logo 2003年7月の買い物


YOU GOTTA GO THERE TO COME BACK Stereophonics 8竹

何枚かのCDから曲を寄せ集めてMDやCDを作ると、アルバムごとに録音のレベルが違うのに気づく。レベル調節の機能がない普通のオーディオやPCで編集すると、こっちのアルバムから取った曲はすごく迫力のある大きな音で鳴っているのに、別のCDから録音した曲はすごくショボい音しかしない、とかそういう経験はだれだってあるだろう。あるCDだけを1枚通して聴いているとあまり気にならないんだが、並べて聴くとその録音レベルの差、音の大きさの違いにイヤでも気づいてしまうってことはある。

いや、別にこのステレオフォニックスのアルバムは音が大きいとかそういうことを言っているのではない。そういう物理的な問題ではなく、このアルバムは音楽としてのダイナミック・レンジがすごく広くて深いということを言いたくてそんな話から入った訳だ。ステレオフォニックスのアルバムをきちんと聴いたのはこれが初めてなんだが、どうして今まで聴いてなかったんだろうな、ていうかアメリカのバンドだと思ってたよ、ほんの15分前まで。言われてみれば確かにこの泣きの入り方はイギリスなんだけど。

ともかくフィールドを隅から隅までいっぱいに使ってプレーしている感じ。メロディやボーカルの泣きの入り方にオアシスを思わせる部分もあるが、奔放さ、グッと首根っこをつかむ強さという意味では少なくとも一時の元気のないオアシスよりかなり強引。変なたとえだが、納豆とか漬物とかを食べながら白いごはんをがつがつ詰めこむときの快感にちょっと似てると言えば分かるかな。まあ、分かんなくてもいいや、力ずくでぐいぐい押してくるそのメロディにこれだけ泣きが入ってるともはや無敵だろう。
 

 
SO MUCH FOR THE CITY The Thrills 6松

僕はロックが好きだ。もう何度か書いたことだけど、ロックというのは僕たちが抱え込んだ出っぱりや引っこみ、過剰や欠損をキックする音楽だと僕は思っている。激しいギターや荒々しいビートはロックに特徴的なものではあるけれど、それさえあればロックだという訳でも、なければロックでないという訳でもない。ポップスと呼ばれている音楽だって、それが優れたものであればあるほど、僕たちの喜びや悲しみを否応なく際だたせて行く。そういうロック的なモメントを孕んだポップスが僕は好きだ。

だから、雑誌のレビューで「美しい」とか「純粋」とか書かれると、ちょっと躊躇してしまう。単に「美しい」もの、「純粋」なものではなく、そうしたものを求めながらもどこかしら余分なものとか足りないものが必然的に、宿命的に忍びこんでしまう人間存在の不完全さの歌を僕は聴きたいのだ。つるつるの平板な表面だけを撫でて消えて行くような、スーパーマーケットのBGMみたいなイージーリスニングは僕には必要ない。何かのざらつき、引っかかりのようなものがそこになくてはならないのだ。

そういう耳でこのスリルズのデビュー・アルバムを聴くとき、僕は一抹の物足りなさを感じずにはいられない。曲はよくできている。ハーモニーも美しい。しかし、その美しいポップスが僕たちの出っぱりや引っこみにどうコミットするのかということは明らかにされていないような気がする。ビーチ・ボーイズは美しくはあっても決して牧歌的ではなかった。どこまでも青いカリフォルニアの空は、同時に恐ろしいまでの狂気を孕んでいるはずだと僕は思う。美しいものの持つ「滅びの予感」がここには足りない。
 

 
NORTH ATLANTIC DRIFT Ocean Colour Scene 7竹

男にとって究極の価値とは、要はカッコいいかカッコ悪いかということに尽きると思う。顔の造作とか身長なんかの外貌はもとより、仕事ができるかとか頭が切れるかとか運動神経がいいかとか、すべて結局はいかにカッコいいかという総合判断の一部門に過ぎないのだ。男たる者、すべてを「カッコいい」という賞賛のために捧げるのが美学というものだろう。もちろんその中にはやせ我慢も相当入ってる訳だが、というよりそんなものほとんどはやせ我慢なんだけど、スタイルというのは結局そういうことだろう。

