るために必死で目を閉じてみたような、そんな感覚が残ってしまうアルバムだ。
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