logo 2005年3月の買い物


RIPPLE Gomes The Hitman 8松

とても静かでひそやかなアルバムだ。曲の大半はゆっくりとしたテンポで、どちらかといえば地味な印象だし、唯一アップ・テンポな曲である「サテライト」もそのトーンは限りなく内省的だ。爽やかでキラキラした夏休みの思い出のようなギター・ポップを期待して本作を聴くと肩すかしを食うだろう。ここにあるのはむしろひとつひとつ大事に拾い上げられ、ほこりを払って磨き上げられ、試され、丹念につなぎ合わされた言葉の強さだ。そうやって言葉を紡ぎ出すことに対する山田稔明の妥協のなさがこの作品の本質だ。

日常の中で僕たちが経験するさざ波のような心の動きがどこから立ち上がってくるのかということを山田は息を詰めるような緻密さで確かめようとする。そしてそれをできる限り正確に言葉に写し取ろうとする。そのような感情と言葉の写像に不可避的に内包されている限界、歪みを痛いほど知りながら、山田はそれをすら正直に、生真面目に跡づけようとするのだ。その試みの結晶がこのアルバムであり、雰囲気だけのぞんざいな言葉遣いでありふれた愛や夢を描くソングライターたちに、言葉の持つ本来の力を見せつける。

もちろん、音楽にもそれと同様の注意は払われている。驚くほどくっきりと届いてくる輪郭の確かなメロディ、そしてここしかあり得ないという場所にぴたりと収まっているひとつひとつの音色。これは放縦な才能よりはむしろ言葉や音楽に対する深い愛情と少しでも心象風景のありのままに近づこうとする真摯な態度が生み出した端整なアルバムであり、あてのない魔法ではなく自分の頼りない力のありったけで極点を超えて行こうとする試みだと言っていい。曖昧な記号性の背後に顔を隠したジャケットだけが残念だ。
 

 
LANGUAGE. SEX. VIOLENCE. OTHER? Stereophonics 8梅

前作のレンジの広さに比べると意外なほどシンプルでストレートなロックンロールに回帰した新作である。アレンジに凝ったりすることもなく、ただごく基本的なスリーピースのロックンロールの中にありったけの衝動を詰めこんだようなアルバムだ。人は一般に成長するにつれて経験を重ね、幅を広げて深みを増すものだとすれば、この先祖帰り的ロックンロール回帰は何か意図的なものでなければならないはずだし、それがこのアルバムを考えるときのカギでもあると思うのだが、それはいったい何なのだろう。

おそらくそれは自信なのだと思う。それはロックンロールでしか自らを表現できないという思いこみではもちろんなく、また、オレたちはやっぱりロックンロールなんだという確信のようなものでもなく、むしろ、今、敢えてスリーピースのロックンロールだけでここにある衝動をどれだけ間違いなく伝えきれるかやってみたいという意志なのではないかと思うのだ。そして彼らを今そのような試行に駆り立てたのは、よりどころとなるひとつのビジョンを前作で獲得したという自信に他ならないのではないだろうか。

そしてその試行は疑いもなくとても高いレベルで結実したと言っていい。前作で鳴らされていた見晴らしのいいレンジの広さ、音圧の確かさはこのスリーピースのロックンロール・アルバムでも十分に響き渡っている。もはや彼らはどんなスタイルで演奏しても、それを即ちステレオフォニックスだと認知させるに足りる個性を獲得しているのだ。重要なのはその個性が独りよがりの奇矯さの中にではなく(そんなバンドは掃いて捨てるほどいるが)、むしろ普遍的なメロディの中にこそ宿っているということだろう。
 

 
GUERO Beck 7松

僕は「ルーザー」も「オディレイ」も経由せずに前々作からベックさんを聴き始めた不届き者なので、「ミッドナイト・ヴァルチャーズ」や「シー・チェンジ」のベック史的位置づけというものが今ひとつよく分からなかったのだが、どうも今作について言われていることから察するに、あれらは実にベック的ならざる作品だったようなのだ。そして本作はベック的には王道に立ち戻った作品なのだそうだ。てことはオレは今までベックの何を聴いてきたことになるんだ、いったい。まあいい、今作を聴けってことか。

躁的にハイテンションだった「ミッドナイト」、地味なフォークだった「シー」に比べれば、本作は明らかにフリースタイルであり、確かに僕がもともと持っていたベックさんのイメージに近い。雑食性のバックトラックにどこか頼りない「肉声」が乗っかってドライブして行く感じ。そうそう、初めからこれを聴かせてくれたら話は早かったんだよと言いたくなるが、今作でのベックさんはそれだけ解放されている。開かれていると言ってもいい。先駆者としての重い十字架を相対化する準備ができたと思わせる。

何度も書いてきたことだが、ベックさんの音楽はあまりに正しすぎる。ベックさんには何をやっても自動的に正しく機能してしまう天性の運動神経のよさのようなものがあって、試行錯誤をすら音楽的に極めて正当な「作品」に結晶させてしまうのだ。それはおそらくベックさん自身に高い批評能力が備わっていることによるのではないかと思うが、この作品で重要なのは「正しさ」それ自体でなく、その「正しさ」を抑圧的に閉塞させずあくまでも開かれた愛しさみたいなものへと昇華させる力の存在なのだろう。
 

 



Copyright Reserved
2005 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com