最初に言ってしまえばこれはとても水準の高いアルバムだ。バンド・サウンドとしての核を維持しながら、エスニックな力を決して簒奪的にではなく自覚的に消化して取り込み、また一方でゴリラズでの経験を想起させるエレクトロニックな試みも行われていて、それらが全体としてブラー(あるいはデーモン・アルバーン)という看板の下に過不足なく配列され、収納されている。アルバム全体として聴いたときに、とても安心でき、納得でき、満足できる、ナイスな作品だ。僕が学校の先生なら高い点をつけるところだ。
だが、このアルバムには何かが欠けている。この安定感、この見晴らしのよさは本当に僕たちがブラーに求めていたものだろうか。ナンセンスを承知で言えば、これは果たしてロックだろうか。もちろん僕は、ロックには破綻がなければならないとか、デーモンが身を削っていないと言っているのではない。ただ、このアルバムには自分の思い通りにならないものと闘い、勝ち、負け、あるいは妥協しながら、自分自身ですら思いがけなかったものができあがって行く「葛藤」とか「相克」というモメントが希薄だと感じるのだ。
その理由をグレアム・コクソンの不在に求めることは可能だし、また実際にその通りでもあるだろう。それにデーモンというのは初めからソツなくこぎれいにさっぱりとまとめる類の才能を持ったアーティストだという気質の問題もある。フラれた腹いせに泣きわめいて見せた前作を僕は酷評したし、それに対して丁寧に丁寧に作られたこのアルバムが音楽的な仕上がりとして高い水準にあることは間違いのないことだ。転換を終え、新しいスタート地点として高く評価するが、デーモンにはまだまだあがいてもらわなければ。
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