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KARLY 野本かりあ 7松

一番先に結論を言ってしまえばこれはまったくピチカート・ファイヴである。ボーカリストが野宮真貴から野本かりあに代わっただけだ。しかしここで小西康陽の対象に向かう目はさらに純化され、高度に組織され、そして完全にやりすぎになるまでエスカレートしている。小西の特定の少女像に対する偏愛が遺憾なく発揮され、異常に歯切れのいいサウンド・プロダクションの向こうで野本が、まるで機械のように歌う。これは危険なアルバムだ。心臓に持病のある人は聴かない方がいいくらい致死的なアルバムだ。

どこにもいない架空の少女。どんなに伸ばしても永遠に手の届かない女の子。それが小西の捏造する「カアリイ」だ。カアリイは野本かりあですらない。カアリイはどこにもいない。なぜならカアリイは存在ではなくて状態だからだ。一瞬の後には泡のように消え去ってしまうカアリイという夢を小西は見ていて、僕たちはその夢を、残酷なその夢の話をただ指をくわえながら聞かされているだけなのだ。僕たちは他人の夢に出てくる架空の少女に陶酔し、欲情する。僕たちとカアリイの関係性はとても倒錯している。

池田昌子のナレーションがくどいほど出てきて、カアリイなんてどこにもいないのだということを繰り返し僕たちに通告する。あんたたちの欲望なんてどうせどこにも行き着いたりはしないのだと切り捨てる。そしてただひたすら、淡々と歌い続ける野本。小西にとって重要なのはカアリイであって野本かりあではない。「私が死んでも 泣いたりしないで 何も言わないで 私を忘れて」。そう、美しい娘がある朝突然死ぬより年をとる方が悲しいと言い切れる人のためのアルバム。写真集はいいから通常盤で出して。
 

 
BEAUTIFUL DAYS Scoobie Do 7松

僕は基本的にイジイジ、チマチマした人間であり、引っ込み思案で優柔不断で人見知りする情けない性格である。世の中というのはそういう種類の人間には親切にできておらず、だいたいにおいて言ってることはメチャクチャでも声の大きいヤツ、勢いのあるヤツ、口のうまいヤツなどの方が上手に渡って行けるもののようだ。だから、僕が生まれてから今日までの40年弱というのは、そういう性格を前提とした上でいかにこの世の中に対して意地を張り、そうした声の大きい勢力の隙間に自分の場所を確保するかという闘いだった。

僕はウルフルズの「それが答えだ!」という歌が好きだ。そこでトータスは「うんと飯を食え ガハハと笑い飛ばせ」と歌う。僕は自分が小食であり、すぐにイジイジと考えこむ性質であるがゆえに、この単純な真実のあまりの明白さに目がくらむほど憧れてしまうのだ。「もっとドジをふめ 自分を好きになれ」。この言葉の強さ、説得力は、トータス自身が心からそうありたいと願いながら、常にそこに一抹の躊躇とか反省とか、振り返りをしてしまう自分の存在をどこかに意識していることから来るものだと僕は思っている。

スクービー・ドゥの話をしよう。「無敵のバカ」という曲で彼らは「思い込み ノリ はずみ 全部ありゃどれか当たるだろ」と歌う。しかし「無敵のバカになれ」と歌うこの曲の本質はむしろバカに憧れながらバカになりきれない自分への「カツ入れ」であり闘う意志の鼓舞である。どこまで行ってもバカになりきれずに残ってしまうつまらない自意識の在処を見据えながら、それでもバカどもに混じって闘うだけの力を得たいという強い決意である。このアルバムの美しさはそんな乱暴さにこそ裏づけられているのだと僕は思う。
 



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