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MELTDOWN Ash 7松

ひとことで言って素晴らしいアルバムである。前作での自ら何かを吹っ切ったポジティビティやそれに起因する明快さ、真っ直ぐさはそのままに、メタリックとも言えるほどハードでソリッドなギター・サウンドをぶつけてきたんだからそれはそうだろう。重要なのはここまで痛快に、直線的に分厚いギターのリフをぶつけながら、それが決して頭の悪い「ハードロック」にならず、端正なメロディやはっきりした曲の構成によってポップなブリティッシュ・ロックの文脈にきちんと位置づけられているところだ。

それはつまり、アメリカ・ツアーとそれに続くハリウッド・レコーディングの中で、彼らがアメリカ的な音の文脈を血肉化しつつ、そのコアにあるべき自らの表現衝動を見失わなかったということだ。彼らはアメリカの強さを手に入れながら、それによってアメリカン・ロックに取り込まれるのではなく、逆にその強靱さをバネに生まれ持った資質をより高い次元で開花させることに成功した訳であり、要はアメリカに勝ったということなのだ。このプロセスをきちんと消化できたバンドはそんなに多くはない。

もちろん、このアルバムに対して、明快すぎる、影がなさ過ぎると批判することは可能だろう。ここまで全曲シングル・カットみたいなポジティブ・ロックが、果たして僕たちの切実な痛みとフックするのかという疑問もあり得るだろう。しかし、僕たちがこの退屈な日常の中でなにがしかの力、なにがしかの光を求めるのだとするなら、アッシュが住み慣れた穴から這い出して敢えて鳴らしたこの「ガツン」という衝撃音は、確実に僕たちを鼓舞する何かを持っているはずだ。あとはジャケットが何とかなればな。
 

 
I BELIEVE Tim Burgess 7松

ロックファンならリリースという英単語は知っているだろう。ニューアルバム何月何日リリース、というときのリリースだ。だが、もちろんリリースは単に「発売する」という意味の単語ではない。これまで秘密に進めてきたプロジェクトを公開するのもリリースなら人質を解放するのもリリース、一度釣り上げた魚を放流するのもリリースで、要は何かを束縛のない自由な状態に置くことがリリースという言葉の持つ本来的な意味だ。そういえば「I Shall Be Released」と歌ったのはボブ・ディランだった。

この、ティム・バージェスのアルバムを聴いて感じるのは何よりこのリリースという感覚だ。イギリス人であり、これまでシャーラタンズというバンドのフロントマンとしてキャリアを重ねてきた彼が、いったんバンドを離れて、発表の具体的なメドもないまま作り上げた初のソロ・アルバムがこれなのだが、ここには本当に自分の好きなことを好きなようにやったらこんなんできましたというすごく風通しのいい「解放」がある。何の留保も何の遠慮もない、本当に真っ直ぐな「音楽の悦び」が伝わってくる。

音楽的にはアメリカン・ルーツであり、いきなり「オレは精霊を信じる」と来る1曲目からして笑ってしまうくらいベタベタの南部節だが、このアルバムのすごいところはそうしたフォーマットが驚くほど自然にティム・バージェス自身の存在感と重なりあっていることであり、誤解を恐れずにいえば小沢健二の「LIFE」みたいに、細かい議論を超えた多幸感がアルバム全体にむせ返るほど濃密に満ち満ちていることだろう。ハイプと思われたシャーラタンズがしぶとく生き残っている理由を示す快作である。
 

 
THROWING MUSES Throwing Muses 7竹

スローイング・ミュージズはクリスティン・ハーシュがタニヤ・ドネリーと始めたバンドである。僕が卒業旅行と称して友達とロンドンへ遊びに行っていた1989年初頭、地下鉄の壁に彼女らのサード・アルバム「ハンクパパ」のポスターがベタベタと貼られていたのを思い出す。クセのある音楽をリリースすることで定評のある4ADは、当時の僕にはまだ「怖い」レーベルだったが、ミュージズは4ADが初めてリリースしたアメリカのバンドだったのだそうだ。たぶん僕が買った初めての4ADのアルバムでもあったはずだ。

その後、タニヤ・ドネリーはミュージズを抜け、ブリーダーズを経てベリーを結成した。ミュージズは1996年のアルバム「リンボ」を最後に活動を休止していたが、このアルバムで久しぶりの復活を遂げた訳だ。昔はもっと歪んでて、もっと怖い感じがしていたのだが、こうして新譜を聴いてみると以外にもシンプルかつストレートな、正道のアメリカン・オルタナティブ・ロックであり、ピクシーズらとともにニルヴァーナ辺りへつながって行くオーガナイザーとしての役割を果たした往年を思い起こさせる。

考えてみればこの人も精神に病を抱えていた80年代から20年にわたってそういうコアな音楽をやり続けてきた訳だが、そういうおばさんがここへ来てこういうラウドでストレートなロック・アルバムを作るというのは何かちょっと凄みというか、ドスの利いたものを感じる。おそらく彼女にとってロックとは、何歳になっても自分自身の生活というか生そのものと切り離せないものなんだろう。結婚しようが子供が産まれようが、自分の歪んだ精神の鏡としてロックを求め続けるおばさん。自分の母にはしたくないが。
 

 
CAREFUL WHAT YOU WISH FOR Texas 6竹

恥ずかしながらこれまでほとんど認識していなかったバンドの、たぶん8枚目のアルバム。本国では国民的な人気という話もあるらしいが本当だろうか。今回はグラスゴー出身のギターポップ・バンドとかトレバー・ホーンのプロデュースという煽り文句につられて買ってしまった訳なのだが、これはどうか。トレバー・ホーンのプロデュースは1曲だけなのだがそれはまあそれとして、イアン・ブロディもプロデュースしてたりするし、路線的にはむしろ僕のストライク・ゾーンにバシッと入ってくる系統のはずなのだが。

悪くはない。サウンド・プロダクションはガッチリできていてポップに決まりまくっており、これでもかというくらいグイグイとフックをかましてくる。ソングライティングも巧みで起伏がはっきりしており、全体として異様に達者なポップ・ロックという感じに仕上がっている。ギターだってちゃんと鳴っている。文句ない。文句はないのだが、どうも「よっしゃあ、これや」というキメとかダメ押しがないというか、サッカー的に言えばいい試合運びをするのだが決定力に欠ける、とか、そういう感じがするのである。

考えてみたのだがこれはシャーリーンのボーカルによるものなのではないかと思う。そもそも僕が持っている洋楽CDの9割以上はボーカルが男性である。特に差別するつもりはないんだけど、オンナ声のロックはどうも僕には切実に響かないのだ。それはもしかしたら僕にオンナ声のリアリティを理解するだけの経験が足りないからなのかもしれないけど、このシャーリーンのボーカルも上手すぎ、キレイ過ぎで、僕がロックに思い入れるものとはすれ違ってる感が否めない。やっぱりオンナは難しいということで…。
 

 
THE BAND OF 20TH CENTURY Pizzicato Five ---
IN MOTION 2003 − 増幅 佐野元春 ---



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