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AS IS NOW Paul Weller 8竹

人は今、ポール・ウェラーに何を求めているのだろう。どんなアルバムを作ればポール・ウェラーは高い評価を得られるのだろう。いや、ポール・ウェラーなのだからどんなアルバムを作ってもそれなりの評価とそれなりの失望は常にあるのだが、例えばザ・ジャムの頃のような直情一発のビート・ポップなのか、スタイル・カウンシルの頃のようなブルー・アイド・ソウルなのか、それとも年相応にレイド・バックした円熟の境地なのか。そういう意味ではソロというスタイルは逃げが利かず真価を問われ続ける厳しさがある。

ポール・ウェラーのソロについては僕はずっと何か物足りなさを感じてきた。年相応の渋さなんか出さなくていい、もっとガシガシにギターをかき鳴らし、もっとシャウトして欲しいと思っていた。40歳にもなって毎日「これは何なんだ」と思いながら、それでももっともらしい顔をして銀行員なんかやってる僕の「きしみ」みたいなものを直接キックする切実な「ロックンロール」を聴かせてくれと思っていた。それがあんたの仕事だろう、それが「ポール・ウェラー」の役割だろう、と。あんたがそれを始めたんだろう、と。

それは今でも変わらない。そして、そういうポイントから聴けば本作はかなりその、僕の聴きたいポール・ウェラーに近い仕上がりになっている。ここではポール・ウェラーは挑発している。ロックを管理職の慰みものにするなと歌っているのだ。40歳には40歳の、50歳には50歳の苛立ちがあり、やむにやまれぬ思いがあり、それはレイド・バックしたアンプラグドなんかに慰撫されるより、まさにビートによってキックされるべきものなのだ。エルビス・コステロ、ポール・ウェラー、物分かりの悪いオヤジがロックを作る。
 

 
YOU COULD HAVE IT SO MUCH BETTER Franz Ferdinand 7松

このアルバムのレビューをするに当たり、こいつらのファーストってえらい評価高かったけどどんなだっけと思って聴いてみたのだが、うにょうにょヌメヌメしたメロディとかうるさいドラムとか特徴的なギターの音色とかはそのままなんだけど、結構遊びというかノイズというか不純物みたいなものがいっぱい混じっていて、それがこの混沌としたフリーフォームの変態感につながっていたのだった。80年代がどうだとか言うより、とにかく力があり余って仕方がない若造どものやんちゃで乱暴なロックだったと言っていい。

それが今作ではその中から最も美味しい部分だけを遠心分離して抽出し、それを純粋培養してしまったかのような確信犯的な音の鳴り方だ。音圧が異常に高い。どれもこれも暑苦しくなるくらいフランツ・ファーディナンド。相変わらずうにょうにょヌメヌメしたメロディ、パカパカとやたらうるさいドラム、どの曲を聴いても同じ音色で鳴っているギター、街中のコンビニとかで流れていても瞬間「これはフランツ」と分かるくらい分かりやすい特徴を備えたフランツ節であり、二作目にしてこれだけの高みに到達したのだ。

ヘンなところのツボを微妙に突いて思わず声が出そうになる気持ちよさだが、しかし余計なお世話と知りつつ言うなら、このバンドのこのカラーはいったいいつまで保つのか。既に頂点を極めてしまったフランツ・ファーディナンドのストロング・スタイルはいったいどこに向かえばいいというのか。今の彼らにはこれ以上削ぎ落とすものもなければつけ加えるものもないはず。今作は非常に楽しんで聴ける万年躁状態みたいなアルバムに仕上がっているが、これから彼らが立ち向かわねばならないものは多く、そして重い。
 

 
YOUNG FOR ETERNITY The Subways 6竹

今年は雑誌のレビューに乗せられて新人バンドのアルバムを買うのはやめようと思っていた。既に自宅には一生聴き続けるのに十分なくらいのCDがあるのであり(たぶんこれからもう二度と聴く機会のないCDもたくさんあるはずだ)、こいつの新譜だけは外せないというアーティストもあるのだから、そういったものを聴いているだけでももう十分僕の音楽生活、ロック生活はまっとうできるだろうと思っていたのだ。そのおかげで今年はCDに投じるカネも少しは減ったはずだし、ディスコグラフィ・レビューもスタートできた。

それが魔が差したというか何というか、何だか知らないが買う気になって買ってしまった新人バンドのアルバムである。結論から先にいえば悪くはない。悪くはないがこれでなければならないという決定的なモメントもない。ギターの鳴りにニルバーナを感じる瞬間もあれば節回しがオアシスを思わせるところもあるといった雰囲気の、ストレートなロックンロールだ。スリーピースのバンドとしては達者な音作りであり、アルバム全体としてもそれなりに勢いはある。プロデューサーは他ならぬイアン・ブロウディなのだ。

しかし、僕がこのレビューを書いてこのアルバムをいったんCDラックにしまいこんでしまったら、次にこのCDが取り出され聴かれることはあるだろうか。申し訳ないが、たぶん僕はもう二度とこのCDを手にすることはないのではないだろうか。何より気になるのはやはり曲が弱いこと。どれもどこかで聴いたことがあるような気がしてしまうのだ。彼らがこの路線で生き残って行くためには、おそらく水準以上の曲が書けて演奏ができるということだけでは足りない。このCDを引っ張り出して聴き直したくなるような次作を期待。
 

 
SIBERIA Echo & The Bunnymen 7竹

「サイベリア」と言われると何のことだか分からずつい小林亜星の顔とか思い浮かべたりしてしまいそうになるが、これは間違いなくシベリア、あのロシアの酷寒の氷原のことである。思えば寒々としたイメージのジャケットが多い彼らであるから、この冷え冷えとしたタイトルもまた彼らに似つかわしくはあるのかもしれないが、問題は一時期の(あるいは全盛期の)彼らの音楽を貫いていた凍えるような潔癖さ、世界のすべてを拒絶するような冷たさを、再結成後の彼らに果たして求めるべきなのかどうかということだ。

もちろんだれもそのような「否定する力」だけで生き続ける訳には行かない。紆余曲折を経て結局イアン・マッカロクとウィル・サージェントの二人だけになったバニーメンが、再びヒュー・ジョーンズと組んだこのアルバムでも、そこにあるのはもはや拒絶ではなく赦しや肯定であるように思われる。繊細なギター、深く地下世界にくぐもって行くようなイアン・マッカロクのボーカルは健在だが、そこに若きバニーメンを特徴づけていた切れるような緊張感はないし、またそれを探そうとするべきではないのだろう。

しかし、本作を46歳のオヤジの等身大のロックだと思って聴けばその水準は決して低くない。むしろ非常に良質な楽曲が、抑制の利いたバンド・アレンジとこざっぱりとしたプロデュースで、ひとつひとつロックとして、歌として結晶している優秀なポップ・アルバムであるということができる。コールドプレイやトラヴィスがテンパってしまってガチガチのアルバムを作るしかなかったことを思えば、この仕上がり具合というか緩急はほぼ理想的ではある。あとはこれをバニーメンの名の下にやることの是非だけなのだ。
 

 
WHAT I REALLY WANT FOR CHRISTMAS Brian Wilson
BIFF BANG POW The Collectors



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