logo 2003年11月の買い物


ROOM ON FIRE The Strokes 8竹

こいつらを皮切りに、とにかく力のあるロックンロールを四の五の言わずにガツンとかます型の新世代バンドがゾロゾロでてきたのはご存知の通り。そうしたバンドの中にはハイプもあるけれど悪くないのも結構あって、それは結局ロックンロールというものが何十年かに一度そういう「生まれ変わり」を経験しながら流通し続けるしたたかな音楽だということの例証だと僕は思うのだが、そうした00年代初頭の「生まれ変わり」は間違いなくこいつらがオリジネイトしたものだろう。そのストロークスのセカンド・アルバムだ。

凄く音楽的になった。曲もアレンジも数段成長している。構成力も展開力もアップ、恐ろしくポップなロックンロールである。しかし重要なのはここにおける彼らの音楽的成長よりも、これだけまともできちんとしたポップ・ソングをやりながらそれがロックンロール本来のガツンとしたインパクトをまったく失っていないことの方だ。だから最初に聴いたときはまったくデビュー作と同じ痛快さだけが耳に残って、これだけの音楽的な深みがあることに気がつかなかった。巧みさよりも力が前に出るこの方向は疑いなく正しい。

ロックンロールのまま成長すること、それは難しいテーマだ。それを字義通りに達成したロック・アーティストはいまだに現れていない。死んでしまったヤツを除いては。多くのアーティストはその初速をスローダウンさせるのと引き換えに成熟や老獪さを手に入れて行く。ストロークスはロックンロールの初速を落とさないまま音楽的に成長して行くという困難な実験に挑んでいるし、それはこのセカンド・アルバムでひとまず華々しい成功を収めたと思う。正直言ってここまでやるとは思わなかった。脱帽して次作を待とう。
 

 
3 ECKEN 1 ELFER Space Kelly 7松

ドイツ語のロックを毛嫌いしていた。日本語以上にロックには合わないような気がして、なんだかドタバタした珍妙なバッタもんだと思っていた。中途半端に聞き取れて意味が分かってしまうのもよくないのかもしれない。あとそれからドイツのロックって結局メタルかテクノか、どうもガシガシに構築的なものばっかりでそもそも音楽的に好きになれないというのも当然あった。そういう訳で僕は通算8年のドイツ生活の間にドイツ語のCDは1枚しか買わなかった。そう、ボルッシア・メンヘングラードバッハの応援歌だけだ。

ところが日本に帰ってきてからどうしても気になるドイツ語の歌があった。それはNHKテレビドイツ語会話のエンディング・テーマになっている曲。それが番組でも紹介されたスペース・ケリーの曲だと知って買ったのがこのアルバムだ。スペース・ケリーことケンはドイツ人の父親と日本人の母親を持つベルリン在住のペイル・ファウンテンズ・フリーク。だけどそんなことは聴き始めるとすぐにどうでもよくなる。何語で歌われてるか、それすらも大した問題じゃなくなる。ここにあるのは、「ただの」ギター・ポップだ。

おそらくイギリスのメインストリームでここまであからさまなネオアコへのオマージュはできないかもしれない。パールフィッシャーズのデビッド・スコットがプロデュース、ティーンエイジ・ファンクラブのノーマン・ブレイクも参加の純粋培養ギタポ、ネオアコ。歌詞は全編ドイツ語だけどその語感の堅さや突っかかり方もキュート。特に僕が聴き染めたM3はツボをつきまくる名曲だ。全世界的にブレイクするとかそういうこととはまったく無縁だが、こういう音楽を見つけたくて僕はロックを聴いているんだと思った。
 

 
THE AMERICAN ADVENTURE The Electric Soft Parade 7梅

イギリスのパンク、ニューウェーブ、ギターロックを聴き続けてきたものにとってはとてもなじみやすい音楽だ。ギターが正面で鳴り、ビートはパシパシと小気味よく、ボーカルは心細げに歌い、メロディは湿気を含んでいる。こういう音楽を僕は好んで聴いてきたし、それは今でも同じだ。アメリカ製の、もうチマチマやってる余裕はないという切羽詰まったハードさも頭では理解できるが、僕はどうしてもこの種の、果てしなく内的に沈潜して行く女々しさの方に引かれるしその切羽詰まり方を愛してきたのだ。

そういう意味ではこのアルバムは古き良きブリティッシュ・ギターロック、もうちょっと言ってしまえば往年のブリットポップの系譜を確実に引き継ぐ佳作だ。単にフォーマットとしてではなく、灰色に沈んだイギリスの空を思い起こさせる陰鬱な響きそのものとしての「英系」ロックをよく後世に伝えていると思う。だが、決定的に厳しいのはそれが生真面目すぎることだ。大学の授業で「ブリットポップ概論」とでもいった講義を聞いているような窮屈さ、面白みのなさを僕はこのアルバムに感じてしまうのだ。

真面目なのは悪いことではない。というかロックに向かい合う姿勢自体はどんなアーティストであれ基本的に真面目なものだと思う。しかしそのアプローチは、もっと自由なものであっていいと思う。華がない、遊びがないと言ってしまうとさすがに酷なような気もするし、華を求めすぎれば結局産業ロックになるのかもしれないが、英系ロックの基本的なフォーマットを踏襲しながらも、それを2003年という時代相に位置づけて行く最低限の「アップデート」作業の痕跡がここには希薄だ。その点だけが惜しい作品。
 

 
MUSIC IN A FOREIGN LANGUAGE Lloyd Cole 7松

自らにまとわりついたものをひとつひとつ捨て、そこに何が残るか見てみよう。それは実際には難しく、つらい作業だ。余計なものを順番にはぎ取り、捨て去ったとき、僕にはいったい何が残るだろうか。あるいは何も残らないのだろうか。明快なリズムを捨て、エレキギターの響きを捨て、前のめりに突っかかるボーカルを捨て、最後に残ったものだけを慈しむように歌うこのアルバムでのロイド・コールはしかし、そのような困難な試みをたった一人で敢行して見せた。そして彼には確かに「歌」が残った。

このアルバムのタイトルは「知らない言葉で歌われる音楽」。洋楽を聴いている僕たちには当たり前のことなんだが、考えてみればアメリカ人やイギリス人にとって、自分たちの分からない言葉で歌われる音楽というのはとてもエキゾチックに聞こえるようだ。「外国語で歌われる音楽 僕たちの知らない言葉 メロディだけが僕たちを満たして行く もし君が望んでも 一緒に歌うことはできない」。この曲は確かに英語で歌われているが、ロイド・コールは相互理解の自動性をすら捨てようとしているのだ。

だとすればそこに残るのは、もはや言葉ですらない「歌」そのもの、「歌」のイデアのようなものなのだろうか。コモーションズと別れてアメリカに渡り、パッとしない初期のソロ活動を経て、ロイド・コールはようやく自分のための音楽を見つけたような気がする。ただの歌、なんでもない歌、何語で歌われているかも分からないような歌でいい、それをリズムやビートの力を借りなくてもリスナーに届けることができるという強い自信のようなものがここにはある。成熟とはこういうことを言うのかもしれない。
 

 
SPACE KELLY Space Kelly  
LET IT BE... NAKED The Beatles  
VOLUME ONE The Honeydrippers  
THE BEST OF R.E.M. R.E.M.  
DIRTY HITS Primal Scream  



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