logo 2003年5月の買い物


THINK TANK Blur 7松

最初に言ってしまえばこれはとても水準の高いアルバムだ。バンド・サウンドとしての核を維持しながら、エスニックな力を決して簒奪的にではなく自覚的に消化して取り込み、また一方でゴリラズでの経験を想起させるエレクトロニックな試みも行われていて、それらが全体としてブラー(あるいはデーモン・アルバーン)という看板の下に過不足なく配列され、収納されている。アルバム全体として聴いたときに、とても安心でき、納得でき、満足できる、ナイスな作品だ。僕が学校の先生なら高い点をつけるところだ。

だが、このアルバムには何かが欠けている。この安定感、この見晴らしのよさは本当に僕たちがブラーに求めていたものだろうか。ナンセンスを承知で言えば、これは果たしてロックだろうか。もちろん僕は、ロックには破綻がなければならないとか、デーモンが身を削っていないと言っているのではない。ただ、このアルバムには自分の思い通りにならないものと闘い、勝ち、負け、あるいは妥協しながら、自分自身ですら思いがけなかったものができあがって行く「葛藤」とか「相克」というモメントが希薄だと感じるのだ。

その理由をグレアム・コクソンの不在に求めることは可能だし、また実際にその通りでもあるだろう。それにデーモンというのは初めからソツなくこぎれいにさっぱりとまとめる類の才能を持ったアーティストだという気質の問題もある。フラれた腹いせに泣きわめいて見せた前作を僕は酷評したし、それに対して丁寧に丁寧に作られたこのアルバムが音楽的な仕上がりとして高い水準にあることは間違いのないことだ。転換を終え、新しいスタート地点として高く評価するが、デーモンにはまだまだあがいてもらわなければ。
 

 
SONGS FOR THE DEAF Queens Of The Stone Age 7竹

音の感触はすごくハードでメタリックなんだけど、確実にパンク、グランジを通過した音だ。すんごく筋肉質でマッチョなはずなのに、しっかり隙間があって驚くほどポップ。この基礎体力というか身体能力の高さはやはり尋常ではないし、それを駆動して行くエンジンは高性能で、そこに注ぎ込まれるべきエネルギーも恐ろしくオクタン価が高い。しかしそれらの高純度な材料がガチガチのへヴィ・メタルへと凝集してしまわないのはこのバンドの突き放したクールなユーモアのなせるワザなんだろうと思う。

隆々と盛り上がった筋肉をただ見せびらかすんじゃなくて、それを使って本職の体操選手も舌を巻くような大道芸を演じているというか、いやむしろ脳ミソにも書けないような論文を屈強な筋肉が書いているというか。ふだんから英系の湿っぽく弱っちい、チマチマした泣き虫ロックを愛好している僕としては本当は簡単に認めたくない類の音楽なのだが、他ならぬNMEも高く買っているということはただのマッチョ・アメリカンではない表現のしなやかさをイギリス人たちもよく分かっているということだろう。

そうしたしなやかさ、風通しのよさが、イジイジ悩んだあげくに獲得されたというよりは、とにかく腰に来るヤツをやろうぜ的な現場性から出てきたもののように思えるところが僕のように内気な島国リスナーには更に腹の立つところなのだが、この突破力とそこに宿ったセンスは認めない訳には行かない。僕にとって一生大事にするというアルバムではないが、満員電車がガタガタやかましい地下に入ったとき、真新しいiPodからもうすぐ38歳になろうというサラリーマンの耳にもきちんと響いた音楽。痛快。
 

 
HOME Simply Red 8梅

ブラック・コンテンポラリー(てまだあるのか?)、ラップ、ヒップホップといったものにはまったく興味のない僕だが、ソウル系で一つだけ聴き続けているアーティストがある。もちろんこのシンプリー・レッドがそれに他ならない訳で、僕はミック・ハックネルの過剰なまでの黒人音楽への愛情を聴きたくて毎回カネを出している。前作は今ひとつ不完全燃焼感の残ったが、今作では再びむき出しのソウルが爆発、ヤツの過剰に黒っぽいボーカルが縦横に炸裂する快作に仕上がったと言えるだろう。