オーシャン・カラー・シーンはそんな男の美学、やせ我慢の哲学を、身をもって示すモッズ・バンドのはずだが、実際のところその音楽は結構エモーショナルで泣きが入っている。ポール・ウェラーがスタイル・カウンシルで見せた冷たすぎるくらいクールな切れ味に比べれば、ベタベタだと評してもいいくらい人間くさくカッコ悪い男の「生きざま」みたいなものがあちこちに見え隠れしているのである。むしろクールなビート・ミュージックに殉じきれない暑苦しさこそがこのバンドの存在価値なのかもしれない。

その辺のクールとホットの混ざり具合みたいなものは僕としては嫌いではなくて、このアルバムでも結構絶妙にミックスされているのだが、惜しいのは、「これだ」という決定打がないこと。絶妙のパス回しはするのに最後の押しがなくてゴールの決まらないサッカーチームのようだ。これでは大事な試合に勝てない。クールとホットのバランスを、おそらくはもう少しカッコ悪くなる方向に敢えて崩してみること、そこに生まれる軋轢を強引に統合しようと葛藤するとき、このバンドはもっとカッコよくなるはずだ。
 

 
LUXEMBOURG The Bluetones 7松

最初に聴いたとき、あまりの弾けように驚いてジャケットを見直してしまった。これってホントにあのブルートーンズの新譜なのか。最初から最後まで元気に押しまくる小気味よいビート、これはこれで悪くないような気もするけど、僕がスピーカーから流れてくるのを期待した音はもっとこう、何というか、もうちょっと落ち着いたというか、行儀がよく育ちのよい、それでいてギターはきちんと鳴っているような、そういうニートなものだったはずで。というような戸惑いを感じているリスナーは多いだろうと思う。

思えば鳴り物入りでデビューした頃から比べると、2枚目、3枚目とプロモーションにかけられる予算はどう見てもショボくなる一方だった。今作ではついにメジャーから契約を切られたんじゃないのか、これ。作るアルバムはどれもしっかりとした骨格を備えたUKロックの王道だったのにもかかわらず、キャラクターとして今ひとつブレイクすることができなかったのはなぜだろう。そんな反省がこの突き抜けたビート・ポップの背景にあるのだとしたらどうにもやりきれない話だ。要は背水の陣ってことなのか。

アルバムとしてのクォリティは高いと思う。テンポのいい曲オンリーの割にメロディはどれも明快でボーカルにもきちんと耳に残る引っかかりがある。まったくの新しいバンドのデビュー作なら高いポイントをつけたいところだ。だけどこれをブルートーンズの新譜として聴くとどうしても戸惑いが残る。彼らはここからどっちを向いて飛び立とうとしているのか、おそらくそれが明確に見えてこないからだろう。僕としてはこの「変化」は肯定的に受け止めたい。この「意志」を買いたいが、次が難しいぞ、これは。
 

 
PHANTOM POWER Super Furry Animals 8梅

「骨折より脱臼を狙う関節技」、「ロック拡幅工事」、「柔構造のロックンロール」…。どれもみんな僕がこれまでSFAを形容するのに使ってきた表現だが、我ながらいいこと書いてるよな。これ以上の表現はなかなか思いつけないぞ。本作もそうした柔らかいロック、ロックの境界を少しずつ浸食しながらマッチョなロックンロールを無効にして行くというのか、バス停を毎日10センチずつ動かしてたら36メートル先にあったバス停が1年で家の前まで来ていたとか、何かそういう感じのしたたかなアルバムだ。

