logo 2003年8月の買い物


OMNI Gomes The Hitman 8松

たった一人で今ここに立っている心細さや頼りなさを僕たちは知っている。たとえだれか大事な人がそばにいてもどうしようもなく一人の瞬間はある。人は一人で生まれ一人で死ぬのだからその本質は孤独なのだが、その孤独を見つめながら、それでもだれかと寄り添うことを求めずにはいられないから人は泣いたり笑ったりするのだ。そのような日々の泡のひとつひとつを刻みながら夜が明けて行くのを待つとき、僕たちが毎日をやりくりして行く原動力は、空っぽの夢や希望じゃなく、そんな些細なことなのだと気づく。

これは美しいポップスだ。言葉とメロディが一つのムダもなく響き合っている。すべての音符があるべき場所に収まっている。一人であることから目をそらしたり、一緒にいることで許し合おうとする弱さへの依存が潔く捨て去られ、視線を上げてだれもいない空を見るカラ元気の物語が歌われる。頼りなげに、心細げに震えながら遠くまで届いて行く声。簡単に優しさや温もりを求めそうになる日々の中で、意地を張りながら自分の足で立とうとし続けているからこそ、このポップスは情緒に流れることなく遠くまで響く。

イメージの一部に紋切り型の部分もあって少し気になるが、全体に言葉がとても慎重に選び取られていて、高い文学性とは即ち言葉の自律性のことなのだということを再認識させる。ヘンな文語体もどきや人間関係のドロドロを描写するのが文学だと思っている人は歌詞カードを片手にこのアルバムを聴いて欲しいと思う。そこに切り取られたひとつひとつの言葉そのものが持つ重さや強さこそが表現の本質だろう。何の根拠もなく永遠を信じたくなる弱さの代わりに、今を一つずつ繋いで行く憧れの強さを僕はここに見る。
 

 
MAGIC AND MEDICINE The Coral 8竹

まさにごった煮状態で、その雑食性というか悪食自体が芸になっていたファースト・アルバムに比べると、格段に整理され音楽的になったセカンド・アルバム。で、それがごった煮のプリミティブな生命力を損なっているかというと全然そんなことはなくて、むしろ整理された分だけその核がラジカルに表出しているというか、彼らのバックグラウンドの豊かさ、想像力の確かさがストレートに定着されていて、しかもそれがロックとしてのスピード感を伴っている、ということはこれは紛れもないパンクなんじゃないのか。

そう思って聴けば聴くほど、この音楽はとても正統に聞こえてくる。最近の文字通りロックンロール一発系の他のバンドに比べると、音楽的なレンジは段違いに広く、そういう字義通りのロックンロールよりはフォーク、ブルース、トラッドみたいな音楽にルーツを求めたくなる曲の方が多いのだが、そこでたたきつけられている情動や「今ここで」という猶予のない感情の質は彼らと変わらないほど、いや、むしろ彼らより本質的な意味でロック的だし、それもクラシックなロックの血を引く正統派のロックに聞こえるのだ。

だから彼らをレイドバックしたルーツ趣味のユニークなバンドとか若いのに余裕のある大物だなんて誤解してはいけない。ここにいるのは何でもかんでも聴いてみずにはいられない、取り敢えず口に放り込んで消化してみないことには信じられない、すごくまともで当たり前な若いロックバンドに過ぎないのだ。そうやっていろんなエッセンスを貪欲に取り込んでいるからこそ、そこから出てきた音楽はバラエティに富んではいてもアルバム全体として非常に正統なイメージを残すのだと思う。非常に納得できるセカンドだ。
 

 
THE HOUR OF TWO LIGHTS Terry Hall & Mushtaq 7竹

テリー・ホールは79年にザ・スペシャルズの一員としてデビューした。81年にはファン・ボーイ・スリーというバンドを結成して2枚のアルバムを残し、84年にはカラーフィールドという新しいバンドを結成して名作「バージンズ&フィリスタインズ」を含む2枚のアルバムを発表、89年にはテリー、ブレア&アヌーシュカという男女混成バンドを作り、92年にユーリズミックスのデイブ・スチュワートとヴェガスというプロジェクトを結成、94年にはイアン・ブローディのプロデュースでソロ・アルバムを発表、分かった?

