logo 2003年9月の買い物


...HERE'S TOM WITH THE WEATHER Shack 9梅

長いブランクからの復活作だった前作から4年のインターバルで発表された新譜。とはいえインディー・レーベルからのリリースらしく国内盤もまだ出ていない様子で当然パブリシティもなく、僕もCD屋に行くたびにシャックのコーナーをのぞくクセがついていなかったら危うく見逃すところだった。聴き始めるといきなりアコースティック・ギターのスリーフィンガー・ピッキングで流れ出すせつないメロディ。これは地味かもなと思いながら聴き進んで行くことになる訳だが、結論からいえばやはりこれはいい。

ジャカジャーンというカタルシスこそ希薄だが、最初から最後まで連綿と続いて行くこの純度の高いメロディはどうだ。完璧なタイミングで緩急を繰り返しながらドライブして行くアレンジの抜群のセンスはどうだ。ギターの響きをあくまで主役にしながらも様々な楽器を巧みに絡ませて行くオーケストレーションの華麗さはどうだ。微妙な揺らぎを含んだマイケル・ヘッドの宿命的な声の喚起力はどうだ。ペイル・ファウンテンズから今に至るまで、そうした資質はまったく色あせることなく彼の中にあったのだ。

このアルバムを聴けば、マイケル・ヘッドの作り出す音楽の核心は結局その美しいメロディにあったということがよく分かるだろう。リズムを前面に押し立てた曲の少ないこのアルバムを聴いていていも、いや、むしろだからこそ、そこにはマイケル・ヘッドの作る歌の持つ体温やテンションがより鮮やかに立ち現れているのである。中盤にややビートの入った曲も出てくるが、それを待つまでもなく、このアルバムが持つ微妙な起伏に引きこまれることだろう。忙しい日にも手を止めて耳を傾ける価値がある作品。
 

 
NORTH Elvis Costello 6松

「She」だの「Smile」だのでコステロを知った皆さんにはまさにどんぴしゃの甘いラブソング集。おじさんの異様に上手い歌とセクシーな息づかい、ベタベタのバラードで高めの彼女も間違いなく落ちる、とかそういう使い道しか思いつかない大人の一枚である。いや、コステロのアルバムなんだからクォリティが高いのは当たり前のことで、ここに収められたバラードのひとつひとつだってもちろん練り上げられたソングライティングで驚くほど高い水準にあることは確か。少なくとも駄作でないことは断言できる。

だけどこのアルバムが好きかと訊かれたら僕は困る。好きなアーティストの意欲作だし客観的な完成度は間違いなく高い。世間的にも受け入れられるだろうしもしかしたら売れるかもしれない。だいたいコステロの新譜を日本のメーカーがこんなに力入れて売ろうとすること自体実はすごいことなのだ。「キング・オブ・アメリカ」や「ブラッド&チョコレート」の頃のほったらかし状態を思えばコステロ・ファンには夢のような時代の到来だ。だけど僕はこのアルバムがしんどい。入れこめない。聴いていられない。

満員の山手線で会社に向かう途中、iPodから「生きることは美しい、ずっとそう思っていた」なんてあの声で耳元に甘くささやかれても僕はどうすればいいというのだ。僕のクソじみた毎日の生活のどこにこのアルバムがフックするのかといえば、正直言ってどこにもフックしないと僕は思う。甘いバラードで慰撫されるほど僕の抱えた苛立ちは単純なものではない。まあいいや、これまでもコステロの気まぐれには振り回されながらもつきあってきたのだ。今回のアルバムも苦笑いしながら聴くしかないんだろうな。
 

 
SKY MEADOWS The Pearlfishers 7竹

あまり知る人もないと思うが僕がひそかに入れこんでいるスコットランドのネオアコ系バンド、というかデビッド・スコットのワンマン・プロジェクトである。何年か前にドイツ版「Rolling Stone」誌の付録のサンプルCDで聴いて以来、マメにアルバムを買い続けている。レーベルはドイツのマリナ・レーベル。未発表だったシャックのセカンド・アルバムを発掘したり、ジョセフKのシングル・コンピレーションを発表したりしている、ネオアコファンには一部で評価の高いインディペンデント・レーベルである。

このアルバムは彼らの4枚目にあたるが、これまではどちらかといえば牧歌的でのんびりした、永遠の夏休み的なネオアコ風味が特徴で、良くも悪くもアマチュア臭いイノセンスが顕著だったように思う。だけどこのアルバムを聴いて驚いた。あくまでネオアコっぽいサウンド・プロダクションはそのままだが、この決然としたボーカルの強さはこれまでになかったものだ。ピアノのストロークの歯切れよさ、この解放感は素晴らしい。これまでのチマチマした箱庭ネオアコから一歩を踏み出したことが一聴して分かる。

中盤から後半にかけてややダレる部分もあるが、曲作りやストリングスの使い方、音楽的な幅そのものがグッと広がった感じがするし、何より、頼りない足下を気にしながらも感傷的にならずに力いっぱい世界に向かって話しかけているような外向きのベクトルが心に響く。これ1枚でガーンと大売れする訳でもないだろうしそんなふうになって欲しい訳でももちろんないが、結局「Even On A Sunday Afternoon」だけのバンドかと内心思っていたら、予想外の出来のよさで嬉しかった。見かけたら是非聴いてみて欲しい。
 