もちろん圧倒的な存在感がありSFAにしか出せない味があり、かつ初心者にも十分聴ける一般性がある。しかし今作を聴いて僕は何だかちょっと「引っ込んだ」印象を持ったんだな。何回か聴いているうちになじんでくるのはこれまでと一緒なんだけど、ほらほら、みたいな感じでニヤッとしてしまうアクやクセがかなりマイルドになり、その分堂々たるメロディーやリズムに、つまり正攻法へ回収されている気がするのだ。それがどうもフックに欠けるというか、グイッとはつかんでくれないつれない感じなのだ。

正攻法を批判するのではないし、それこそこのバンドの成長なのだと言うこともできるだろう。実際、彼らがここまでしっかりしたバンドとして残るとは、往年のクリエーション・レーベルを知る者としては意外でしかない。ファースト・アルバムなんて買ってはみたもののさっぱり「意味」が分からなかったんだから。その彼らが2003年にこれだけのアルバムで闘っている「意味」を思うにつけ、逆に彼らがこのまま下世話なロック的世界から超然とした存在になってしまうのではないかと僕は心配になるのだ。
 

 
BABY I'M BORED Evan Dando 7竹

最小限の編成で奏でられる最小限のロック。たぶん予算もなかったんだろうけど、現代ロックから大仰なモメント――それは楽器編成だけでなく音楽の作り方そのものについても――をひとつひとつ丁寧にはぎ取り、不純物をゆっくりゆっくり時間をかけて沈殿させ本当の上澄みだけを注意深くすくい取った、そんな静かなアルバムだ。もっともそうした音楽というのは得てしてもはやロックではないということも多い。沈殿してしまった不純物の方こそロックだったのにというような例を僕たちはいくつも見てきた。

だが、このエヴァン・ダンドゥのアルバムは不思議とそんな感じがしない。というかしっかり僕の中に「ロック的」なざわめきを残して行くのだ。それはやはり彼の中心に持って生まれた不穏さのようなものがあり、余計なものを捨て去れば捨て去るほどそうした性とか業が芯、核となって立ち現れるからだと思う。音楽が透明であればあるほど、ソングライター、アーティストの資質が露わになる。そうして試されながらなおリスナーの耳に何ものかを届かせることのできるアーティストは多くはないはずだと思う。

このアルバムでは音楽がおそろしく透き通っている。確かにレイドバックしているしコンテンポラリーなロックの文脈から見ればかなりデタッチしていると感じる人もいるかもしれない。しかしここに残されたものはどれもこれもロックに必要不可欠なものばかりなんじゃないだろうか。ギターがアコースティックだろうがエレキだろうがどうでもいい。テンポが速かろうが遅かろうが知ったことじゃない。この視界のいい音楽の背後から語りかけてくるものをロックと呼ばずに何をロックと呼べばいいだろう。
 

 
DAY I FORGOT Pete Yorn 7松

いつもいつもアメリカだイギリスだとこだわって申し訳ないし、本当のところ優れたロックにはアメリカもイギリスもドイツもフランスもないと思ってはいるけれど、やっぱり好きになるのはどうしてもイギリス系に偏ってくる。うまく定義するのは難しいんだけど、優れたイギリスのロックにはギターの鳴りや節まわし、泣きの入り方に島国独特の湿っぽさというか内向的な部分があって、それがウジウジした自分の心情と同期しているのかもしれないんだけど、声質にもやっぱり英系、米系ってあるんじゃないかと思う。

ピート・ヨーンはアメリカのシンガー・ソングライターだけど、その声は実に英インディーズ、ニューウェーブ系だ。アコースティックを効かせたシンプルなフォーク・ロックという意味では西海岸系SSWの王道でもあるんだけど、ギターでの空間の塗りつぶし方やキメの部分で一歩スッと引いたようなコード展開はどうも乾燥しきったカリフォルニアのそれとは少し違うような気がするし、何より、すべてを100%信じきってる訳ではないんだとでも言いたげな微妙な揺らぎを含んだ声がイギリス好きな僕のストライクだ。