要するにテリー・ホールという人は有り余る才能に恵まれながらそれをきちんと発揮することができないままだらだらと試行錯誤を繰り返しているダメ男なのである。そのテリー・ホールが今回は中東に進出、ファン・ダ・メンタルのムスタクと組んだアラブ風味のアルバムがこれだ。なにしろタワー・レコードのアオリには「普通のロックと違うものを聴きたい人に」とか書かれちゃうくらいの異世界ぶりである。レバノンの少女シンガー、アルジェリアの盲目のラッパー、ポーランドのジプシー・バンド、これはキてる。

曲によってテリー・ホールの関わり方には濃淡があるようで、彼の声の聞こえてこない曲はかなりダイレクトに中東方面であり、そういう趣味のない人にはキツい。しかし何曲かは本当に美しいテリー・ホール特製のポップであり、それがエスニックな味つけとも実によくマッチしている。それだけのために買う値打ちのあるアルバムだが、怖いのはそれを聴いているうちにそれ以外のアラブ系の曲が耳についてくることだ。ジョー・ジャクソン以上にカメレオン・クールな男、テリー・ホール。ブラーのデーモンも参加。
 

 
I TRAWL THE MEGAHERTZ Paddy McAloon 7梅

言わずと知れたプリファブ・スプラウトのシンガー兼ソングライター、パディ・マクアルーンの初めてのソロ・アルバムである。と聞けばあの静謐なポップをさらにアコースティックにしたようなプライベートなものを思い浮かべそうになるのだが、実際には1曲を除いてすべてオーケストラのインストであり、むしろ荘厳でうやうやしいイメージを受ける。ふだんロックを聞き慣れた耳には正直言って高級すぎるし退屈。特に女声の朗読をフィーチャーした1曲目は22分もあって長すぎ。ここを乗り越えるのは難しい。

仮に何とかこの最初の関門をクリアしたとしても、その後も流れてくるのは流麗なオーケストレーション。眠気を催さずに集中力を維持するのは至難のワザである。このアルバムが何であるかが分かるためにはM7の「スリーピング・ラフ」まで待たなければならない。この曲も曲調はそれまでの曲と大差ないが、唯一この曲だけがパディ・マクアルーンのボーカル入りなのである。この曲を聴けば、このアルバムがこれまでプリファブ・スプラウトとして発表された作品と地続きであることがようやく理解できるのだ。

特徴のある節回し、ミュートしたトランペットの響き、キーボードの音色、そう思って聴き直せばこのアルバムはいかにもパディ・マクアルーンと思わせる符丁に満ちている。世界で最も美しい一瞬を切り取ったように奇妙に時間の止まった世界。息をするのもはばかられるくらい一音ずつ試され構築されたメロディとアレンジ。そうしたエッセンスは確かにここにもある。しかしいかんせん日々の生活に打ちのめされている僕たちには高級すぎ。よほど好きな人でないとお勧めしにくい。もっと彼の肉声が聴きたい。
 

 
THE LAST GREAT WILDERNESS The Pastels 6竹

「あの」パステルズの新譜である。しかし同名の映画のサントラということで収録曲のほとんどはインスト、淡々と流れるバックグラウンドミュージックの世界だ。そういえばフリッパーズ・ギターは「パステルズ・バッジをアノラックからはずせ」と歌っていたが、確かにあの何ともいえず愛嬌のあるバタバタしたギター・ポップはもうどこにも見当たらない。最も「パステルズらしい」のはジャーヴィス・コッカーをフィーチャーしたM10だが、むしろ唯一ボーカル入りのこの曲だけがアルバムの中で異質だと言っていい。

インスト曲はいずれも非常にプロっぽく作り込まれており、その辺からしてこれまでのパステルズのヘタり具合とはかなり手触りが違う。いや、バンドなんて変わって行くものだから「昔と同じ」でないことを嘆いている訳ではないのだが、このアプローチが果たしてパステルズという名前の下になされなければならなかったものなのかは疑問が残ると思う。少なくともこれがパステルズの新譜でなければ僕は買わなかったし、繰り返し聴くこともなかっただろう。これは果たしてパステルズの新譜として売るべきものなのか。

少なくとも僕にはこれがパステルズの新譜だというだけで「新機軸」とか「音楽的冒険」とか、いいのか悪いのか分からないような書き方をしてお茶を濁すことはしたくない。優れたサウンドトラックはスクリーンで映画音楽としての役割を果たしながらそれ自体としても聴き応えのあるアルバムに仕上がっていなければならないが、これはパステルズ名義ということを除けば、映画のバックトラック集として以上の付加価値が見出しにくい作品だと思う。残念だが商業雑誌の翼賛的なレビューには違和感を覚えざるを得ない。
 

 
SWEET REACTION Nona Reeves  
MONO Gomes The Hitman  



Copyright Reserved
2003 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com