フィラデルフィア・ソウルの名曲、スタイリスティックスの「ユー・メイク・ミー・フィール・ブランド・ニュー」や、ホール&オーツの「サンライズ」などカバーも大当たりだが、何よりやはり黒人でない分だけ黒人音楽への憧憬を素直に表現できるミック・ハックネルのソングライター、ボーカリストとしての力量がこのアルバムの聴きどころだ。妙に気の利いた現代的ソウルにせず、オーソドックスに、プリミティブなグルーヴを聴かせるバックトラックのプロダクションも大きく貢献している。

もし仮に黒人音楽のイデア、ソウル・ミュージックのイデアというようなものがあるのだとしたら、シンプリー・レッドの音楽は、白人だからこそ、黒人になれないからこそそれに近いんじゃないかと僕は思う。ジャンルは違うが、ジャズ・ミュージシャンに憧れる白人の少年の成長物語「ジャズ・カントリー」を思い出した。ミック・ハックネルは今でも「ソウル・カントリー」に憧れ、そこに入ろうとする赤毛の少年なのかもしれない。それにしても内ジャケの屋敷豪太はヤクザにしか見えない。
 

 
SLIDELING Ian McCulloch 6竹

ソロ名義でアルバムを発表するのは久しぶりだと思うんだが、まあ、再結成エコバニでもエレクトラフィクションでも結局この人の書く曲とこの声ならどれでも同じようなものだから、そういうつもりで聴こう。1曲がなかなか生きのいいギターのリフで始まるので今回は行けるかも、と期待はさせる。その後はかなりおとなしめの曲が続きメロウな雰囲気になってしまうが、全体としてギミックのないストレートなギター・ポップでありその素直な作りには好感が持てる。曲も悪くない。ボーカルもいい。

だけどこのアルバムが僕にとって決定的に物足りないのは、ここで歌っているイアン・マッカロクがすごく満ち足りているように聞こえることだ。いつも何かに悪態をついている、不機嫌な若造はもうどこにもいない。何かを激しく否定するために鳴らされているかのようなきっぱりしたギターの響きはもう聞こえない。当たり前だ。イアン・マッカロクだって年を取るのだ。彼にだって満ち足りる権利はある。何かを終わらせ、その代わりに何かを始める権利もある。それにケチをつけることはだれにもできない。

だが、この満ち足り方はとても内向きだ。そこにはロック・ミュージシャンとして作品を「世に問う」ような開かれた方向性は見出し難い。スタイルは変わっていい。歌う歌も変わっていい。ハゲてもいいし腹が出ても構わない。でも、ロックである以上はどこかに自分というものを無理矢理切り開く強いモメントがなければならないのではないか。安心して聴けるアルバムかもしれないし、とても丁寧に歌われているが、何だか聴いていると哀しくなってくる作品。まだまだ終わっていい人ではないはずだ。
 

 
GOTHAM! Radio 4 7松

ほとんどバンド名だけで衝動買いしたCDだがこれはいい。今年の掘出物大賞をあげてもいいくらいだ、去年のアルバムだけど。基本的にはパンクなんだけど、パンクというのはもともと音楽のジャンルというよりはある種の生き方、アティチュードのことを表す言葉なので、本来とてもロマンチックなものだと僕は思う。セックス・ピストルズも、ザ・ジャムも、クラッシュも、今考えればこれ以上ないっていうくらいロマンチックだっただろう。このアルバムもそういう種類のロマンチシズムにあふれているのだ。

もちろんそれはベタベタとしたセンチメンタリズムとはまったく別のものだし、ロマンチックだからといって決してメロウで優しい訳でもない。ここでロマンチックだというのは、クソみたいな日常に首までつかりながら、そのくだらなさを笑い飛ばせる崖っぷちのユーモア、その醜悪さに堂々とツバを吐くことのできる悪ガキの自由を信じることだ。そういう意味でパンクは常にロマンチックだったのであり、逆にロマンチックでなければどんなに攻撃的なノイズもパンクではあり得ないのだ。なあ、分かるだろ。

このレディオ4、ニューヨークのバンドらしいが、まるでロンドンの湿っぽいシーンを抜け出してきたイギリス出身のパンクスがニューヨークで奏でるような音を出している。でも大事なことはたぶんそういうことではなく、このバンドがそうしたパンクの本質をこそ受け継いでいるということだろう。不機嫌でラウドなロックを鳴らしながらその実体は極めてロマンチック。スタイルだけ真似ても凡庸な規範から自由になれないどこかの国のなんちゃってパンクス達に聴かせてやりたい。そう、パンクは死んでない。
 

 
THE BENDS Radiohead  
ALMOST YOU V.A.  



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