どっしりとした土着性やある種の豊かさ、母性や父性といった包容力のような絶対的な力を持ったものに対する違和感というものは多かれ少なかれだれにもあるものだと思う。それは結局のところ自分が成長し、成熟して行くことへの恐怖のようなものではないかと思うんだけど、米系ロックに、そうしたモラトリアムをすら力ずくで昇華しなければならないような強圧的なもの(マリリン・マンソンを見れば分かるだろう)を時として感じる僕としては、こういうアメリカ人もいるんだなあと思うだけで何だか救われた気分。
 

 
TOO CLOSE TO SEE FAR Cosmic Rough Riders 7松

最近ポップトーンズってどうしちゃったのか知らないけれど、おそらくは自分たちで立ち上げたのかなと思われるインディーズ・レーベルからの新譜。HMVの処分品ワゴンで買ったシングルが意外とよかったので前作を探し出して2003年6月の買い物で無理矢理レビューしたんだけど、それから間もなく新譜が出てしまった訳で、2年前のアルバムを聴くのと比べれば、自分の「今」との関わりを問う分だけ新譜の方が評価が厳しくなってしまう。今年のロックとしてリアルタイムのココロのスピードに立ち会えるかと。

で、まあ、そういう耳で新譜を聴いてみたんだけど、悪くはない。スコットランド産ギターポップ特有のキラキラ感満載。1曲目の「ジャスティファイ・ザ・レイン」でいきなり持って行かれる。いやあ、もうこの蒸し暑い日曜日の午後、エアコンの効いた部屋で缶ビールでも飲みながらこういうCD聴いて外にも出ないですませたい感じ。晩メシはピザでも頼めばいいだろ。そういう意味での完成度はメチャクチャ高いし不安も不満もなく最初から最後まで安心して聴ける。メジャー・レーベルが拾わないのが不思議。

だけどさ、どうよこれ。例えばティーンエイジ・ファンクラブのアルバムを聴くと。この流れで何かもうちょっと聴きたいけどCD終わっちゃったと。似たヤツ何かない?って感じのアルバムだろ、これ。いや、別にTFCの続きで聴いても水準的には遜色ないと思う。二番煎じとかバッタもんとか代替品だとかいうのでもない。ただ今の僕にはこうした世界はひどく自足したものに見えるし、彼らがこの音楽で何をキックしたいのかよく分からない。たぶん何もキックしたくなんかないのかもしれない。そういう傑作だ。
 

 
VOLUME 4 Joe Jackson Band 7梅

このレビューを読んでる人のどれだけがジョー・ジャクソンを知っているのか分からないが、彼はロイヤル・アカデミーを卒業しながら70年代にパンク、ニューウェーブ系のアーティストとしてデビューした後、レゲエ、ジャズ、サルサ、オーケストラなど激しくスタイルを変化させながら高い水準の作品を発表し続けてきたある種の天才として知られている。まあ、僕としてはそうしたロック以外の音楽に傾倒する前の、初期のエルビス・コステロと双生児のような1枚目、2枚目のアルバムしか興味はない訳だが。

今回はそのジョー・ジャクソンが初期のバンドを再結成し再び荒々しいロックンロールに挑んだ、という宣伝文句に惹かれて買ってみた。確かにアンサンブルは完璧だし曲も音楽として非常によく練られており、隅々までピシッと神経が行き届いている。隙のないロックンロールというか、ロックンロールなのに高級感漂っているというか。同じありふれた日用品でもさすが老舗の作るものは違いますな、手に馴染みますな、お値段もそれなりですが、といった感じ。いや、CDの値段は別に他のと同じなんだけど。

ジョー・ジャクソンの声は驚くほど若々しいし、デビュー当時のコステロやXTCを思わせるビートのスピード感、切れ味はさすが。それも昔の曲の焼き直しではなく新曲でやってしまうところがこの人の意地だろう。でもなんか、関心はするけど血沸き肉踊る感じはあまりしない。20年前のコステロやアンディ・パートリッジと張り合うんじゃなくて、今の彼らと切り結んで欲しかった。バンド結成25周年の記念盤なんだそうで仕方ない部分もあるんだろうけど、むしろコステロの偉大さを再認識させられた作品。
 

 
LIVE IN JAPAN Primal Scream  



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