 
MY FAVOURITE PART OF YOU Louis Philippe 7竹

チェリー・レッドとかキング・オブ・ルクセンブルグとかいう名前に聞き覚えのある人なら当然知っているルイ・フィリップの新譜だ。とにかくまったく変わらないので笑ってしまう。なんでもこれが13枚目のアルバムだそうで、僕の知らない間にもほぼ1年に1枚のペースでアルバムをリリースし続けていたらしい。とにかくロックでなければ何でもいい的な音源への偏愛と甘いヴォーカルでベタベタに作りこんであるソフト・ポップ・ミュージックの権化であり、これでもかと甘〜いケーキをぐいぐい喉に詰めこまれている感じ。

ビーチボーイズというかブライアン・ウィルソンあたりにルーツがある訳だが、バカラックやジャズ、シャンソンなどからも広く影響を受け、テンションの入りまくった複雑かつ流麗なコード進行やハーモニーを得意とする、典型的なポップス。その辺は国内盤に付いているサエキけんぞうの解説を読めば詳しいのだが、聴くべきところは実はそんなところではない気がする。これがただの甘口ポップスなら何もレビューなんかする必要もない訳で。僕が久しぶりに彼のアルバムを手に取ってみたのもその過剰な作りこみ故なのだ。

生粋のフランス人でありながら、英米のポップス、なかんずくアメリカン・ポップスの最良の部分に憧れるその屈折と、それをこれだけのアルバムにまで昇華させる音楽的素養はただごとではない。シンプリー・レッドの時にも書いたが、外部から憧れるからこそより自覚的にその音楽の本質と向かい合うことになるのだし、その愛情がパラノイアックなまでに作りこまれるのもまた無理のないことと言えるだろう。ポップスとは本来、過不足のないものだが、これはいかにも「過剰なポップス」。その過剰感をこそ聴くべき作品。
 

 
SILENCE IS EASY Starsailor 7松

僕はだいたいロックという言葉にいろんな意味を込めて語りすぎると自分でも思う。例えばここに気に入ったアルバムがあるとする。そのアルバムの一番の売りはAという点だとする。僕はこう書く。「ロックとはスタイルのことではなくAであるということだ。このアルバムはAである。だからこのアルバムはロックだ」と。インチキ三段論法である。初めっから結論は決まっていて、その結論を導くために「ロック」という説得概念を勝手に定義しちゃう訳だ。このやり方は実に便利で結構使っていると思う。

最もよくやるのは、ロックとは過剰と欠損の音楽だ、ってヤツ。あと ロックとは僕たちの日常と地続きの音楽だ、とか。ところがたまにそういういい加減な説得概念的定義を介することなく「これはロックだ」というしかないアルバムがある。言葉の最も当たり前の意味で「ロックっぽい」アルバムだ。このスターセイラーのセカンドはまさにそんな感じのアルバム。ギターとベースとドラム、ボーカルで正面からぶつかって行く、ファーストの時もそうだったけど、すごく骨太な印象を受けるバンドなのだ。

今回はそれ以外の楽器も結構大々的にフィーチャーされてたりするが王道ロックに正面から取り組んでる中央突破のイメージは変わらない。どの曲も運命的、劇的なモメントをはらんでいて、おそらくそれは彼らにとってこのサウンド・プロダクションが決して後付けの「アレンジ」ではなく、初めっからこういう音の固まりが頭の中で鳴ってるんだろうなと思わせる。仮にロックが運命的、劇的なものでしかあり得ないとすれば、このアルバムはまさにロックというべき作品だ。きちんと理由のある大仰さ。
 

 
KICK UP THE FIRE AND LET THE FLAMES BREAK LOOSE
  The Cooper Temple Clause
7梅

今でこそ僕も会社員として15年近いキャリアを積み、顧客とも笑って話ができる程度には人慣れしたが、もともと僕は激しく人見知りのする内気な性格であり、知らない人がたくさんいるところに切りこんで行くのは極めて苦手なたちであり、更に言えば近所の人と顔を合わせても上手く挨拶できなかったりする類の人間である。自分のことは極力放っておいて欲しいから他人のことも構わない。サイトではコミュニケーション云々とエラそうなことを書いているが、実際にはコミュニケーション不全のオタクとは僕のことだ。

そんなことを考えてしまったのも、このアルバムがとても「人見知りのする」作品だからだ。無愛想な音楽、とでも言えばいいのか、特別難解なことをやっている訳でもなくて、フォーマットとしてはかなり当たり前のブリティッシュ・ギターロックなんだけど、そこにはあらかじめコミュニケーションに絶望したような素っ気なさ、突き放したような「とりつく島のなさ」があって、容易に「親しく」ならせてくれない。そしてそれはおそらく意図的に、意地悪でやっているのではなく、それがこいつらの資質なんだと思う。

考えてみれば僕はこれまでそういうロックを好んで聴いてきた。エコバニしかり、マイティ・レモン・ドロップスしかり、ライドしかり、そう、足許を見つめて黙々とギターを弾くような内気で硬直した潔癖な音楽。不親切で無愛想でこなれてないけど、どこかにヒリヒリするような皮膜の薄さみたいなものをたたえたロック。このバンドにそこまでの切れ味があるのかどうか、これまで2枚のアルバムだけではまだ何ともいえないと言うのが正直なところだが、そういう意味で何だかとても懐かしい感触のアルバムだった。
 

 
LIVE IN CONCERT The Jesus And Mary Chain  



Copyright Reserved
2003 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com