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WAINTG FOR THE SIRENS' CALL New Order 7松

笑うほどギター・ロックだった前作から3年だか4年だか、今回は笑うほどニュー・オーダー。僕が初めて聴いたニュー・オーダーは「ロウ・ライフ」であり、当時はそのたたずまいの陰鬱さに「正しい洋楽とはこういうものか」と完全に誤解していたうぶな大学生だった僕も、この身も蓋もない凡庸さこそがニュー・オーダーなのだとか、それなりに知ったようなことも書けるくらいには大人になった。単調なビートに安っぽいシンセ、盛り上がりに欠けるボーカル。僕たちのニュー・オーダーが帰ってきた、なんてね。

でも、聴いていて感じるのはこのアルバムがすごく初々しいってこと。まるで新人バンドみたいにひとつひとつの音が清々しく、潔い。新しく世界と向かい合った驚きや緊張がこのアルバムにはある。かつての退屈で凡庸なサウンド・プロダクションに似てはいても、それは決して80年代の単純な延長戦ではない。それを最もはっきりと物語っているのがアルバムの最後に収められている「ワーキング・オーバータイム」だろう。このバカバカしいほど単純で直線的なロックンロールこそ、ニュー・オーダーの新しい光だ。

そう、この曲で、ニュー・オーダーは完全に80年代の自分たちのスタイルを相対化して見せたのだ。アルバムの中盤を盛り上げるストロング・スタイルのニュー・オーダー節を自ら笑い飛ばしたのだ。その覚醒した自らへの視線こそがこのアルバムをとてもみずみずしいものにしているのだと僕は思う。ぽっかりと抜け落ちた中心を埋めようともせず、虚ろなまま走り続けてきた凡庸な「残された者たち」が、もしかしたらようやくそんな自分たちの陰鬱な宿命を、笑い飛ばせるほどしっかり受け止められたのだろうか。
 

 
PLUS ONE MORE Scoobie Do 7竹

インスト、カバー含む7曲入りのミニ・アルバムである。アナログ・レコードがCDになってから世の中のアルバムは収録時間がどんどん長くなる傾向にあり、1時間を超えるアルバムなんて珍しくもなくなった今日この頃ではあるが、よほど好きな音楽でも1時間聴いていると集中力が持たなくなるのが普通の人間というものだ。特に彼らのようなビート・バンドの場合、アルバムの構成で聴かせるというよりそれぞれの曲のグルーヴをつないでドライブする訳だからこのミニ・アルバムのアイデアは悪くない。

実際その中身も逡巡を振り払ったシンプルでストレートなビート・ナンバーばかりだ。「ビート・ナンバーが中心」とかいった中途半端な状態ではなく、本当に「ビート・ナンバーばかり」なのだ。黒っぽくハネまくるビート、おそろしくカッコいいギターのカッティング、随所に入るキメのブレイク、本来ダンス・オリエンテッドな機能性音楽なのだが、より気持ちよく踊れる音楽というのは結局のところ音楽それ自体としてもよくできているという単純な事実をあらためて思い起こさせてくれる仕上がりだ。

メジャー・デビューしてアルバムも2枚出して、例えばスーパーカーみたいにすごいスピードでスタイルが変化して行くこと自体がカッコいいバンドもあるけれど、スクービードゥーの場合はやはりどうやってもこのストロング・スタイルのビート・ロックがその根底にある訳で、ここでその立ち位置みたいなものをあらためて確認しようとする意識は極めて正しかったと思う。最後に収録されているアーチー・ベル&ザ・ドレルズの「タイトゥン・アップ」は初めから彼らのためにあったかのようなハマり方。
 

 
MAN-MADE Teenage Fanclub 7松

彼らのアルバムを聴くたび、僕たちはオートマチックに「バンドワゴネスク」の幻影を探し続けてきた。激しいフィードバック・ノイズの向こうから漂うように聞こえてくる美しいメロディとハーモニー。どこか壊れたようなその取り合わせは不穏だった。何かただならぬことが目の前で進行しているようでざわざわと血が騒いだ。ただの「いい歌」ではない、確かにロック的なヤバさがそこにあったのだ。僕にとってはそれがTFCの原体験だった。それからだんだん「いい歌」化して行くTFCを、僕は複雑な気持ちで追い続けた。

メジャー・レーベルと契約が切れ、自ら設立したレーベルからの5年ぶりとなるオリジナル・アルバムだ。今作では流れるようなポップ・ソングは意外と少ない。どの曲も敢えて大げさな盛り上がりを避けるように、淡々と、あくまでストイックに、ミニマルに歌われて行く。オルガンの音が効果的に配され、実際には凝ったアレンジがされているのだが、非常に整理されたシンプルなサウンド・プロダクションがミニマルな印象を一層高めている。メロディもハーモニーももちろん美しいが、ポップな爽快感は見当たらない。

だがその静かで端整なアルバムが僕をより深く音楽の中へと引っ張って行くのだ。心地よい半覚醒の中で聴く音楽のように、このアルバムは僕の脳味噌のふだんあまり使わないところにいつの間にか忍びこみ、知らない間に浸透する。TFCのアルバムにこういう中毒性とか習慣性みたいなものを感じたのは久しぶりのことではないかと思う。解き放たれることのないメロディとハーモニーの美しさがひたすら内向して依存性のある特殊な世界を形作る。この方法論、そう、これはTFCのサイケデリック・アルバムなのかもしれない。
 

 
A HYPERACTIVE WORKOUT FOR THE FLYING SQUAD Ocean Colour Scene 6梅

オーシャン・カラー・シーンといえばモッズ系のバンドであり、リズム&ブルースをベースにしたストレートで重心の低い正統派のロックを聞かせるというイメージがある。実際大まかに言ってしまうとそういうことだし、僕自身も基本的にそういう認識でいるのだが、実際にアルバムを聴き返してみると、その正統派ロックに徹しきれないウェットさの方が、むしろ彼らをただのビート・バンドから画然と峻別するための付加価値になっているような気がする。そのダサさ、クールの範疇で寸止めの効かない不器用さこそが。

しかし、今作ではそれがさらに顕著になり、オーケストラを大仰にかぶせたバラードや、フィドルをフィーチャーしたカントリー調の曲まである。泣きの入ったバラード程度ならモッズとしても許容範囲なのかもしれないが、有無を言わせぬ男気のロックでぐいぐい押して欲しい僕としてはかなり調子が狂うというか戸惑いが残ることは事実である。特にアルバムの後半にスローナンバーが集中しており、ここでの失速感は大きい。バラードでは曲そのものの完成度が厳しく問われるが、それには曲作りが直線的すぎるのだ。

この作品を、バンドの幅を広げたと見るのか、あるいは力が抜けて散漫になってしまったと受け取るのか。僕は残念ながら後者の印象を払拭することができない。世界中がすごいスピードで回転し続ける現代にあって、CD1枚50分以上を最後まで聴いてもらうためには聴き手の集中力を保ち続けるための高いテンションが必要だが、このアルバムをそのようにして13曲目までドライブして行くのは難しい。ベーシストのデーモンが抜けてバンド内に拮抗する緊張関係がなくなったことがおそらくは裏目に出ているのだと思う。
 

 
A Supercar  
B Supercar  



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